穏やかな休日―3―


白髪の老人が作る洋食はどこか懐かしい味がする。老店主と個人的に言葉を交わしたことは殆どなかったが、飛葉はこの店が気に入っていた。理由のようなものは特にない。ただ老店主の姿を見ているだけで気分が落ち着き、料理が心をあたためてくれる。この古ぼけた洋食屋に、飛葉がこれまで抱いていたイメージはこんなところだったが、向かいの席でメニューに目を通している世界を見て、飛葉は『なるほど』と思った。何が『なるほど』なのか、具体的なことはわからない。けれどこの店と老人、そして世界の中に共通するものがある。飛葉が感じている好意的な感情や、彼自身を包み込むような空気の温度が似ているのかもしれない。飛葉は世界とともに料理を選びながら、そんなとりとめのないことを考えていた。

「飲まねぇの?」

「お抱え運転手の今日ばかりは、そうもいかんだろう」

飛葉は小さく鼻を鳴らすと、カウンターの中にいる店主にビールを注文した。

「帰りは交替だ」

「いいのか?」

「後ろに乗ってるだけってのも、けっこう退屈なんだよ」

世界がビールを飲み、飛葉は運ばれた料理を次々に口に運ぶ。晩酌をしているせいで箸の進みの遅い世界に飛葉は時折文句を言い、まるで自分が作ったかのような態度で店の自慢をする。他愛のない会話とゆったりとした気分を満喫した夕食の締めくくりには熱いコーヒーを飲み、二人は店を後にした。

◇◇◇

飛葉は世界の住む文化住宅の前にバイクを停めた。秋めく風の中、しかも日が暮れてから小一時間も走るとやはり身体が冷える。こんな夜は熱い湯に浸かり、さっさと寝るに限るとばかりに尊大な態度を見せる飛葉を、世界は苦笑いしながら部屋に迎えた。

「俺が出るまでに、頭をちゃんと乾かしておけよ」

朝、宣言したとおりに一番風呂から上がった飛葉に、世界が声をかけた。あからさまな子ども扱いに飛葉が憎まれ口を叩き、世界はそれを笑顔で流しながら風呂場に消える。いつもと変わらないやりとりの後、飛葉は押入から布団を引っぱり出し、部屋の主の了解も得ずに布団に潜り込み、手近にあった雑誌のページをめくっていた。風呂から上がった世界は濡れた髪のまま布団の中にいる飛葉に呆れはしたが、非難めいた言葉を口にしたりはしなかった。

「髭、剃ったんだな」

「ああ。ぶーたれるヤツがいるからな」

飛葉は隣で横になっている世界の顎に頬をすりつける。最初の何度かは試すように、その後はまるで子猫が母猫にじゃれるように。世界は子どものような飛葉をからかいながらも、愛しげに少しクセのある柔らかな髪を指先で梳いてやる。顎の辺りに触れても特に抵抗がないことを認めた飛葉は世界に口づけ、首筋や耳元を唇で辿り始めた。

「飛葉……。お前、人が黙っているのをいいことに、どさくさに紛れてなにをしてるんだ?」

世界が尋ねたが、飛葉は何も答えずに全身で世界の身体の輪郭を辿る。

「飛葉、おい」

「嫌なのかよ」

「昨日の今日だぞ?」

「それがどうした」

「……」

組み敷かれるままに、蒲団の上に仰向けになっている世界の唇を飛葉がゆっくりと塞いだ。ついばむような口づけから次第に激しさを増す唇の動きに、飛葉は身体の奥がゆっくりと熱を帯びていくのを感じた。世界からの積極的なリアクションはないに等しかったが、彼もまた自分と同じように身体を熱くしているのだと飛葉は確信している。

「嫌ってワケじゃねぇよな?」

「お前、身体は大丈夫なのか?」

「心配ばっかしてると、マジで耄碌しちまうぜ」

飛葉が笑いながら言い、再び世界に口づけた。

「なぁ……やろうぜ」

「人の話を聞いてないな?」

「今日一日、俺の言うことは何でも聞くって、あんた約束したろ?」

頬を紅潮させた飛葉が、挑発的とも言える視線を世界に投げかけた。

飛葉の視線を受け止めた世界は、力強い腕で飛葉の腰を引き寄せる。そして今も鮮やかに残る昨夜の激しい情交の名残を指で、唇で確かめるように動く。そのたびに飛葉は全身を強く震わせた。

「俺は昨夜、どんな風にお前を抱いたか教えてくれ」

世界の言葉に飛葉の面に朱が走る。一瞬の躊躇いの後、飛葉は世界の手を赤い花びらへと導いた。

「ここ……それから……ここも……あんたがこんなにしたんだ」

羞恥心のためか、心身を翻弄する快楽のためなのか定かではなかったが、飛葉の語尾は次第に熱く乱れる息にかき消され、その大部分が声にはならなかった。だが若い身体は驚くほど素直に欲望を露にし、それを満たそうとするように揺れ動いていた。

◇◇◇

「ここ」

飛葉が世界の鎖骨のあたりに触れる。

「俺のと同じとこにある」

飛葉が指さした場所には小さな薄紅色の印があった。

「これがあるうちは、怪我ができんな」

「やっぱ、気になるのか?」

「ああ。他のヤツらには見られるのは癪だろ? こういうものは当事者だけしか知らないほうが粋ってもんだ」

世界はそう言うと、腕の中にいる飛葉を抱く腕に力を込めた。


今年の残暑は呆れるほどで、
夏に腐り果てた煩悩を癒すこともできませんでした。
で、なんだかんだとやってるうちに、飛葉の性格が変わってしまったり、
世界が救いようのないエロオヤジになってしまったりしました。
なんつーか、まぁ、世紀末にふさわしい出来事ってことで……(苦笑)。
それにしても初期の、純情な飛葉はどこに行ってしまったんでしょう……。
これ、人並みにデートな二人と、ももきちに言われるまで、
全然、そんなことに気がつきませんでした。
私には食い意地張りの介の遠征くらいにしか……。
そうかぁ、デートかぁ……。


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