初  陣 1


 「どうして新町方面の配達に、アルフォンシアとルーティスを連れて行くんですか」

少年は下宿先であり、彼の雇い主の妻でもある女性に尋ねた。

「それはね、ティムカ。新町に行くためには公園を通らなくちゃいけないだろ? あの公園にはタチの悪いヤギがたくさんいるからだよ。アルフォンシアとルーティスはまだ子どもだけど聖獣だから、きっとあんたの役に立ってくれるよ」

「ヤギって、あの『メェ〜』って鳴く動物ですよね。ヤギはおとなしい草食動物だから人を襲ったりはしないんじゃありませんか」

女はかぶりをふりながら、大きな溜息をついた。

「普通はね。でもあの公園のヤギは違うんだよ。私が子どもの頃にはもう野良ヤギになっていて、人を襲っていたんだよ。おばあさんの話によると、昔、誰かがあの公園につがいのヤギを捨てたらしくてね。そのヤギが子どもを産んで増えたんだ。最初は街の人たちの人気者だったんだけど、いつの間にかどこからともなく、たくさんのヤギが集まってきてね、気がついた時には手がつけられないくらい増えてしまってたんだ。公園の芝生や花壇の花を食べ尽くした後、お腹を空かしたヤギは人間を襲っては、紙を奪って食べるようになったのさ。ここいらにはうちの他にも新聞販売店があるけどね、どこもヤギには痛い目にあっているんだよ。初めて配達に出るあんたを新町に行かせるのは心配だけど、ものをよく知ってる人間も、元気があり余ってる人間もひどい目にあって辞めちゃってね。だから、あんたにしか頼めないんだよ」

「わかりました。僕、どこまでできるかわからないけど、頑張ります」

少年は元気に答えると自転車に新聞を積み込み、散歩用の紐につながれた聖獣を連れて早朝の街へ出ていった。女は祈るような目で少年の後ろ姿をいつまでも見送っていた。

◇◇◇

 少年の名はティムカという。浅黒い肌と黒い髪、クルクルとよく動く黒い瞳が印象的な容姿と、快活で素直な性格の持ち主であり、普段から礼儀正しく行儀も良いので、彼に対する評価は良いものばかりである。彼が下宿している新聞販売店は、主星でも大手4社に数えられている新聞社の直営店の一つである。長らく学生を対象とした奨学制度を実施していることでも知られており、ティムカの下宿先にも数人の学生が生活を共にしている。学生は毎日の新聞配達をすることにより生活費を得るだけでなく、進学先や経済状態などを考慮して定められた金額の奨学金を受けることができる。新聞配達の仕事は早朝のみとなっており、学業にはなんら支障はないため、苦学生にとっては非常にありがたい制度なのだ。また新聞販売店にとっても、この奨学制度は配達要員の確保に便利なものであった。新聞配達は早朝に、どのような天候であっても中止することができない。また新聞休刊日が設けられているとはいえ、他の職業に比べて休日が少ないために、販売店の殆どが慢性的な人手不足に悩んでいると言っても過言ではない。そのため、若く体力のある人材を得られる奨学制度は、店主にとって願ってもないものなのだ。

 ティムカは熱帯惑星から来た留学生の一人だが、彼は故郷の星に戻れば王太子であり、帰国後即、王位につくことが定められている身分である。その彼が身分を隠して奨学金を受け、働きながら学生生活を送っているのは、執政者となる前に国家を支える市民の生活を体験し、見聞を広められるようにとの父王の心遣いであった。ティムカは父の意志を汲み、王宮では得られない多くの体験をしようと、何事にも前向きに取り組んでいるのだった。その彼の前に突きつけられた最初の試練が、公園のヤギを見事突破して、新町の150軒の購読契約を結んでいる世帯に新聞を間違いなく届けることだったのだ。

 公園を迂回して新町に至る方法はあるにはる。しかしそのルートは自転車を使っても30分はかかるため、家の主が起き出す前に届けるべき新聞配達には向いていない。また各新聞社直営の新聞販売店はそのプライドを賭け、ヤギに営業妨害をされてなるものかと、飽くなき挑戦を続けている。その一人であるティムカは、もしもの時のためにと、必要数の2倍の新聞を携え、初めての配達に出たのであった。

 公園の入り口に到着したティムカは、必要以上の緊張を解くために、数回、深呼吸をした。そして2匹の聖獣に話しかけた。

「アルフォンシア、ルーティス。僕も頑張るから、あなた達もも頑張ってくださいね。奥さんの話では、公園のヤギはずいぶんと獰猛だということですが、今はとても静かだから、きっと大丈夫ですよね」

聖獣と自分を奮い立たせるために、ティムカは努めて明るい笑顔を作り、元気良く自転車にまたがって公園の中へと入っていった。


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