宇宙は一人の女王によって治められている。
女王はその白い翼で生命の全てを慈しみ、未来へと導く。
そして宇宙を構成する9つの要素は、9名の守護星の裡に息づいている。
守護星に支えられ、女王は宇宙の成長を見守っている。
それが我々が生きる宇宙の摂理である――――――。
◇◇◇
ジュリアスの鋭い視線に射抜かれたエルンストは掠れた声で、自らの非を詫びた。「そのような言葉など……!! どうなのだ、エルンスト。王立研究院の面目にかけ、一両日中に闇の守護聖を筆頭とする調査団の確保と召還を行うのだ」
「只今、全研究院が全力でクラヴィス様方の救出計画を進めております。しかし……」
光の守護聖の圧倒的に気迫に圧され、王立研究院の主任を務めるエルンストは一瞬言葉を詰まらせた。けれどすぐに日頃の沈着さを取り戻す。
「しかし現在、対象となる惑星周辺の宙域は激しい電磁波の嵐に見舞われております。今、救出隊を差し向ければ二次遭難の危険性があります。おそらく調査隊でも同様の判断を下し、嵐が過ぎ去るのを待っている筈です」
「何故、そのようなことがわかるのだ」
「調査隊のリーダーは私が最も信頼を寄せている者です。彼は何よりも守護聖様の安全を優先しているに違いありません。王立研究院の職員は宇宙の繁栄と発展を見守るのを至上の義務としています。だからこそ守護聖様の安全を最優先する。王立研究員の職員は、その一人一人が義務と責任を果たすため最善の選択をしている──私はそう信じています」
王立研究員を預かる立場にある者としての誇りを、共に宇宙を見守ってきた仲間達の名誉を守るために、エルンストは8名の守護星を前にしても一歩も退こうとはしない。
「私も信じているわ、エルンスト」
鈴を鳴らすような声が、一発触発の緊張を破った。
「女王試験の時、王立研究員の人達にお世話になったこと、今でも忘れられないの。皆さん、本当に一生懸命にお仕事に取り組んでいて、何も知らない私にもとても親切にしてくれたわ」
「あの頃が思い出されますわね、陛下」
涼やかな言葉が女王の言葉を継いだ。
「提供されたデータは正確であるだけでなく、研究員の人柄を表すように様々な角度から充分に検討されたものでした。それに宇宙を見守る皆の心はとてもあたたかでしたわ」
「ええ、そうよ、ロザリア」
輝く金色の髪を揺らして、宇宙を滑る白い指を持つ少女が傍らに立つ藍色の瞳の少女に微笑む。女王補佐官の錫杖を床につく乾いた音が謁見の魔に響き渡る。
「クラヴィスを含む調査隊の捜索と救出は、王立研究員の指揮下で行うものとします。その際、必要であれば王立派遣軍の出動を要請するといいでしょう。また今回の王立研究員の要請は最優先されるよう手配してください、オスカー」
炎の守護聖が膝を折り、女王の意思に従う姿勢を示した。
「あ〜〜、でも、どうします? 二日後の陛下の御即位一周年の祝賀行事に闇の守護星がいないとなると、大騒ぎになったりしませんかね〜」
「首座の守護聖のジュリアス様の、光の守護聖と対をなすクラヴィス様の不在は、民に不安を与えかねません。私も、それが気にかかります」
地の守護聖・ルヴァの言葉を受け、水の守護聖・リュミエールが優しげな顔を曇らせる。
「でも助けに来てくれた人達にまで何かあったら、却ってクラヴィス様は悲しまれるんじゃないかな」
「そううだな、マルセル。クラヴィス様はああ見えて、本当は優しい方だもんな」
緑の守護聖・マルセルと風の守護聖・ランディが顔を見合わせる隣で、鋼の守護聖・ゼフェルは欠伸をかみ殺している。それを見とがめたルヴァがゼフェルを咎めたが、そんなものはどこ吹く風と言わんばかりに銀色の髪の少年が女王と、その補佐官に問う。
「で? クラヴィスがいないのをごまかす算段くらい、もうできてんだろ? お二人さんよ」
そのくだけた口調にジュリアスが眉を顰めたが、女王は気にも留めずに明るく答えた。
「もちろんよ。ね、オリヴィエ、もう準備はできていて?」
「も・ち・ろ・ん。もう、私ってば最高って感じよ〜ん」
きらびやかな衣装に身を包んだ夢の守護聖sがウィンクしながら指を鳴らしたのを合図に、独創的な衣装の従者が二人、黒い大荷物を抱えて入室した。
「あ〜、オリヴィエ。これは一体……」
「クラヴィスの着ぐるみですわ」
「着ぐるみ?」
「そうよ、オスカー」
「クラヴィスの身代わりを立て、祝賀行事はやり過ごします」
“ねぇ”と声と顔を合わせた女王と女王補佐官、そしてオリヴィエに非難めいた視線が集中する。
「何考えてんだよ、おめぇらはーーーー!!」
「そうですよ、いくら何でも着ぐるみでクラヴィス様の代役を仕立てるなんて、あんまりです」
「けど、他に方法がないなら、しょうがないかも知れないよ、ランディ、ゼフェル」
「うるせぇ! 他に言うこたぁ、ねぇのかよ!! 他によぉ!!!」
ふざけているにも程があると怒鳴り散らすゼフェルと、それを宥めるランディが取っ組み合いを始めそうになるのをマルセルが引き離し、ルヴァに引きずられるように拿捕されたゼフェルは憤懣やるかたないと言わんばかりの表情を浮かべた。
「それでは祝賀行事に関する詳しい説明を行います」
女王補佐官の凛とした声に、騒然としていた室内が水を打ったように静かになる。
「エルンスト。あなたはオリヴィエの所に行って、正確な採寸と仮縫いをしてもらってね」
「私……ですか……? 陛下……」
「そうよ、エルンスト。あなたがクラヴィスの着ぐるみの中に入って、祝賀行事で影武者になるの。あなた方に責任がないのはわかってるんですけど、だからって何もしないでいたらきまずいでしょう? だったら王立研究院で一番エライあなたが着ぐるみを着るのが一番だと思ったの」
どうだ、名案だろうと自信たっぷりに微笑む女王に、女王補佐官も完璧な笑みで応えた。しかし謁見の間に会した8名の守護聖と王立研究院主任は、これ以上ない程の脱力感に見舞われた。
「女王陛下……お言葉ですが……」
気力のありったけを振り絞り、ジュリアスが耐え難い沈黙を破る。
「エルンストにクラヴィスの代役が務まると、本当にそうお考えなのですか。儀礼的なものが主となるとは言え、式典ではクラヴィスが口をきく機会も少なくありません。今一度、お考え直しください」
「もう、ジュリアスったら、本当に生真面目なんだから」
女王というよりも少女のようなと言う言葉が似合う笑顔で、女王が言う。
「非常事態なんだもの、そんなもの、どうとでもしたらいいじゃない」
「そうですわ、ジュリアス。あなたはエルンストが……クラヴィスが頷くだけで式次第が滞りなく進められるよう、全ての予定をチェックして、それから必要な訂正や変更を加えてください。ルヴァ、あなたはジュリアスのサポートを頼みます」
「はい、承知しました」
万事につけて鷹揚な地の守護聖は、突然のことに肩を振るわせているジュリアスに笑いかける。
「何とかなりますよ〜、ジュリアス。この世界に何とかならないものなんて、多分存在していないんですよ。何とかできるか、できないかは、心の持ちようです」
「しかし……」
「もう、ジュリアスってばさ、いい加減にしなよ、ね? こういう時は開き直ったが勝ちなんだよ、何年も生きてるクセにさ、そんなこともわかんないなんてガキみたいなこと言ってんじゃないわよ!!」
玉座に最も近い場所にいるジュリアスにオリヴィエが話しかけ、それからジュリアスと対峙した位置であまりのことの展開に硬直しているエルンストの背中を勢いよく叩く。
「ほっらぁー、エルンストもさ、黙って立ってるだけでいいんだからさ、あんたは。後はジュリアスが上手くやってくれるんだから、ね? 心配しないでいいんだよ。あんたの見た目は、私にバッチリお・ま・か・せ。ね? ヘアもメイクも最高にきめてあげるからさ」
矢継ぎ早にまくし立てるオリヴィエは明らかにこの騒ぎを楽しんでいることが見て取れる。ゼフェル、ランディ、マルセルの三人は今回の騒動の中心にならずにすんだことを心の中で喜んだ。
「でも帰れなくなったのがクラヴィスでよかったわ」
小首を傾げ、女王が言った。
「だってクラヴィスだったら何も喋らなくても、誰もおかしいなんて思わないものね。私達さえ黙っていれば、他の人には絶対にわかんないもの」
「本当ですわ、陛下。頷くだけで公務をしている振りができるのは、彼くらいのものですし、今回は不幸中の幸いと言えますわね」
無邪気な女王の言葉に、それに応じる女王補佐官の言葉にリュミエールは、日頃から親しくしている闇の守護聖が誤解されている現実を心中で嘆き、オスカーはそのとばっちりを毎回受けざるを得ない、彼が忠誠を誓った光の守護聖の不幸を忍ぶ。
「さぁ、みなさん! クラヴィスの不在でお忙しいこととは思いますが、祝賀行事の成功のためにも頑張ってくださいませ!!」
錫杖を鳴らすロザリアの言葉は女王の絶対の命令を、謁見の間に会した全員に告げた。
◇◇◇
二日後、女王即位一周年記念祝賀行事は前代未聞の秘密を抱えたままで執り行われた。式次第には何ら問題はなかった。ただ集まった人々の目には笑いを必死で押し殺している風と鋼と緑の守護聖達と、悲壮感漂う水の守護聖の姿が強い印象を残ったと、この日の様子を伝える文献に記されるのみとなった。
そして真実は、関係者以外の誰にも告げられることはなかったのだ。
主役はクラヴィスです。
どんな事態にも自分の楽しみを忘れない女王は無敵だと思います。
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