正直者のゼフェル君の、しびれる日々への序章
いつものように聖地をこっそりと抜け出したゼフェルは、○○シティと呼ばれる町はずれの森で1匹の不思議な動物に出会った。それは彼がこれまで一度も目にしたこともない動物だった。体長はおよそ40センチといったところか。身体全体が鮮やかな黄色、背中に茶色の縞模様が2本、天に向かって長く伸びた耳の先端は黒い。身体の大きさにしては比較的大きい尻尾はジグザグに曲がっている。何よりも印象的なのは黒くてつぶらなまん丸い瞳と頬の部分にある赤く丸い模様だった。
『何だ、コイツ。ずいぶんと愛嬌のあるツラしてやがるじゃねーか』
ゼフェルはやや猫背気味の黄色い生き物から目が離せなくなった。彼が育った惑星ではもちろん、聖地でも見たことのない生き物はゼフェルに気づくと小首を傾げ、「ピカチュウ」と鳴いた。その卑怯なほどにかわいらしいしぐさに釣られてしまったゼフェルは、黄色い生き物を捕まえるために素早い動きで駆け寄り、犬や猫を捕まえる要領で抱き上げた。途端にその生き物は発光し、ゼフェルの手から逃げ去り、ゼフェルはその場に倒れた。
数十秒後、我に戻ったゼフェルは体中に残るしびれを感じた。
「ててて……。あー、びっくりした。アイツ電気なんか出しやがるなんて……くそっ。まーだ、あちこちビリビリしてるゼ」
ゼフェルは日が暮れるまで「ピカチュウ」となく黄色い生き物を探したが、見つけることができなかった。ぜひあの動物をペットにしたいと考えていたゼフェルだが、これ以上この惑星に留まると聖地を抜け出したことが彼のお目付役の地の守護聖にばれ、途方に暮れるほど長い時間説教を喰らう羽目になる。小言を聞くだけのために1日を潰すことだけは何としても避けたかったので、ゼフェルは未練を残しながらも聖地に戻った。
聖地に戻ったゼフェルはルヴァの館へ向かった。知恵を司る地の守護聖である彼ならば、先刻の惑星で出会った黄色い動物の正体を知っているのではないかと考えたのだ。予想通り、ルヴァはゼフェルの質問によどみなく答えてくれた。
「あー、それはですね、ポケットモンスターという種類に属する生物で、おそらく『ピカチュウ』と呼ばれる種だと思います。電気ネズミに属する生物で成長に伴い進化を遂げるんです。あなたの言っているものはおそらく幼体の『ピカチュウ』でしょう。そうそう、進化を遂げたものは『ライチュウ』と呼ばれているそうです。人にはなかなかなつかなくて、不用意に触れたりすると電気を発生して身を守るんです。両頬にある赤い模様は電気袋で、ここの部分に蓄電するそうですが……」
ルヴァは全宇宙生物図鑑を示しながら説明した。そこにはゼフェルが出会った黄色い生き物の図版が掲載されている。
「……。ゼフェル、あなた、まさか聖地を……」
「あっ、俺急用を思い出したから行くわ。じゃーな、サンキュ、ルヴァ」
ルヴァの説教が始まりそうな気配を察知したゼフェルは、さっさと地の守護聖の部屋を後にした。
たった一度の出会いですっかりピカチュウに夢中になったゼフェルは、得意のメカ作りの技術を駆使して彼だけのピカチュウを作り上げた。常ならば角張ったロボットばかり作っているゼフェルだが、今度ばかりはかの愛らしさを忠実に再現するために鈑金加工で曲線を叩き出し、触れると「ピカチュウ」と鳴く仕掛けを作り、さらにある程度以上の強さで触れると弱電流が流れ、触った人間が軽いしびれを感じるようにもした。弱電流が発生する装置は、電気が人間の身体を通る性質を応用したものだが、こういった細工は器用さを司る鋼の守護聖である彼にとっては、朝飯前の作業だ。ジグザグに曲がった尾の部分にはアンテナを仕込み、リモコンで操作できるようにもしてある。その出来にすっかり満足したゼフェルは、さっそく『メカ-ピカチュウ』を連れて森へ散歩に出かけた。
森の湖に人気はなく、『メカ-ピカチュウ』の操作性も上々。そっと触れると愛らしい声で「ピカチュウ」と鳴いてまでくれた。すっかり舞い上がったゼフェルは湖の方向へ『メカ-ピカチュウ』を全速で走らせ、水際で急旋回させようとしたが、わずかな差で彼の傑作は湖の底へ落ちてしまった。
「あちゃー、やっちまった。あんまり深くない所に落ちてりゃいいんだけどナ」
とぶつぶつ言いながら、ゼフェルは湖へ入ろうとした途端、湖から一人の男が現れた。その人は光の加減で水色に見える銀色髪を持ち、瞳は淡い空の色をしていた。優美なほほえみを浮かべたその姿は、ゼフェルの同僚でもある水の守護聖、リュミエールによく似ていた――というよりも、瓜二つである。
「なんだよ、リュミエール。アンタこんなとこで巣潜りする趣味でもあるのかよ」
ゼフェルの問いに、湖から現れた男は答えた。
「私はそのような名前ではありません。私はこの湖に住む妖精です。
先程何かが水底にある私の家の庭に落ちてきました。どなたの持ち物かと思ってここまで来たのですが……」「ああ、俺よー、ついさっき、『メカ-ピカチュウ』――ラジコンのロボット落としちまったんだけど」
「ええ、これくらいの背の高さのものですか」
湖の妖精は手でだいたいの大きさをゼフェルに示しながら訪ねた。
「それそれ。アンタんとこに落っこちまったのか。騒がせて悪かったな」
「いいえ、私はかまいません。お返ししたほうがよろしいですね?」
「えっ、マジ? そうしてくれたら助かるゼ」
「では、すぐに持ってまいりますね」
ほほえみながら湖の妖精は水中へ没したかと思うと、すぐに戻った。
「あなたが落としたのは金のピカチュウですか。それともこちらの銀のピカチュウですか」
彼の右手には黄金に輝く『メカ-ピカチュウ』が、そして左手には陽光を反射して虹色に輝く銀のピカチュウが乗せられていた。彼が自ら作った愛しのピカチュウが現れなかったため、ゼフェルはがっくりと肩を落として湖の妖精に言った。
「俺の落としたヤツは、もっと普通のヤツだよ。ただの鉄のボディにアルミメッキをしただけの」
「申し訳ありません。ではもう一度探してまいります」
再び姿を現した彼が手にしていたのは先刻の金色のものと、鈍色に塗装されたものだった。
「ちっがーう!!俺が落としちまったのは、鋼の『メカ-ピカチュウ』だーっ!!」
ゼフェルは力の限り叫んだ。あまりにも大きな声を出したため、息が荒くなり肩が上下している。
「あなたは大変な正直者ですね。さぁ、あなたの大切な鋼の『メカ-ピカチュウ』をお返しします。それから正しい心を持ったあなたにご褒美として、金と銀のピカチュウをさしあげましょう」
ゼフェルに『メカ-ピカチュウ』を渡しながら、湖の妖精は言った。そしてゼフェルが湖の妖精に礼を言おうとした時には、すでに彼の姿はなかった。
「ちぇ、礼ぐらい言わせろよな」
とゼフェルが一人ごちた時、水面から無数のピカチュウが現れた。わらわらと岸に上がってきたピカチュウに、ゼフェルはあっと言う間に取り囲まれ電気攻撃を受け、その場に倒れ込んだ。金や銀、鈍色のピカチュウはゼフェルが意識を失ったのを確認し、その場を後にした。しかし湖からは次から次へと無限にピカチュウが出現するため、数時間後には聖地は3色のピカチュウで埋め尽くされた。
ゼフェルが意識を取り戻した時、取り戻したはずの彼だけの『メカ-ピカチュウ』は消えていた。彼は湖畔を埋め尽くす無数のピカチュウを見て叫んだ。
「くっそー。なんなんだよ、これは!!俺の『メカ-ピカチュウ』はどこに行ったんだよ!!」
ゼフェルはそれから数日間の間、『メカ-ピカチュウ』を求めて聖地をさまようことになった。
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