すうぃ〜とまっすぃーん・ジェイド1


 最後のネジをドライバーでキリリと締め、レインがドライバーを置く。

「終了だ、ジェイド」

その声を合図に、カウチに横たわっていた青年がゆっくりと起き上がる。

「ありがとう、レイン」

「調子はどうだ?」

「君のお陰で、コンディションは最高だよ。特に最近は、関節の調子がいいんだ」

「最近、相手にしてるタナトスは手強いからな。その分だけ、負荷も大きくなる」

「いざという時に動けないのは困るからね。俺達はともかく、アンジェリークを危険な目に遭わせるわけにはいかないよ」

「そのために、オレがメンテナンスをしてるんだろ?」

「ああ、感謝してるよ、レイン。心から」

欠片ほどの邪心も感じさせないジェイドの笑顔を向けられ、うかりとレインはたじろいでしまう。頭では分かってはいるつもりでもジェイドの、文字通り純粋な厚意に、未だ完全には慣れきれないレインである。

「アンジェの笑顔を守るためなら、きっと何だってできる。そのためにも、俺には君が必要だ」

「お前……」

 誰に対しても──否、人間だけでなく犬や猫、植物、果ては台所用品にさえも平等に向けられるジェイドのストレートな好意や物言いに、背中に薄ら寒いものを感じた。しかし、このタイミングなら自然に言い出せるのではないかとも思う。数ヵ月前に閃き、図面だけが出来上がっているアイデアを、今なら承諾してもらえるのではないか、そして、アンジェリークの笑顔が花開く回数を増やせるのではないかと──。

「ところでジェイド。相談があるんだ、アンジェリークのことで」

「アンジェの? 何だい?」

「アンジェリークの笑顔を増やせるアイデアがある。だが、お前の協力がないと実現できないんだ。協力してくれないか」

「もちろん。彼女の笑顔のためなら、何だって大賛成さ」

◇◇◇

 秋のある日、“陽だまり邸”では和やかなティータイムが始まろうとしていた。よく手入れされた庭に面したテラスには、白い椅子とテーブル。繊細なレースで縁取られたテーブルクロスが、爽やかな風に揺れている。テーブルの中央には淡い色彩の花が飾られ、その傍らには優美な曲線を持つティーセットとカトラリー。幾種類かの焼き菓子とサンドイッチ──これらはアンジェリークが作ったものだ。

 ニクスがティーカップに紅茶を注ぎ、秋の風に広がる鮮やかな香りが、穏やかなひとときの始まりを告げる。

「ところで、ジェイドとレイン君はどうしたんですか?」

アンジェリークとヒュウガにカップを勧めながらニクスが、誰にともなく問うた。

「厨房で何かしているようだったが……」

「二人で、特別なお菓子を作ってくださるそうですよ」

「レイン君も……ですか」

「ええ、合作なんだそうです、二人の」

「二人の?」

 普段からアンジェリークのため、あれこれと菓子作りをしているジェイドならともかく、レインが絡んでいるという事実に、ニクスは一抹の不安を感じる。アーティファクトの研究においてのレインの功績、及びその才能には一目を置いているどころか、敬服さえしているニクスであった。だが専門分野を離れた途端に神経が雑になるというか、ニクスの美意識や常識といったものたちから遠く離れた感性を発揮する印象が強い。

 例えば料理。彼の料理はシンプルな中にも素材の持ち味を充分に引き出した、実に味わい深いものなのだが、見た目が最悪とまでは言わないが、時には盛りつけに幾ばくかの配慮を求めたくなるのだ。視覚による刺激も食事の重要な要素だと考えているニクスとしては、食に関するレインのセンスは率直に言って認めがたい。しかし個人を尊重するという信条を持つ以上、日常の端々に口を出すのは憚られる。それにまだ、レインが何かをしでかしたわけではない。仕事のない時は厨房で何かしらを作っているジェイドが一緒なら、さすがのレインも無茶なことはしまいと、ニクスは思った。

 程なくして甘い香りがテラスに漂い始め、アンジェリークの瞳が明るさを増す。

「いい匂いですね、アンジェリーク」

「ええ、ニクスさん。ジェイドさんの作るスイーツはとっても美味しいんですもの。お二人で、腕を振るってくださっているんですから、きっと素敵なお菓子ですよ」

「ええ、きっと。他の誰にでもない、貴女のためなのですから……ね?」

天使のような笑顔に微笑みで応えたニクスは、ヒュウガを盗み見た。

 寡黙な騎士は沈黙を守ったままではあるが、その全神経がアンジェリークに向かっているのは明らかだ。女王の卵を守るために生きる銀樹騎士団に所属していたヒュウガのこと、常にアンジェリークに気を配っているに違いない。豊かとは言えない表情と少ない言葉数がそうと悟らせないだけなのだろうが。人生全てを修業と定める孤高の騎士殿にとってはきっと、彼女への興味や親愛の情をみだりに現さないよう努めることもまた、修業の一つなのであろう。いずれにせよ、その精神力は感服に値するなどと取り留めのない考えを巡らせていると、トレイにモンブランを乗せたジェイドが現れた。その後ろにはレインが、ボールや計量カップを携えて続く。

 「お待たせ、アンジェ。できたてのスウィ〜ツだよ」

満面の微笑みを見せるジェイドの手元を覗き込み、アンジェリークが弾んだ声で応える。

「モンブラン! 私、大好きです」

「栗の美味しい季節だからね。秋は良いね。スウィ〜ツにピッタリの果物がたくさん出回るから、これから毎日、君の大好きなお菓子を作ることができるよ。“陽だまり邸”だけでなく、旅の途中でだって。アンジェ、君が望むのなら」

「旅の途中って……オーブンや泡立て器を持っていくんですか?」

「いつもの道具達がなくても大丈夫になったんだ、レインのお陰で」

「レインの?」

「ジェイドのメンテナンスの時に、胴体部分にちょっとした空間を見つけたんだ。そこに攪拌や焼成機能を持つユニットを組み込んでみたのさ。何度か動作実験もしたんだが、特に排熱や排気にも支障もないようだし、我ながらエクセレントなアイデアだ」

「もしかしてジェイドさんは、普通のお食事の代わりに、ガスや薪を食べるんですか? お菓子作りの前に」

「いや、食物から得るエネルギーを、オレが前から持っているアーティファクトを使って最大限効率化して熱源に充てている。長時間の連続焼成は無理だが、1時間以内なら超加熱による不調も出ない程度に調整した。だが、小休止を挟めば問題ないぜ」

「凄いわ、レイン! ジェイドさんも、こんな特技を隠していたんですね!!」

 特技……と呼ぶのだろうかと、ニクスは漠然と思った。いや、それよりも伝説にさえなっているらしい高性能のオリジナル・アーティファクトに、台所用品の機能を付加させてもいいのだろうかという、素朴な疑問さえも浮かんでくる。けれど、できたばかりの焼き菓子に瞳を輝かせているアンジェリークを見ると、この程度のお遊びは日常の彩りであると自分を納得させてもかまわないだろう。“陽だまり邸”は我らオーブハンターの憩いの場であり、休息の地。全ての生命にとって救世主となる女王の卵・アンジェリークの笑顔を守るためならば、多少の妥協もやぶさかでない。


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