雨上がり―1―


「そういや、あれからどうしたんだ?」

と、八百が言った。できるだけ何気なく訊いたつもりだったが、聡い世界は彼が飛葉と世界の関係を野次馬よろしく見物していることは承知している筈で、彼自身もそれを知った上で、敢えて野暮な台詞を口にしたのだ。

「飛葉のヤツ、随分としょぼくれてただろ? ちゃんと慰めてやったかい」

だが世界は表情を変えることなく、

「風呂を使わせて、酒の相手をさせた」

と、答えた。

「酒? 飛葉は下戸じゃねぇか」

「ああ。酒の代わりにラーメンを食ってた」

八百は腑に落ちないというような表情を浮かべた後、意味深な笑みを浮かべる。

「ちったぁ、進展したのかと思えば、相変わらぐずぐずしてやがんなぁ」

八百は呆れた顔で、酒の肴に持参した甘納豆を口に放り込み、

「落ち込んでる飛葉を慰めて、その後でじっくりと口説きゃいいのによ」

と、世界を見た。世界は相変わらず表情を変えずに八百の視線を受け止めると、

「馬鹿を言うな」

と答えた。

「まぁ……飛葉の弱みにつけ込むような真似ができないのはわからんでもないがよ。このままじゃ、いくら何でもどうにもならないんじゃないか」

「急いたところで、どうにもならんのは同じだろう」

「いつまで見てるつもりだ」

「さぁな」

八百は慎重すぎる世界の態度に肩を竦め、持参したバーボンをグラスに注ぐ。

「馬に蹴られる趣味はねぇがよ、あんたを見てると時々じれったくなる」

「性分だ。仕方ない」

年齢の差が大きすぎるからなのか、それとも飛葉が同性故に一歩を踏み出せずにいるのか。それはそれで、およそ愛想のない寡黙な世界らしいかもしれないなどと考えながら、八百は空になった世界のグラスに琥珀色の酒を注いだ。

 そして八百が世界におもしろ半分に発破をかけようとした時、玄関のドアが勢いよく叩かれた。

「じゃまするぜ」

と言いながら、紙袋を抱えた飛葉が顔を出す。

「なんだ、八百も来てたのか。まぁ明るいうちから酒なんか飲んで、いいご身分だねぇ」

などと言いながら笑う飛葉に、先日の頼りなげな面影はない。

「なんだとはご挨拶だな。それより飛葉。お前のほうこそ、鼻が利くじゃないか。福屋の豆大福あるぜ」

八百の言葉に飛葉は蹴り捨てるように靴を脱ぐ。その無邪気な姿に八百が

「あれじゃ、手も出せねぇか」

と、世界に耳打ちする。

◇◇◇

 畳に座り込んだ飛葉は大福を頬張りながら、世界に紙袋を渡した。

「こないだ借りた服と、ラーメンだ」

「服はわかるが……なんでラーメンがあるんだ」

「あんたが作れるのは、これしかねぇだろ。こないだ買い置きの分、全部食っちまったからよ」

そう言うと飛葉は部屋の隅にあった電気ポットを取り、茶を煎れるために立ち上がった。そして世界と八百に茶を飲むかと問いかけてくる。八百は飛葉に彼と世界の分を煎れてくれと答えた後、ニヤニヤと笑いながら世界の顔を見た。

「相変わらず、随分な懐きようだな。おまけに律儀でかいがいしいときちゃ、旦那が猫可愛がりしたくなる気持ちも、わからんではないねぇ……」

八百のあからさまなからかいを、世界は敢えて無視して茶の支度をしている飛葉に言う。

「おい、八百の茶はいらんぞ。女との約束があるから、そろそろ帰るらしい」

世界の逆襲に八百は無言で目を見開き、それから腹を抱えて大きな声で笑い始めた。八百の笑い声に驚いた飛葉が和室を覗くと、涙を流しながら笑い転げている八百と、仏頂面で酒を飲んでいる世界の姿があった。


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