呉
同居人は呉を“戦艦大和”が誕生した街と言います。
私は石川島播磨重工業のある街だと認識しています。そんなわけで、こんな会話が事前になされるわけです。
「で、これくらいが呉で見たい場所やけど、ええ?」
「ええよ」
「他に行きたい場所は?」
「石川島播磨重工業」
「そんなとこ、観光ルートになってないやん」
「けど地図に載ってんねんよ? しかも憧れの企業やねんよ? 国産ロケット作ってんねんよ?」
「工場とかを外から見るくらいなら……そう言うたら、この会社も戦艦大和の製造に関わってた可能性もなきにしもあらず……」
「石川島播磨重工業、ええなぁ」
◇◇◇
9月14日出発の一泊二日の旅です。
寝坊して、予定よりも一時間以上遅れての出発ですが、まぁアレだ。最近は朝が寒いからしゃーない。阪神高速3号神戸線を経由して山陽道へ向かう。途中、神戸の辺りで交通量が多くなったりしたものの、順調に2台のバイクは西へ向かう。途中立ち寄ったSAでいかにも年代物のハーレーを発見。やっぱりナイスなロマンスグレーのオヤジがオーナーで、ハーレーにはやっぱりオヤジやと思う。
渋滞に巻き込まれることなく山陽道を走っていたら、前を行く同居人のポケットから領収書らしき紙切れが舞い、その後、ベージュがかった紙片が飛ぶ。その大きさ、形から1万円札だと――いや、少なくともこれは紙幣だと直感した私は、次の休憩地点で詰問。やっぱりな。よりにもよって1万円かいなと同居人に呆れつつ、西条I.C.で降りて、国道を走りつつ呉市街を目指す。
◇◇◇
呉市駅前商店街で昼食。商店街を徘徊し、創業大正10年の『いせ屋』へ。創業当時としてはとってもハイカラな洋食屋さんで、海軍の皆さん御用達だという由緒あるお店で、しかも既に日本のお袋の味でもある“肉じゃが”は呉が発祥の地であるという説もあるらしく、おまけに名物の“カツ丼”は美味しそう。てなワケで入店。私はチキンライス、同居人はカツ丼、そして肉じゃがを頼む。チキンライスは昔懐かしいやさしい味、カツ丼はカレー皿に盛ったご飯の上に牛肉のカツレツがドッカリ載っけられてて、デミグラスソースがかけられている独特のもの。や、これが美味しいんだわ。さて肉じゃがは薄味好みの関西人にとってはかなり濃いめの味ですが、肉体を酷使する海の男にとってはちょうどいいかなってな感じで。そう言えば子供の頃に読んだ『トムソーヤーの冒険』で、蒸気船の機関室で働く人達のために用意された水のそばには塩があった。汗を大量にかく彼らの食塩欠乏を防ぐためだというエピソードを思い出し、この濃い塩っ気はそれだと、一人で納得するのであった。
◇◇◇
呉市内では入船山記念公園〜アレイからすこじま〜歴史が見える丘〜海事博物館準備室と、ネイヴァル・コースを走った。入船山記念公園に併設された美術館別館でお茶。「海軍さんのコーヒー(520円也)」をいただく。アメリカの海軍マニアの友人に贈るのだと、同居人はお土産に購入していた("Coffee for IJN"などと、怪しい英語表記で送りつけたそうです)。
アレイからすこじまという場所がわからず、途中で海上自衛隊の船が係留されてる辺りの通用門から船を見物。道を挟んだ自衛隊施設の門の近くに白い制服のオヤジと、白いセーラー服姿の若い兄ちゃんを見つけて、アレイからすこじまの場所を尋ねてみる。その先の一帯がそうだと笑いながら答えてくれたオヤジの(といっても、ご大層な階級章を着けてたから、きっと、それなりにエライ人の筈)腹はまろやかを通り越した出っ張りでしたが、海軍系の制服はそんなのも吹き飛ばす魅力があります。しかも制帽もきちんと被ってまして、ムッチャ嬉しい。若い水兵さんは地味な顔でしたが、一見可愛らしいセーラー服を通しても感じられる良いガタイにときめく。や、別段、道を訊く必要はなかったのよ。でもこんな機会でないと、正々堂々と近くに寄られへんような気がすんのな、古びた乙女としては(笑)。ちなみに二人のルックスは青年劇画調でした。
アレイからすこじまは海上自衛隊(旧海軍)が使用していた、或いは現在使用している港湾施設のある一帯を指すわけで、自衛艦とか潜水艦とか、現役のもの、除籍したものが係留してあります。陸自のトラック小隊を見る機会には恵まれてますが、海事施設をしっかり見るのは初めてなので、何もかもが珍しい。ふと周りを見ると、地元の中学生が写生なんかしてたりして、艦艇を描く生徒も多いんですが、やっぱメカものは描き手の資質に結果が左右されがちですな。隣では同居人がディティールがどうのこうのと呟いておりましたとさ。
歴史が見える丘は戦艦大和を製造したドック付近を一望できるそうですが、なんか普通の記念碑っぽかった。けど砲弾がオブジェのように展示されてる辺りが、かつて日本海軍鎮守府が置かれた街の歴史を物語るようです。
その後、間もなくというか、数年後にオープン予定の呉市海事博物館(仮称)の準備施設へ。これまでに収集された展示予定物が事前公開されておりまして、でかい観戦の模型が所狭しと並べられており、同居人は感無量。中には木を削りだして部品の一つひとつから自作されたものもあるらしく、甲板上にちっこい人がいてるのもあって、制作者の苦労とか執念とか根気とか、費やされた制作時間を思ったり。見学者の中には熱心にメモを取ってる人がいたり、何故、ここにいるのだろうかと思ってしまうような若いカップルもいて、船マニアってのは案外、裾野は広いのかもしれないとも。窓の外にはシートに包まれたどでかい物体がありましたが、これらは第二次世界大戦などで使用された戦車やゼロ戦だそう。かつては京都・嵐山で展示され、その後、和歌山は南紀白浜に移り、この度、呉で安住の地を見出したのだとか。実は私は京都と和歌山でこれらを見ておるせいか、何となく感慨深いものがありました。正式に海事博物館がオープンしたら、メイン展示物となる戦艦大和の巨大模型を見物するため、また来ることになると……思うというか、来るんやろな。
◇◇◇
呉市街の見物を済ませてから、宿泊先の国民宿舎のある江田島へ。
江田島へはフェリーで渡りましたが、島と島、島と本州をつなぐ海路でもある洋上に、民間の船と並ぶようにして、ごく当たり前に自衛艦が浮かんでいるのが印象的。この街では近代的な海軍が置かれた時から、海軍鎮守府が置かれた時からこういう光景が、当たり前に続いているんであろうと思う。私達、余所の人間には新鮮で物珍しい風景も地元の人には見慣れたもので、船中乗り合わせた人は誰も見ていなかった。
◇◇◇
さて、宿泊先の国民宿舎は海の中に基礎を打った海上ロッジであることが売りですが、外から見物する分には珍しくていいんですが、中に入ったら何のありがたみもないという、ありがちな感じで。部屋は学校の旅行で使うような、素朴な感じで布団は自分達で敷くシステム。部屋の鍵が非常にショボくて、歴史を感じさせます。駐車場敷地内に『利根資料館』がありまして、利根ってのは第二次世界大戦末期に江田島の近くというか、宿のすぐ目の前の海で撃沈された巡洋艦だそうで、乗組員や関係者から寄せられた様々な歴史的雑貨がございましたが、もちっと整理整頓してもらわんと、寄贈した人らが怒るんではないかと思いました。
その辺を散歩してから夕食に。食堂で隣のテーブルにいたおじいさんと孫らしき若い青年の二人連れは穏やかな雰囲気。その向こうの家族4人連れのオヤジ、ビールを飲むたびに辺りに響くようなゲップをする。きわめてイヤンな感じなんですが、あそこまでやれるのはある意味アッパレ。食後はちょっと離れた場所にあるスーパー銭湯というか、温泉施設へ。宿泊利用者はもれなくもらえる無料の入浴券でレッツゴー。打たせ湯で前身くまなく刺激するオバチャンとか、足湯コーナーで延々しゃべり続ける中年女性のグループ。ジャグジーで溺れるのを楽しむ子ども達がおりました。
◇◇◇
翌日は砲台跡を見物するつもりでしたが通り過ぎてしまい、そんでもって細い山道でUターンする根性がなかったので、そのまま江田島付近の島々をつなぐ橋を渡って尾道を目指す。途中の山道で砂を踏んで滑って嫌な汗をかく。
尾道まで海沿いの国道のコンビニで、ショッカー戦闘員と一緒に売れ残っている最後の一人のアナザーアギトのSD食玩を購入。大阪あたりでは最初に売り切れるキャラやのに……と、寂しいようなラッキーに出会い、とりあえずはご満悦。ギルスがいなかったのが、ちょっとだけ残念。
尾道では尾道ラーメンをいただく。昔、尾道ラーメンでまずい店に当たると生臭いスープを飲まされると聞いたことがあったのだが、今回は当たり。さっぱりとしならがらも豊かな味わいが素晴らしい。ふと見ると評判の店なのか、客はひっきりなしに訪れていた。
そして尾道インターチェンジから山陽道に入り、帰路についたのでした。
◇◇◇
高速道路では時速100〜110キロが限界巡行速度だと思う。120キロを超えると風圧に耐えるために前身踏ん張るのが大変です。そして今回は結構飛ばしましたので、翌日は太股と背中、上腕付近を中心とした筋肉痛に見舞われました。やっぱ1200ccの同居人の単車と、250ccの我が愛車ルネッサが併走するのは無理があるというか、まぁ、お互いに思いやりの心を持つしかないよなって感じでね。
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