ジュリアス様の華麗なる食卓
食生活というものは、人間の生活の根底をなす非常に重要なものである。食生活における嗜好はおおむね幼児期に、或いは離乳期にその基本がつくられるため、人の嗜好というものを成長してから変更するのは、いくつかの例外を除いて不可能だとも言えよう。そのため食生活の違いは、思いもかけない場面で人々の心を、そして運命さえも左右する要因となりうるのである。
例えば食事の嗜好の不一致は、良好な人間関係を構築する上で、きわめて大きな障害となることもある。それが全く異なる環境で育った者同士の場合、修復不可能な破局をもたらしかねない。恋人同士、または夫婦は何よりも強い愛情という名の絆で結ばれてはいるものの、慣れ親しんだ食生活の違いがいさかいを招き、その結果それぞれが別の人生を歩みなおすといった場合も少なくない。食欲が人間の三大本能の一つである限り、性の不一致と同じくらい、時にはそれ以上の重みで人の人生に関わっているのだ。
◇◇◇ ある日の曜日のことである。アンジェリークは光の守護聖ジュリアスの招きで、あるレストランに向かっていた。休日だからと、アンジェリークは女王試験中に身に着けている母校の制服ではなく、聖地に赴く前に買ったばかりのワンピースを着ていた。ジュリアスにほのかな恋心を抱いている彼女は、少しでも美しいと感じてもらえる装いで彼に会いたいと考え、聖地に持ち込んだいく着かの衣服の中から、一番の気に入りの淡い色の服を選んだのであった。ワンピースに合わせた髪飾りをつけ、彼女よりも年上で落ち着いた雰囲気を持つ光の守護聖の前に立つために、少しだけ大人っぽい形に整えた。そのため店に入るのは、約束の時間ぎりぎりになりそうだった。昨夜の予定ではジュリアスよりも早く到着し、彼の到着を待つつもりだったのだが、装いを整えるのに思いのほか時間がかかってしまい、駆け足で彼の待つ店へと向かっていた。
約束の5分前、ジュリアスはすでにテーブルについていた。寮から走ってきたために息を弾ませているアンジェリークに、ジュリアスは穏やかに微笑みかけ、椅子を勧めてくれた。普段の誇り高く、厳しい表情からは想像もできないようなやさしい光の守護聖を、彼女は意外に感じながらも嬉しさを隠せなかった。軽い口当たりのワインでささやかな乾杯をし、他愛のない会話を交す。このまま時が止まってしまったらどんなに幸福だろうと、アンジェリークは心から考えるのだった。
やがて様々な香辛料とソースが醸し出す料理の香りが鼻孔をくすぐり、昼食の始まりを告げた。テーブルの上に並べられた数え切れないほどの皿を見て、アンジェリークは驚いた。
「どうした、アンジェリーク。随分と驚いているようだが。そなたはこういった料理は初めてなのか。そうか、では私が素材や料理方法を説明してやろう。まずこれはウズラの脳髄のシチューだ。そしてこちらはガルムに浸けた針ねずみ。ガルムというのは鯖の内臓と新鮮な血で醸造したソースで、どのような料理にもよく合う逸品だ。次はラクダの踵のソテー、孔雀の卵を使ったオードブル、紅鶴の舌のスープ、朝鮮薊のサラダ、そしてそちらは生きた雄鶏から切り取ったとさか。このとさかは生のまま食すのが、最も美味だ。これは青海亀のスープ、それから……」
アンジェリークは軽い目眩を感じたが、必死で遠ざかろうとする意識をつなぎ止めた。彼女にとってラクダや孔雀は動物園にいるものであり、海亀は水族館で泳いでいるものであった。先ほどからジュリアスは、一つ一つの料理の説明をしてくれているが、それらに使われている素材は、彼女にとっておよそ食材と思えるものではなかった。それどころか、耳にしたこともないような言葉が次から次へとジュリアスの形の良い唇から発っせられ続けている。
「まずは、こんなところだ。どうした、顔色が優れないようだが……。大丈夫か、そうか。では最高のランチを始めるとしよう」
と、言われても、アンジェリークにはそれらの料理を口にする勇気がなかった。しかし、あこがれのジュリアスの厚意を無にすることはできない。ありったけの勇気を振り絞って一口、また一口と食べてはみるが、どれも彼女にとって美味しいとは感じられなかった。料理によっては何とも言えない嫌な感触や匂いが口に広がり、涙をこらえなければならないこともあり、なかなか食が進まない。それに一体何人の人間に食べさせるつもりなのだろうと思うほど、大量の料理が運ばれてくる。その様子を見ているだけで、アンジェリークは満腹感を覚えてしまうのだった。そんな彼女の様子に気付いたジュリアスが言った。
「どうした。何? もう入らないと申すのか。ではこれを持って奥の部屋に行ってくるとよい」
と言って、彼はアンジェリークに孔雀の羽を手渡した。その意味が理解できなずに立ちすくんでいる彼女を愛しげに見つめ、ジュリアスはやさしく声をかけた。
「そなたは本当に何も知らぬのだな。いや、悪い意味ではないのだ。そう、無垢な幼子のようなそなただからこそ、こうして食事に誘ったのだ。それにわからぬことは一つづつ、私が教えてやろう。
食事の途中で満腹感を覚え、これ以上食べられないと感じたら別室に入り、この孔雀の羽で喉の奥を充分にくすぐるのだ。ほどなく嘔吐感を覚え、胃の中に収まっていた食べ物を吐き出すことができる。それを何度か繰り返した後、食事を再開するのだ。わかるか」
『わかりたくありません!』
彼女は心の中で叫んだ。
「どうした、妙な表情をしているぞ。寮からここまで駆けてきたものだから、食事を楽しむにはコンディションが良くなかったのかも知れぬな。今日はもう、戻った方がよいのではないか」
途方に暮れているアンジェリークの様子を好意的に解釈したジュリアスは、心配そうに彼女に話しかけた。
「いや、私のことは案ずることはない。そなたは女王試験中の大切な身なのだから、自重した方が良いだろう。さあ、送っていこう」
◇◇◇ 馬車にゆられている間もジュリアスは、アンジェリークを気遣ってくれていた。しかし彼女は光の守護聖に寄せていた淡い想いが、急速に冷えていくのを感じていた。
◇◇◇ ジュリアスには罪はない。ただ二人がこの世に生を受けた時代が、あまりにも違い過ぎた。ジュリアスはわずか5歳で光の守護聖として聖地に来た。守護聖は一般の人々よりも遥かに長い、永遠ともいえる時を生きているため、アンジェリークとの実際の年齢の開きは数世紀にもなる。ジュリアスはアンジェリークの生まれた時代には、既に歴史的文献にしか記載されていないような食事を食べて育った。それは現代人の理解の範疇を遥かに超える内容だった。そのためお互いに想いを寄せ合っている二人を、より親しい間柄にするはずの昼食は、どうしても埋めることのできないギャップを露呈し、共に人生を歩める相手ではないことを示すだけのものに終わった。
アンジェリークはジュリアスに嫌われないためなら、大抵のことはできると考えていたが、それが大きな間違いであることを知った。もしも彼と結ばれたなら、おそらく毎日のように今日、先刻のレストランで出されたのと同じ料理が食卓を飾るだろう。そして孔雀の羽を使いながら、人間が食べるとは思えない量の食事を取ることになるのだ。それだけは耐えられない。理性も本能も、あの食事を拒否している。そしてその感情はジュリアス自身さえも拒絶してしまうのだった。
◇◇◇ 翌日からアンジェリークはジュリアスの執務室に顔を出さなくなったが、日の曜日の昼食ですっかり気を良くした光の守護聖は、自ら光のサクリアを彼女のために贈った。彼の熱い想いがアンジェリークに届くようにと願いを込めて……。
なんとなく、ジュリアスのいかにもお貴族様な衣装を見ると、
つい悪食で有名な末期ローマ帝国の貴族を思いだしてしまうだけです(笑)。
ほんとに、もうそれだけの話ですよ。
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