うら寂しき青春の日


 任務を終えたワイルド7のメンバーは繁華街に繰り出し、ささやかな祝杯を挙げて全員の無事と悪党退治を全うした喜びを満喫していた。宴の場となった店を後にし、心身を満たす解放感に身を任せていた彼らの足は、やがて大通りに面した賑やかな場所からセックスを金銭で換算することを生業としている人々が集う街へ向かう。

 風俗店や連れ込み宿、夜しか営業していない様々な店の並ぶ辺りに差し掛かった時、オヤブンが言った。

「んじゃ、命の洗濯ということで……」

すると他のメンバーも口々に

「いいねぇ。むさ苦しい面を見るのはもう、飽き飽きだぜ」

「ああ。生きてる実感は、やっぱこういうのじゃないとねぇ……」

「ここの『イブ』って店のアイちゃん、いいんだよなぁ。色が白くて、ムチッとした感じでよ」

「なんだぁ、チャーシュー。お前、馴染みの娘がいんのかよ」

などと言い始め、食を満たした後のお楽しみの算段を始める。それぞれに女性の好みが異なり、贔屓にしている店も違う。団体行動など無粋であることを承知している彼らの間に、暗黙の了解を表すような空気が生まれた時、

「飛葉、お前はあっち」

と、ヘボピーが飛葉の顔を寂れた映画館に向けた。

「なんで俺だけ、ポルノ映画なんだよ」

「ったりめぇだろう? ガキにはアレくらいで丁度いい」

「お前みたいに乳臭いのを連れてたりしちゃ、俺たちまで店から追い返されちまう」

「そうそう。お子様は一人寂しくセンズリかいてな」

あからさまな子ども扱いに飛葉はたちまち臍を曲げ、

「うるせー! ガキ扱いすんな!!」

と、声を荒げる。すると世界が

「飛葉、お前、いくつだ?」

と、問うた。

「もうすぐ18」

飛葉の問いに世界は口の端を僅かに上げ

「ケツの青いガキの相手をするほど、女たちもヒマじゃねぇ。ま、映画が気に入らんのなら、そこの店でめぼしい本でも買って帰るんだな」

と、言った。そして八百が

「20歳の誕生日に、俺たちの奢りで筆を卸させてやるから、それまではおとなしくおネンネしてんだな。誰かに添い寝してもらわなきゃならねぇ歳でもなけりゃ、独り寝の侘びしさを知ってるワケでもねぇだろ?」

「おめぇくらいの年頃なら、コーラ瓶のくびれを見ただけでおっ立つもんだ。酒屋の裏で今晩のオカズは調達できんじゃねぇの?」

と、からかい、他のメンバーは陽気な笑い声を上げる。そして飛葉がふくれっ面で黙り込んだのを合図に、飛葉を除いたメンバーは脂粉の香りに満ちた街へと消えた。

◇◇◇

 飛葉はメンバーの後ろ姿が雑踏に消えていくのを眺めながら

「俺だって、女くらい知ってらぁ」

と、小さな声で憎まれ口を叩いた。

 女の子の一人でも引っかけて、そこいらの安宿にしけ込んでから帰ろうと飛葉は考えたが、任務の間は風呂に入るどころか、まともに洗顔もしていないことを思い出した。風呂を完備した店に行くのであれば、身体に溜まった垢に気後れする必要はないのだが素人の、しかも飛葉と同じ年代の女を口説くには、あまりにも彼の姿は不似合いである。ジャンパーには泥や油汚れの名残があり、パンツもずいぶんと煤けている自分を相手にする女はいるはずがない。そう判断した彼は、先刻ヘボピーに示された映画館に向かう。

「まだアパートに帰るには早えぇし、暇つぶしにはちょうどいいってもんさ」

などと言い訳がましい独り言を呟きながら、しどけない女の姿の周囲に派手な文字が踊る看板の脇を抜け、地下に続く階段を降りた。

 受付に座っていた老女は飛葉の顔を見ると一瞬、何か言いたげな表情を浮かべたが、無言のまま半券をよこした。それから欠伸をしながら色の滲んだ古いテレビに顔を向け、土俵の上の力士の取り組みに視線を戻す。老婆の姿を目の端に捉えながら重いドアを開けると、饐えた臭いが飛葉の鼻を突いた。

 狭い暗闇の向こうのスクリーンでは既に、徒な女が男に組み敷かれている姿が映し出されている。男の背中の龍が踊る度に女優の甘い声が掠れ、男優の荒い呼吸に喘ぎ声がかき消された。窮屈な座席の座り心地の悪さに、スプリングが既にその効果を果たしていないことを感じながら部屋の最後列に座り、飛葉は目の前で繰り広げられている淫らな情景をぼんやりと眺めていた。

 実際の年齢よりも幼い顔立ちをしているという自覚は、飛葉にもあった。それ故、彼一人を残して花街に消えたメンバーの言い分がわからないわけではない。けれど、あからさまな子ども扱いは腹に据えかねることも事実だった。商売女を相手にするほど不自由はしていないのだと思いはしても、いつでも飛葉を迎え入れてくれる相手や、彼の無事を待っている者もないことは事実だった。学生であれば女生徒などが身近にある。実際、中学時代から飛葉は女生徒から憎からず思われていたし、中には彼にモーションを起こす娘もいた。そして飛葉も何度か特定の相手を持ったこともあったのだ。しかしまだ互いに幼かったせいか、他愛のない諍いや口げんかの末に関係は破綻するのが常だった。

 当時も今も特定の相手がいないことに不自由に思ったりはしない。だが任務が終わった後、女の元に出かけるメンバーの姿を見る度に漠然とした疎外感を覚えた。そして本来であれば高校生であるはずの年齢でありながら、学校という集団にも属することのできない中途半端な状況を心許なく感じるのだった。

 とりとめのない考え事をしている間に映画が終わり、毒々しい色の文字がスクリーンに映し出され、新たな物語の始まりを告げる。

 買い物かごを下げて歩いていた地味ななりの女。小さなアパートでは、いかにもヤクザ者といった男が一升瓶を抱えている。健気で気丈な女優と目つきの悪い男優はありきたりのやり取りの後にちょっとした口喧嘩をし、それからお決まりの情景が脈絡などお構いなしに繰り広げられる。スクリーンの中で男と女は互いを貪るように絡み合い始めた。

「どれもこれも、代わりばえしねぇな……」

先の女優と似た掠れた甘い声に、飛葉は呟く。前の座席の背もたれに両肘と、その上に顎を乗せている飛葉の目の前でどこか投げ遣りな行為は続けられている。飛葉は両手を高く上げて伸びをして席を立ち、出口へと向かった。

 ドアを開けようとした時、身体の一部の緊張のために、姿勢をやや前屈みにしなければならないことに気付いた。飛葉はその場で思案顔を浮かべたまま数秒動きを止める。そして小さな溜息をつきながらドアを開いた。

◇◇◇

 薄暗い廊下の奥の手洗いに人気はなかった。不特定多数の人間が使うそこは日々の掃除の甲斐もなく薄汚れている。冷たい空気の中に満ちている特有の臭い。所々はげ落ちたタイル。灰皿代わりに置かれている粉ミルクの空き缶から溢れた吸い殻。水だけで流しきれないアンモニア臭。それらが綯い交ぜになったかのような臭気は、似たような話を上映している映画館に共通している。飛葉は鼻で大きく呼吸をし、嗅覚がこの場の臭いに慣れてしまったのを確かめると、3つ並んだ個室のうち一番奥のものを選んだ。

 針金で作ったような鍵をかけた飛葉は、背中を一方の壁に預け、パンツのファスナーを下げる。下着に覆われてはいるものの、それは確かに緊張していた。

「ったく……男ってのは単純な分だけ始末が悪りぃ」

 飛葉は苦笑いしながらパンツを下着ごと太股の当たりまで下げ、彼の意志に反旗を翻している肉体に触れた。

 次第に固くなるそれを弄びながら、飛葉は薄く目を開く。薄いグレーのペンキが塗られたベニヤ板製の仕切板の正面には、殴り書きのような女性器の落書きがある。お世辞にも上手だとは言えないそれは、稚拙なタッチだからこそ動物的な欲望を強く訴えてくるようでもあった。金がないのか、甲斐性がないのか、或いはその両方なのか。飛葉と同じように花街で遊べる年齢に達していない男が残した落書きなのかもしれない。その隣には正面の落書きに合わせるような男根。女性器とは対照的な細い線と緻密な描写は、作者の内向する欲望を表しているようにも見えた。

 飛葉は機械的に右手を動かし続けている。ささやかな快楽を得るためではない、限りなく排泄に近い処理を速やかに行うためには、意識と身体を違う方向に向けたほうがいい。バイクに乗るのが不自由だからと始めたものの、自慰行為にふさわしいとは冗談でも言えない場所でのそれは、できるだけ早く済ませてしまいたいというのが本音だった。身体の一点に意識を集中しようとしても周囲が気になり、ともすると意識も身体も萎えそうになる。完全に萎えてしまうのであれば問題はない。しかし姿勢が前屈みになる程度の緊張は解けず、これではバイクに乗る気にもなれなかった。そこで飛葉は彼が今持て余している状況と同類とも言える落書きで気を紛らわしながら、ひたすらに手を動かしていた。

 少しずつ頂点が近づき、手の動きが早まる。飛葉は目を閉じ、最短のルートを辿る。僅かにせわしなくなる呼吸を薄く唇を開いてやり過ごし、ようやく頂上に手に届こうとした時、狭い空間を挟んだ個室のドアが乱暴に閉まった。その音に驚いた飛葉は息を飲み、身体を震わせる。

 俯いたまま、身体が常態に戻るのを待ちながら、

「……ったく、ちったぁ、気を遣えよ。んなだから、女できねぇんだ」

と独りごち、飛葉が顔を上げる。そして身支度を整えようとした時、彼は重大な失態に気づいた。

 飛葉は右手を添えたまま素早く周囲を見渡したが、目的のものは見つけられなかった。飛葉は少しばかり迷うような素振りの後、左手でスカーフを抜き取り、濡れた右手と精を解き放った名残を拭う。手早く身支度を整え、スカーフをパンツのポケットに押し込み、ドアを閉めたまま周囲の様子をうかがった。そして誰にも見咎められないのを確かめてから個室から出て手を洗う。手洗いから外に出る前、出入り口の傍の個室の前で立ち止まり、閉じられたドアを蹴飛ばして地上へ続く階段を目指した。


旧ワイルド7において、飛葉は高校に通う年頃です。
そう、やりたい盛りの性少年(笑)。
故に、マスターベーションも日常的な、ごく普通のことでしょうね。
スポーツでは発散できない衝動に突き動かされる日々!!
この作品の中では世界と飛葉の間に裸のお付き合いはありませんが
司書の乙女の恥じらいのため、裏に持ってきました。
個人的なイメージですが、飛葉はハンカチとちり紙は持ち歩かないと思います。


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