続・離脱戦士


 コツコツと、窓ガラスを叩く音に世界は目を覚ました。初めのうちこそ、空耳に思えた微かな音が現実のものだと知ると、彼は素早く身を起こして窓際に立つ。白い化繊のカーテンを開いた外を見ると、そこには飛葉の姿があった。

「何も、こんな場所から入ってこなくてもいいだろう」

世界が窓を開けながら軽く咎めると、

「出入り口は鍵がかかってんだよ。警察病院だけ合って、救急の受付にはサツの野郎が立ってやがるし、しょーがねーじゃねーか」

と、飛葉が口を尖らせる。そして窓の外には落下防止のための庇があるため、存外に安全なのだとも言う。仕方のない奴だと静かな微笑みを浮かべながら、世界は飛葉にベッド際の椅子を勧めた。

「怪我人が気を遣ってんじゃねーよ」

と、椅子に腰を下ろしながら飛葉が言うと、

「その怪我人を真夜中に叩き起こしたのは、どこのどいつだ」

と、世界が小言めいた言葉を口にする。すると飛葉はばつの悪そうな表情を浮かべて、細かいことは気にするなと答える。

 それから顰めた声で、ごく取り留めのない言葉を交わした。世界は彼自身が銃弾に倒れてからの顛末を聞きたがり、飛葉は傷の様子を尋ね、その両方が特に問題ではないことを知り、ようやくそれぞれの胸を密かに撫で下ろした。

 飛葉が部屋に小半時もした頃、ドアの向こうから乾いた足音が響いてきた。

「夜の巡回だ」

世界はそう言うと飛葉をベッドの中に招き入れる。飛葉はほんの少し躊躇いはしたが、確実に近づいてくる足音を防ぐ手だてなどなく、世界の傷に障らないようと静かにシーツに滑り込む。やがて看護婦と思しき人間が部屋に現れ、ベッドに臥せている患者を起こさないように少し離れた位置から様子を確認し、異常がないことを認めると静かに部屋を後にした。

 足音が次第に遠のき、辺りに夜の静寂が戻ってからも、二人は消毒薬の臭いのするシーツの中で寄り添ったままだった。何も言わず、何も問わず、ただ互いの体温を慈しむかのように肌を寄せ合えば、一時でもこの温もりを喪おうとしていたことが悪い冗談のように感じられる。

 「寝たのか」

世界が問うと、飛葉は無言で頭を振る。それからベッドに潜り込んだ時と同じように、そっと床に降り立つ。

「とっとと傷を治して、ちゃちゃっと退院してこいよ」

そう言って笑った飛葉は、入ってきた時と同じように窓から出ていこうとする。飛葉を見送るために世界が窓辺に近づいた時には既に、飛葉は外のコンクリート製の庇の上にいた。

「随分とあっさりと帰るんだな」

「しょーがねぇだろう。サツのいる所は落ち着かなくていけねぇ」

「俺達もサツの仲間だぞ」

その言葉に肩を竦めて見せた飛葉を引き寄せ、唇を寄せようとした世界を、飛葉は明確な意志をもって押し返す。

「怪我人は寝てろって言ってんだろ?」

飛葉が笑うと、

「随分とつれないじゃないか」

と、世界が憮然と言う。

「続きがしたけりゃ、こんなとこ、さっさとおん出てくるんだな」

そう飛葉は言い残すと、軽い身のこなしを見せつけながら、3階にある病室を後にした。

◇◇◇

 10日ぶりに風呂を使い、やはり同じだけ口にしていないアルコールでの胃の消毒を終えた時、乱暴に玄関のドアが叩かれた。

「ドアを壊す気か」

と言いながら扉を開くと、そこには両膝に手をついた姿勢で両膝に手をついている飛葉がいる。世界が招じ入れるのを待たずに飛葉はどかどかと部屋に上がり込み、盛大に機嫌を損ねているのを隠そうともせずに、音を立てて畳の上で胡座をかく。それから怒りを漲らせた声で一言「水」と怒鳴る。あまりにもわかりやすい様子に苦笑をこらえながら、世界は大振りのロックグラスを水を満たす。差し出されたグラスをひったくるようにして奪うと、飛葉は喉を鳴らして水を飲み干した。空になったグラスを無言で世界に突き出すと、世界もまた黙したままでグラスを受け取り流しに向かう。

 2杯目の水を飲み干すと、飛葉は満足そうな溜息をつく。そして間髪を入れずに世界に問う。

「何のまねだ、こりゃ」

「今朝の回診で、医者が念のためにもう一日入院していろと言った。そんな無駄なことをする気にはならなかったから退院しただけだ」

風呂にも入りたかったからと世界が言葉を継ぐと、飛葉は憤懣やるかたないといった様子で

「俺達に一言の挨拶もなしにかよ」

と、世界に詰め寄った。

「一服したら、『ボン』に行こうと思ってたんだがな」

「そういう問題じゃぁ、ねぇっつってんだよ!」

飛葉は勢い込んで世界の胸ぐらを掴み、その途端に世界が顔を顰める。

「悪りぃ……」

小さく呟いて引いた飛葉の手を取り、世界が淡い笑みを浮かべながら飛葉の身体を引き寄せた。

「この間の続きが待ちきれなくてな」

その言葉に飛葉は呆れた声を出したが、世界はそんなことはどこ吹く風とばかりに唇を寄せる。

「そんな、つまんねぇことで勝手に退院するヤツがあるかよ」

飛葉が形ばかりの抵抗を示したのを知ってか、世界は飛葉の髪を指で梳く。

「お前会いたさに、せっかく娑婆に出てきたってのに、つれないヤツだな」

ぶつぶつと聞き取れないような文句を呟き続けながらも、身体から徐々に力が抜けていくのを感じながら、飛葉は病室を満たしていた消毒薬の臭いではなく、石鹸と煙草とバーボンの混ざった懐かしい体臭で胸を満たしていく。

 世界の傷に障らぬように一旦身体を離し、飛葉は寄り添うように世界の傍らに座り直した。

「いい歳こいて、ガキみたいなことしてんじゃねーよ」

そう言いながらも飛葉は世界の手を取り、互いの指先を絡めるように弄んでいる。世界が飛葉の肩を抱き寄せたが、もう抵抗する素振りは見えなかった。

◇◇◇

 胸や肩に残る生々しい傷に、飛葉が静かに唇を寄せる。傷に障らぬようにと細心の配慮を見せてはいたが、それぞれの身体で燃える情欲の炎を隠そうとはしなかった。それよりも早く全身で互いの無事を確かめたい。衝動めいた思いに突き動かされている飛葉は性急に世界を求めたが、世界は飛葉の望みをすぐに叶えようとはせず、熱い掌で飛葉の肌を辿る。身を、心を炙られるような感覚に耐えきれず、飛葉が甘い熱を帯びた吐息を漏らす。

 向き合って座り、互いの熱を煽り合うように口づけを繰り返すのはもうたくさんだった。既に身体の奥では、世界がもたらした熾火が解き放たれる瞬間を待ち焦がれている。

 飛葉は世界の傷に障らない程度の荒っぽさで、残酷なほどに自身を慈しむ男の身体を布団の上に押し倒す。

「……いい加減……もう……」

飛葉は乱れた呼吸の合間に世界を責める言葉を口にした。けれどその身体は唇を裏切るように男を求める。

 ゆっくりと身体を開く熱を、飛葉は感じていた。鈍い痛みと圧迫感に苛まれながらも、その中に潜む快楽の欠片を探るように身体を揺らす飛葉を見上げながら、世界は辛くも生き残れた幸運を慈しむように飛葉の肌を愛でる。際限なく上昇する飛葉の体温と急くような呼吸に、そして昂ぶる自身の神経に、世界は互いの限界が近づきつつあることを知り、飛葉の身体を一際激しく揺らす。噛みしめられた飛葉の唇から艶と熱を帯びた声が漏れたのを合図に、二人は得も言われぬ高揚感に身と心を投げ出した。

◇◇◇

 「傷……大丈夫かよ」

「ああ、お前のお陰でな……」

世界の答えに、飛葉の頬に朱が走った。

「ったく、しょーがねぇ、オッサンだよ、あんたは」

憎まれ口を叩きながらも飛葉は、世界の胸元に鼻先を押しつけるようにしながら居心地の良い場所を探す。

「よう……」

飛葉が眠気を帯びた声で世界を呼んだ。

「勝手に病院を抜け出すのは構わねぇんだけどよ……ちょっとくらい声かけろよ」

「今度は、そうしよう」

「バカ野郎。また今度も途中でフケやがったら承知しねぇぞ」

 飛葉は無事なほうの世界の肩を小突き、大きな欠伸を一つ落とし、深い眠りに落ちていく。世界は次第に規則正しいものになる呼吸に、改めて腕の中の温もりが与えてくれる充足感に胸が満たされるのを感じながら、静かに目を閉じた。


辛抱たまらん飛葉が馬乗りってのを書いてみました。
世界負傷の大義名分があれば、
馬乗りだってへっちゃらだい!


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