一缶の幸福


 自販機のボタンを押すと、派手な音を立てて缶コーヒーが取出口に転がり出てきた。飛葉はあたためられた缶を世界に投げ、再び硬貨を自販機に入れる。

「あちゃ……売り切れかぁ」

それから、しばらくの間自販機の前で思案顔をしていた飛葉は硬貨返却ボタンを押し、停めてあったバイクのほうへと歩き始めた。世界は愛車の脇に立ち、先刻受け取った缶コーヒーで指先をあたためている。

「最後の1本だぜ」

「今日は冷え込んでたからな」

世界が、諦めたような笑みを口元に浮かべる。

「ったく、四つ輪に乗ってるヤツらまで熱いのを飲むこたぁねぇよな。バイク乗りのために熱いのを残しておくぐらいの気配りがほしいねぇ……」

「無茶を言うな、無茶を」

「おまけに5月だってのに、この寒さ。寒の戻りにしちゃ、季節外れが過ぎるってもんだ。そう思わないか? 世界」

「恨むんなら、俺たちに山越えをさせてくれた犯人を恨むんだな」

相変わらずふてくされた様子の飛葉に、世界がコーヒーの缶を渡す。

「指をあたためろ。少しは気分が違う」

「サンキュ」

そう言うと飛葉は、缶コーヒーを弄ぶように左右の指先をあたため始め、世界は懐から取り出した煙草に火を点けた。

「煙草を吸うと、少しはあったかくなるもんかい?」

世界は深く息を吸い、一拍おいてからゆっくりと紫煙を吐く。

「気分だけなら多少は違うような気もするが……寒いことに変わりはないな」

しばらく考えを巡らせてから、世界が飛葉の問に答えた。

「ほいよ」

飛葉が世界に声をかけ、缶を投げ渡す。世界が冷たい指先を缶に押しつけてあたためるのを視線の端でとらえながら、飛葉がゴーグルを外した。

「真冬でもないのにゴーグルはくもるし……」

 任務から解放されたためなのか、バイクで風を切る壮快感を堪能できる季節とは思えないような冷え込みのせいか、やたらと不平不満を口にする飛葉がゴーグルの内側の結露をスカーフで拭う。少しばかり尖らせた口元が妙に幼い。

「そんな風に拗ねてるツラは、まるでガキだな」

世界が小さく笑うと、飛葉は不服そうな様子で世界の手をあたためていたコーヒーをひったくった。そして、これみよがしに頬に当てて見せ

「おぉー、あったけぇ」

などと言う。世界は呆れ果てたと言わんばかりに溜息をつき、缶コーヒーに手を伸ばそうとした。だが彼が飛葉の顔のある一点に目を奪われたため、その手は中途半端な位置で動きを止めてしまったまま宙に浮いてしまっている。

「なんだよ」

飛葉が怪訝な表情で問うたが、世界は相変わらずまじまじと飛葉の額から目にかけての部分を見つめている。

 穴が空くほど顔を見られる理由が解せない飛葉が、世界の視線が集中している辺りを指先で撫で、何かついていやしないかと確かめてみたが、手には汚れらしきものもなければ、指先に異物感などを感じることもなかった。

「おい……何見てんだよ」

 不意に世界の頬が僅かばかり弛んだかと思うと、次の瞬間には煙草にそえられた手で口元を抑えながら低く笑い始めた。

「何、笑ってんだよ? 世界」

こみ上げる笑いのため、質問に答えられない世界に業を煮やした飛葉が世界に詰め寄り、世界の手を顔から引き剥がそうとする。

「おい、何がおかしいんだよ」

「……飛葉……お前、ここにゴーグルの痕が……」

懸命な努力でやっとの思いで笑いを堪え――笑いのために途切れ途切れの言葉になってはいたが――世界が飛葉の顔を指先で辿りながら言った。その言葉に飛葉は慌ててその手を振りほどき、バックミラーをのぞき込む。

 「あ……」

駐車場を照らしている水銀灯の青白い光の中に浮かび上がったゴーグルの形の影を見た飛葉は、我知らず情けない声をもらしていた。

「仕方ない。100キロ以上出して、2時間ぶっ続けで走ってたんだ。痕くらいついたって不思議じゃぁない」

飛葉を慰めようとする世界の声には、彼の必死の努力にもかかわらず微かな笑いが含まれている。それを敏感に察知した飛葉は、膨れっ面を隠そうともせずに缶コーヒーのプルタブを開け、一気にコーヒーを飲み干した。

「あ〜、あったまった、あったまった」

ニヤニヤ笑いを浮かべながら、世界の表情をのぞき込もうとした途端、飛葉の身体は強い力で抱きすくめられた。

「それじゃ、今度は俺の番だ」

そう言って世界が口づけようとするのだが、飛葉はそれを何とか逃れようとする。

「おい、やめろよ。他の車、来たらどうすんだよ」

「気にするな」

「馬鹿言ってないで、離せってば」

飛葉の抗議や抵抗など全く意に介さぬ世界が、飛葉の唇をふさいだ。飛葉の身体から緊張が薄れ始めたのに気付いた世界が、飛葉の身体を拘束するためにではなく、包み込むために両腕に力を込めると、飛葉もまた少し爪先立ちになって世界の口づけに応えようとする。

 突然向けられた眩しい光に、パーキングエリアに大型車が入ってきたことに気づき、二人は素早く身を離した。長い口づけからようやく解放された飛葉の頬は紅潮している。

「まだ寒いのか? 顔が赤いぞ」

世界のからかうような言葉に、飛葉は唇をへの字に曲げ、面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「次のサービスエリアでガソリン入れるぜ」

メーターをのぞき込みながら飛葉がゴーグルを着ける。

「東京まであと2時間と少しか……。着く頃には日付もとうに変わってるな」

世界が投げ捨た煙草を足でもみ消した。

「風呂屋……もう閉まってるよな……」

夜空を仰ぎながら溜息をつく飛葉の肩を軽く叩き、

「うちに寄って行け。風呂くらいなら使わせてやる」

と、世界が言う。

「そりゃ、ありがてぇや」

キックペダルを踏み下ろすと力強い音をたてながら、エンジンが回り始めた。

 世界がサングラスをかけ直す。飛葉はエンジンに手をかざしてアイドリングの具合を確かめると、グローブを着けた。

「さ、行くか」

「ああ。早く帰って熱い風呂だ」

二人は顔を見合わせてニヤリと笑い、夜の高速道路に再び走り出ていった。


高速道路を長時間走ると、ゴーグルの痕がつくのは本当です。
あと、冬場のライダーは飲むためではなく、
指先や顔をあたためるために缶コーヒーを買います。
小銭が切れてたり、売り切れてたりするのも悲しいですが、
もっと悲しいのは妙にぬるい缶コーヒーしかない時です。
寒い時期、ライダーの兄さんたちはやたらスキンシップが密になりますが
それは暖をとるための必然性からだと思います。たぶん……(笑)。


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