天使が贈る風


 

 謁見の間の磨き抜かれた床に額ずく、燃えさかる炎のように紅い髪を持つ青年守護聖と、栗色の髪の女王候補の姿は、遠い日の記憶を呼び起こす。
 
 女王は宇宙の全ての民を導くために存在し、守護聖はその身に宿るサクリアをもって女王と宇宙を支えるために在る。故に女王や守護聖が特定の者に恋心を抱くことは──あまつさえその成就を望むことは絶対的なタブーであった。にもかかわらず、彼らは揃って女王試験の辞退を願い出るために新宇宙を治める金の髪の女王のもとを訪れた。
 
 破戒を実行に移せるほど世間知らずではなく、人々の糾弾に耐えきれるほどにも強くはなかったが故に胸の裡に恋心を鎮めるほかなかった金色の髪の女王。聖殿で時折目にする凛とした姿に、謁見の際に交わす短い言葉にささやかな幸福を見出していた女王の眼前に突きつけられた現実に、彼女は驚きと戸惑いを覚えずにはいられない。
 
 けれど金色の髪を持つ彼女が既に一人の少女ではなく、その白く輝く翼をもって宇宙を導く尊い存在となっている限り、心の揺らぎを悟られることは許されなかった。彼女は宇宙を統べる女王として、なすべきことを行うのみなのだ。
 
 「二人とも、顔をお上げなさい」
 
慈愛に溢れた静かな声が、静寂を破る。
 
「あなた方の気持ちはよくわかりました。明日にでも女王試験の関係者を全員集めて、試験の終了を宣言しましょう」
 
女王の言葉に、栗色の髪の女王候補の瞳から涙が溢れる。それを見たその髪と同じように熱い心を持つ青年守護聖が、少女の肩をいたわるように抱く。
 
「アンジェリーク……泣かないでくれ。もう、大丈夫なんだ、何もかも」
 
少女に贈られたささやきに、玉座に立つ足が震えた。だが女王は努めて平静を装いながら祝福の言葉を恋人たちに贈る。
 
「オスカー、そしてアンジェリーク。あなた方の決心を知った人の中には、戸惑いを隠せない人もいることでしょう。けれど力を合わせて理解を得るようになさい。そして皆の祝福を受けてくださいね。それから、幸せになって……。それが私の望みです」
 
つい先刻まで不安に満たされていた恋人たちは、幸福に包まれて女王を仰ぎ見た。
 
「陛下の寛大なご処置に、このオスカー言葉もございません。命をかけてアンジェリークを愛し、守ることをここに誓います。そして守護聖としての全ての力を、宇宙と陛下に捧げます」
 
「私も……私も誓います。陛下の優しさとご理解に応えるためにも、オスカー様とずっと……」
 
少女の言葉の先は嗚咽にかき消されてしまったが、その場にいた女王と女王補佐官の胸に確かに届いた。女王が女王補佐官に目配せすると、藍色の瞳の補佐官は凛とした声で幸福に満たされている恋人に退出を促す。そしてオスカーとアンジェリークの二人は深々と一礼をして謁見の間を後にした。
 
◇◇◇
 
 閉ざされた扉の向こうから聞こえる足音が消えると、女王補佐官が口を開いた。
 
「泣き虫のあんたにしては、上出来だったわ」
 
その言葉に女王は、翡翠色の瞳を大きく開く。
 
「ロザリア……知ってたの……」
 
「あんたはルヴァ様の次くらいに、嘘をつくのが下手だのものね」
 
才色兼備の誉れも高く、常に優雅な微笑を絶やすことのない女王補佐官の面に親しさを湛えた笑みが浮かぶ。女王補佐官は今にも泣き出しそうな親友の髪を撫で
 
「オスカーが好きだったんでしょう? いいえ、今だってアンジェリーク、あんたはオスカーを愛してるんだわ」
 
と、言う。
 
「だから少しだけ不安だったの。あんたを信じていなかったわけじゃないわ。でもね、女王であることと誰かを愛することは別だもの。それにあんた、随分と泣き虫だしね」
 
「ごめんね、ロザリア。心配ばっかりかけて」
 
「いいのよ。あんたの心配をするのも仕事のうちだもの」
 
「そうね。私、いつだってロザリアに迷惑かけてるよね」
 
「バカね。誰が迷惑だって言ったのよ。あんたの世話も心配も、今じゃ私の趣味みたいなものなんだから、あんたは余計なことを考えなくっていいわ。第一、私以外の誰に、あんたのお守りが務まるって言うのよ」
 
女王補佐官はぞんざいに冷たく言い放った後で、女王を抱き寄せた。
 
「今は泣いていいのよ、アンジェリーク。女王として立派に振る舞えたご褒美に、胸に抱えてる辛いこと、全部話しておしまいなさい。一晩中だってつきあってあげる。オスカーの悪口だっていいのよ。あんたの魅力にも気持ちにも気づかなかったなんて、朴念仁もいいところじゃない。あれでよく聖地で一番のプレイボーイを気取れるもんだわ」
 
「やだ……それは、あんんまりよ……オスカーは……」

女王はそこまで言うと、かつてのライバルであり、今は無二の親友でもある女王補佐官の胸に涙をこぼした。
 
◇◇◇
 
 金の髪の女王候補・アンジェリークと、藍色の瞳を持つ女王候補・ロザリアの二人は女王試験に臨むライバルとして聖地に召還された。名門貴族の直系として生を受け、生まれながらに女王としての資質を見いだされ、その資質にふさわしい教育を受けてきたロザリアにとって、何もかも平凡な、ごく普通の少女でしかないアンジェリークがライバルとなった事実を認めることは容易ではなかった。宇宙についての基礎的な知識どころか気品らしきものもない。すぐに感情が表情に出る性質などは、数多の生命を明日へと導く者にはふさわしくないとさえ感じたものだ。しかし試験を通じてアンジェリークに接するうちに、彼女の屈託のなさや素直な気性に好感と女王としての資質を感じるようになった。例えば試験に必要な全てを自身で処理する能力を持つロザリアに対して、守護聖たちは確かな助言や今後目指すべき方向性を示すことはあっても、アンジェリークに対するような、純粋な好意に溢れた助けや支えが差しのべられることはない。もちろん、守護聖たちはアンジェリークとロザリアには平等に親切ではあったが、アンジェリークは特別だったのだと、ロザリアは思う。
 
 アンジェリークに対して、誰もが手を差しのべずにはいられないのだ。差しのべられた手を素直に取り、感謝の気持ちを笑顔と努力で表すアンジェリークには、誰もかなわなかった。ロザリア自身も知らず知らずのうちにアンジェリークのペースに巻き込まれ、気がつくと女王試験を共に受けるライバル同士ではなく、前の女王に託された惑星と、そこに住む人々を共に見守る仲間として接するようになっていたのだ。そして、それを悟った時、ロザリアは女王にふさわしい者が誰であるのかを知った。
 
 共にフェリシアとイリューシオンを見守っていた。誰よりもアンジェリークの傍近くにあったからこそ、ロザリアにはアンジェリークが恋をしたことも、誰にも言えないに悩んでいることも知っていた。だが女王候補と守護聖の恋は許されない。それを承知していたロザリアは、それとなくアンジェリークを戒めるような言葉を口にしたこともある。ロザリア自身もある守護聖に淡い恋心を抱くようになってからは、ともすると恋に流されてしまいそうな感情を抑えるためにアンジェリークを利用した節がないとは言えなかった。
 
 アンジェリークに女王になってほしいと願う一方で、一人の女性として幸福になってほしいと考えたりもした。アンジェリークと共に宇宙を見守りたいという気持ちと、親友の恋の成就を祈る矛盾した気持ちを抱えながら、ロザリア自身も苦しんでいた。だが、彼女たちの思いが何らかの形をとる前に、女王試験は終わりを告げたのだった。アンジェリークが女王に選ばれた瞬間、夜空の星々は輝きを増して新しい宇宙へと生命の営みの場を移した。その神秘的な光景を共に目の当たりにしたロザリアに、アンジェリークは女王となることへの不安を打ち明け、ロザリアは補佐官としてアンジェリークの傍にいることを約束したのだ。
 
 以来、女王アンジェリークと女王補佐官・ロザリアは宇宙の発展のために力を尽くしている。女王候補時代と同じ頑張りで女王という重責をこなしている親友の姿は頼もしく、以前と変わらぬ明るい素直を嬉しく感じた。そしてできれば、アンジェリークの恋が最後には幸福な形になってほしいとも願っていた。だがロザリアの願いは、予想もしていなかった形で無に帰してしまった。
 
 私室でロザリアと共にワイングラスを傾けながら、アンジェリークは恋心を告げることさえできなかった自身の幼さを嘆いた。一度でいいから、『お嬢ちゃん』ではなく、名前で呼んでほしかったとも呟く。既に尊称でしか呼んでもらえなくなった寂しさを訴えると共に、アンジェリークは同じ思いを栗色の髪の女王候補に味あわせたくないのだとも言う。
 
「ジュリアスはきっと、ひどく驚くでしょうね」
 
涙の乾いた、泣きはらした目でアンジェリークが、悪戯っぽく笑った。
 
「あんまり驚いて、気を失わなけりゃいいんだけど……殿方って、土壇場で気の弱いところをあるから心配だわ。特にジュリアスは融通がきかないところがあるから……」
 
「だから宇宙は、女王が治めるんですって。いつか、オリヴィエがそう言ってたの。女の人の方が度胸がいいんだって」
 
アンジェリークはそう言ってグラスを干し、
 
「そうだ。他の人が何て言って反対しても、今度のことは女王の権限を振りかざして黙らせちゃおっと」
 
と、笑う。
 
「あんたってば……なんて質の悪い女王なのよ。もっと、こう、建設的なことに女王としての力を使おうとは考えられないの?」
 
「あら、ロザリア。これは十分に建設的なことだと思うわ。私が前例を作ってしまえば、これからは守護聖も女王候補も自由に恋ができるようになるのよ。誰にも何も言えないで、片思いのまま暮らさずにすむんだもの。大切な人と一緒にいられるようになれば、きっと聖地で守護聖として生きることも悪くないってことになるはずよ」
 
アンジェリークの柔らかな微笑みの中に堅固な決心と、恋を失った悲しみを乗り越えた者だけが持つ強さを見つけたロザリアは、胸の中でひっそりと安堵の溜息をつく。そして改めて、アンジェリークに敵う者などこの宇宙には一人としていやしないのだと確信する。
 
ロザリアがアンジェリークのグラスに薫り高いワインを注ぎながら、
 
「ほんっと、あんたってば、いつまでたってもお気楽なんだから」
 
と、呆れた口調で笑う。アンジェリークは無二の親友を見つめると
 
「で、次はロザリアね。私、あなた達の恋のキューピッドになってあげるわ」
 
と、言い出した。普段の冷静さを失ったロザリアの手からワインボトルが滑り落ちる。それを間一髪のところで受け止めたアンジェリークは楽しそうに言葉を継ぐ。
 
「隠さなくたって知ってるのよ、私。ロザリアが前から……」
 
ロザリアが慌ててアンジェリークの口を押さえて、
 
「なんで、あんたが知ってるのよ」
 
と、問いつめる。
 
「ロザリアが私のことをよく知ってるのと同じよ。だって私たち、親友同士だもの」
 
「あんたが出しゃばると、まとまる話もまとまらなくなるからおとなしくしてなさい。あんたと違って、私は自分のことは自分でできるんですからね」
 
「うっそー。ロザリアってば、執務とかお勉強とかは誰にも負けないけど、こういうのって得意じゃないないもん。私、知ってるんだから」
 
「そんなこと、ありません」
 
アンジェリークの言葉を否定しながらも、ロザリアは火照るほどに頬が紅潮するのを止めることができないで、つい、女王候補時代の癖でアンジェリークのタンポポ色の髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。アンジェリークはロザリアのなすがままにされながら、子猫のように親友に甘えながら笑う。
 
「素直じゃないんだからなぁ、ロザリアは。ま、いいわ。しばらくは大人しくしていてあげるけど、私が痺れを切らす前になんとかしてね。待つのに飽きちゃったら、遠慮なく女王権限を振り回しちゃうんだから」
 
とても冗談とは思えないアンジェリークの言葉に、ロザリアは指先で額を押さえながら
 
「まったく、あんたって子は……」
 
と苦笑いを浮かべた。
 
◇◇◇
 
 翌日、謁見の間に集められた守護聖や教官たち、協力者の面々の前で女王試験の終了と、もう一人の女王候補であるレイチェルの女王就任が宣言された。次いでオスカーと栗色の髪の女王候補・アンジェリークの婚約が発表されると、首座の守護聖・ジュリアスは予想通りの苦い表情を浮かべたが、幸福そうな恋人たちの姿と、二人を祝福する人々の笑顔には勝てなかったとみえ、彼が最も信頼を置いている部下でもあるオスカーに、心からの祝辞を述べた。アンジェリークに心を寄せていた者に限っては、少しばかり複雑な表情を見せたりもしていたが、万難を排して幸福を掴み取った二人の幸福を願う気持ちは皆、同じように感じられた。普段よりも穏やかな表情を浮かべているクラヴィスが目立たぬように女王の傍に移り、守護聖と女王候補の恋を認めた英断を静かに讃えた。ロザリアはクラヴィスもかつて、苦しい恋をしたのだろうかと思いを馳せ、それから現女王ののように何ものにも囚われない自由な精神を持つ女王の誕生を改めて喜んだ。
 
「ねぇ、ロザリア」
 
女王が隣に控える女王補佐官に微笑む。
 
「オスカーもアンジェリークも幸せそうよね。私まで嬉しくなっちゃう」
 
満面に笑みを浮かべた親友の姿に、ロザリアは確かな成長を見た。無邪気で明るい笑顔の中に、女性に生まれながらに備えているしなやかな強さ持つ女王は、聖地に残る無意味な因習をことごとく廃してゆくだろう。微笑みと愛とを武器に、かつての女王たちにはできなかった全てを実行するに違いない。そしてロザリア自身は、どんな時も前だけを見つめる親友を支え続けるのだろう。
 
 親友が切り拓くであろう、光に満ちた未来に思いを馳せていたロザリアの胸中には、やがて訪れる自由で幸福な聖地の光景が描かれていた――。

 


王立図書館司書さんとの裏取引きによって入手したアンジェ創作です。
当時私は、オスカーと金アンの面白い恋愛ものが読みた〜い!
という気分が盛り上がっていたため、嫌がる司書さんに無理に
お願いしてお話を作っていただいたのでした。
今思うと、とんでもないワガママで、申し訳ないことしきりです。
でもその甲斐あって、すばらしい作品を頂戴できました。
司書さんのお力と芸幅の広さには、改めて脱帽、かつ感服です。
以下は、その司書さんからのコメントです。
 
*****
いっしー石井さんとの裏取引で書くことになった
最初で最後のアンジェの正統派ラブストーリー。
ガラにもないことをするんでなかったと後悔することしきり。
穴があったら飛び込みたい気分ですぜ。
慣れないことはするものではありませんな。
 
オスカーと金髪アンジェのお話っつーより、
ロザリアとアンジェリークの友情物語になりました。
女の子がきちんと描けているといいのですが……。
 
******
 
司書さん、本当にありがとうございました。
(01.05.11.)

そんなわけで、いっしーさんに差し上げた裏取引創作をお預かりさせていただきました。
いっしーさんの広い心に、改めて感謝ですよ。

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