三人が疾く2
一行は追手に追いつかれることもなく、荒れ寺の裏手に到着した。ヴィクトールはルヴァを地面にそっと降ろした。
「ルヴァ先生、読書三昧もよろしいのですがね、もう少し体を鍛えてもらえませんかね」
大の男を担いで走っていたとは思えない静かな呼吸で、ヴィクトールは地面に座り込んでいるルヴァに話しかけた。
「あー、私もそう思って、鍛錬用のからくりを作ってる最中なんですよー。完成間近までいったんですけどね、どうも、思うように動いてくれないんですよー。それで一旦全てを分解して、悪い部分を調整してるんです」
「そんな得体の知れないものに頼ってないで、毎朝、長屋の回りを走りゃぁいいんですよ。
言いたかないが、あんたの発明品は役に立った試しがないじゃありませんか。だいたい今夜、追手が放たれたのだって、ご自慢のからくりが失敗作で、でかい音を出しちまって、屋敷の人間が起き出したからでしょう。いや、今夜だけじゃない、あんたが新作のからくりを使うたびに俺たちは逃げ回らにゃならんのですよ」
「『失敗は成功の母』と言うじゃありませんか。現時点では成功例はありませんが、いずれきっと、素晴らしいからくり作ってみせますから、それまで気長に待っていてくれませんかー?」
飄々と話すルヴァに反省の色は全くない。その様子にヴィクトールは頭を抱えて大きな溜息をつき、隣でクラヴィスは喉の奥でクックッと笑っている。
その時、傍らの茂みがガサゴソと動き、先程の追手の一人らしき男が脇差しを構えてにじり寄ってきた。
「へっへっへ……。こんな所にいやっがったのか。あんまり世話を焼かさせねーでくれよ。仕事人さんよ」
思いがけない展開にルヴァは腰を抜かし、ヴィクトールはルヴァをかばうように身構える。男がヴィクトールとルヴァに切りかかろうと地面を蹴った瞬間、その首に無数の黒い、絹糸のようなものが絡みつく。じわりじわりと男の首を締め上げるそれを目で辿ったヴィクトールは、言葉も出ないほど驚いた。その黒い絹糸はクラヴィスのものだったのだ。つややかな髪の一部が10尺以上の長さになって男に絡みついている。その持ち主は口元に僅かばかりの笑みを浮かべてはいるが、殆ど表情を変えずに断末魔を迎えようとしている男を見つめている。表情に乏しく、親しい者にさえあまり口をきかないクラヴィスは、見事な当て身で相手の自由を奪い、その盆の窪に深く、銀色に光る特製の針を突き立てるが常である。その彼が人間業とは思えない方法で男を亡き者にしようとしている様子を見たヴィクトールは、クラヴィスの顔を凝視するしか術がなかった。そして程なく男は地面に倒れ伏した時、かすれた声で何か言おうとした。
「クラヴィス……あんた……」
その声を遮り、ルヴァがクラヴィスに話しかけた。
「相変わらず、あなたの髪の威力はすごいですねー。おや〜、ヴィクトール、ずいぶんと驚いているようですが……。ああ、あなたはクラヴィスの奥の手を見るのは初めてだったんですねー」
鳩が豆鉄砲を喰らった様子を絵に描いたようなヴィクトールに目をやったクラヴィスがフッと笑うのとほぼ同時に、彼の髪が元の長さに戻った。そして他人事のように自分の身の上を、つぶやくように話し出した。
「……私の母が若かった頃、神隠しに遭ったのだ。数日経って見つかった母に別段変わった様子は見られなかったそうだが、しばらくして腹に子を宿しているのがわかった。その赤子が私だ。人の噂によると、私の父は山に住む妖怪らしい……」
「私は15歳でこの町に越してきたんですがね、クラヴィスに初めて会ったのは犬に追いかけられた時なんです。その時彼は、今と同じように奥の手を使って私を助けてくれたんですよー。私も最初に見た時は本当に驚きましたよー。絵双紙なんかでしか見たことない力が本当にあるんですからねー。それにしても本当にいつ見ても、すごい力ですねー。ヴィクトール、心配しなくても、あなたも今に慣れちゃいますからよ。あ、でも、このことは誰にも言わないと約束してくださいね。でないと、夜の仕事に差し障りが出ちゃいますから」
夜の仕事に差し障りを持ち込むのはクラヴィスではなく、あんたのほうだと言いたいところを押さえ、ヴィクトールは了解の言葉を返し、目の前にいる二人の男と出会った頃に思いを馳せた。
◇◇◇ ヴィクトールがこの町に流れ着いたのは2年前。故郷での彼は領主から篤い信頼を寄せられていた奉行の一人であった。しかし同僚の罠に陥り、故国に住むことができなくなったため江戸にやってきたのだ。流れ者の浪人がまともな役に就けるわけもなく、日々の暮らしは傘貼りの内職でしのいできた。しかし内職で得る僅かばかりの金子で満足な暮らしができるはずはない。ヤクザ者から賭場の用心棒をしないかと誘われたこともある。しかし正義感の強い彼は世間をはばからねばならないような世界に入るつもりは金輪際なく、貧しいながらも清廉潔白な生活を送っていた。
その彼が用心棒よりも世間の目を避けねばならない、果たせぬ恨みを果たす仕事人をしているのは、行き倒れ同然で江戸に着いたヴィクトールに、食事と寝る場所を与えてくれたルヴァへの恩義を感じてのことだ。それがなければすぐにでも足を洗えるのだが、仕事人の元締めとは思えない要領の悪いルヴァを見捨てることができず、柔術の技を使って彼を助けているのである。法では裁ききれない悪党を、人の良心という法で裁くことは悪くない。むしろ、法の網をかいくぐって悪をなし、巨万の富を築いている連中に一泡吹かせるのは、爽快だと言ってももいい。しかも仕事料は前払いなので踏み倒される心配もないし、この仕事で得られる金子はヴィクトールの苦しい台所事情には有り難いものだ。ただしそれには珍しいものが好きで、書物や人づてで得た知識の全てを試そうとするルヴァが、今夜のように珍妙なからくりを出さないという、大前提が必要なのだ。
寺子屋を開いているルヴァは知識はあるが智恵はなく、昼行灯よりも役に立たないと評判の男だ。明るいうちから部屋を照らしている昼行灯が、ようやく役に立とうかという夕闇迫る頃には油が切れてしまい使いものにならず、結局蝋燭だとかを引っぱり出してこなくてはならない。ルヴァは世間様では役立たずとしか言えない人間なのだが、生来ののんき者でバカがつくほどお人好しの彼を慕う者は多く、貧しい者ばかりが住んでいる長屋の一角にあるルヴァの住まいには、常に誰かが無駄話をしに訪れている。彼が仕事人の元締めをしているとは、ルヴァの住まいに足繁く通う者でも露ほども疑いわしないだろうし、それを見越した人間が彼を元締めに推したのだろう。夜の仕事のたびにルヴァを肩に担いで逃げなくてはならないヴィクトールも、何故かルヴァを憎みきれない部分があるのもまた否定できない事実だった。
◇◇◇ 「ヴィクトール、どうしたんですか〜」
自分を呼ぶ声に気づいたヴィクトールは、帰途につくために既に歩き始めている二人の後を急いで追った。
「二人とも、これから私の家にいらっしゃいませんか? 仕立屋のおかねさんから美味しいお茶をいただきましたからね、ちょっと休んでから帰るといいですよ」
ほくほくと笑うルヴァの笑顔を見た途端、強い脱力感に襲われるヴィクトールだった。ヴィクトールの隣に立ったクラヴィスがつぶやいた。
「物の怪の血を引く私でさえ、ルヴァには勝てぬ。お前も諦めることだ……」
その言葉にヴィクトールは改めて、彼が関わった二人の男が常識では測りきれない存在であることを思い知るのであった。
ヴィクトールの場合、胸毛とか腕毛とか臑毛とかはデフォルト装備で(笑)。
てか、この顔とこの身体の持ち主であれば、絶対に必要だと思います。
そして挿絵を描いてくれたももきっつぁんも、同じだったみたいで、
お願いしなくても臑毛が描いてありましたとさ(笑)。
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