私のマルタ体験記

生物資源 1年 栗田暁子


 ローマからマルタまでは近かった。30ー40人乗りの小さな飛行機が、シチリア島上空を超えるとあっという間にマルタ島が見えてきた。地中海に点々と浮かぶマルタ。三つの島から成っているこの共和国は、それらを併せても淡路島より小さいという。
 空からこの島を見た時、胸が高鳴って止まらなかった。淡いクリーム色の大地が広がり、同じ様な色の町、所々に教会のドームも見える。絶壁の海岸とそれを取り巻く真っ青な海。緑はほとんど見えなかい。全くの”異国の地”だ、と思った。

 私は7/15から8/15の1ヵ月、マルタの英語学校に通った。日本ではまだあまり知られていない国だ。
 イギリスの属国であったため地中海に在りながら、マルタ語と共に英語が話されている。敵国からの侵略に備えて建てられた巨大な要塞の様な壁が首都ヴァレッタとその周辺の海岸線をぐるりと囲んでいる。それが現在世界遺産に指定されている。私が留学雑誌で見つけたマルタのキャッチフレーズは、”世界遺産の国で学びませんか”であった。だから私はマルタを、穏やかで静かで、古代からの厳粛さが今も流れる、雰囲気のある国だと思っていた。実際はかなり違った。

 強い日差しの中、ホストファミリーの家に着くと、やけに慣れている対応だった。自己紹介もそこそこに部屋に案内されると小さな部屋にベットが三つ。机もなにもない。実際その家庭は同時に11人の学生を受け入れていた。だから食事も風呂も時間が決められていて、なんだかとても機械的だった。日本の食材をもっていっていたので’一度日本食を作りましょうか’と言うと、’他人に台所を使われたくないの’と返されてしまった。残念だ。その家は、学生を受け入れることで生計を立てているらしかった。

 その日の夜、同室のポーランドの女の子が町に連れて行ってくれた。若者の街と呼ばれるその光景は一瞬目を見張った。道路は華やかな街灯で飾られ、あちこちにパブ、ディスコのネオンサインが見える。そこは東京の新宿か渋谷と同じ街であった。別に週末でもないのにものすごい数の若者が、夜の娯楽を求めてそこに集まっていた。聞けばルームメイトは毎晩そこで飲んだり踊ったりしているという。’語学留学?まさか。これは私のヴァケーションなんだから’とは彼女の言葉である。その後マルタ人から聞いたのだが、マルタはヨーロッパ人の夏のバカンスの地であるという。マルタには川が無い。夏は毎日40℃近くなり雨も降らないので木が育たないし、枯れ切っていて農業の出来る土地ではない。又、資源にも乏しいので産業がほとんど発達していないのだ。宝必然的に、いつの頃からかマルタは観光業で生きていく様になってしまったらしい。確かに昼間歩いていてもお土産物屋やツアーの店が異様に多く、歩いている人も店の人以外、みんな外国人の様に見えた。学校も生徒のその意識には慣れっこで、’皆夜遅くて大変だから、今日は早く終わりましょう’、’時間のあるときだけ宿題をしてね’という風である。こんなわけで最初はそのギャップに驚いた。受け入れるのに一週間もかかってしまったが次第に気の合う友達も見つかり、海や教会、美術館に一緒に行った。

 マルタの美しいものといったら真っ先に海だろう。砂浜のビーチは少なく、ほとんどが岩場ですぐに深くなっている。色とりどりの海藻が茂っていて、そこを住処とする魚がいっぱいだ。ほんとに岸辺でも小さな魚が群れていたり、少し泳ぐと40B位のが遊泳している。なにしろ透明度が物凄くて、魚と一緒にプールで泳いでいるようだった。”生まれたての海”という色だった。排水処理について聞いても、家の人は何も知らなくて驚いた。この海の色を護って欲しいと思った。

 海の国マルタだが、そんなに魚料理は見なかった。イタリアからのパスタ類が多く、乾燥地でも実るマローという瓜の肉詰めや、兎が伝統料理である。パンもとても素朴なものだった。野菜は殆どがシチリアからの輸入だ。そんな中でも島中至る所に自生している果物がある。イチヂクだ。道の端に茂っているイチヂクの木は、今がちょうど実りの時期。握り拳位の大きさのある実がばっくりと真っ赤な口を開け、食べてください、と叫んでいるかのようだった。そしてこれがまた本当においしい。ビニール袋片手に一人で探検し、食べられる木の実を見つけるのが楽しかった。サボテンの実を見ていると、小学生位の男の子が近寄って来て、サッと取って皮を剥いてさしだしてくれた。ももをもっと甘くしたようなものだった。

 マルタの名物にバスがある。まるっこく黄色と白に塗られて可愛い。しかし一旦太っちょの運転手さんがハンドルを握ると、、。とにかく豪快なのである。ドアは無いし、じゃり道を物凄い勢いで飛ばして走る。マルタには信号がほとんどないから強いもの勝ち、という感じでクラクションを鳴らしてバンバン進む。慣れてくるとそれが楽しくて、放課後バスでいろいろな所に行った。

 私がいる間に43℃という日があった。湿度が低いので気持ち悪い暑さではないが、とにかく体がだるくてしかたなかった。暑さで疲れる事をよく知っているマルタ人は昼間は外に出て行かない。12:30〜4:30迄、カフェ以外の殆どの店が閉まっている。なんとお昼寝をする為だ。日本では考えられない事だがシェスタと呼ばれるこの制度は向こうでは普通。店に客がいようとちゃっちゃと片付けて休みに入る。まぁ、この暑さの中では合理的かもしれないと思った。

 マルタでの一ヵ月は今思うととっても早かった。でも向こうにいた間は時間の流れがとてもゆっくりに感じられたものだ。9時頃迄明るいせいもあるかもしれないが、一日がとても長かった。時がたおやかにながれていた。
 まだ開発の手がそれほど加わっていない村は、私の描いていた雰囲気も少し残っていた。学校に行かず、そういう所にずっといてみたかった気もする。
 大きな地図でないとその名前も載らないようなちっちゃな国マルタ。ヨーロッパとアラブ圏のちょうど真ん中に在るマルタ。不思議な、興味深い世界だった、というのが率直な感想だ。

 最後に、英語の先生から聞いたいい言葉を一つ。マルタは水がないので、生活の水は、海水を浄化してまかなっている。だから飲むとほのかにしょっぱい。いつも飲む紅茶も独特の味だった。

 “マルタの味が恋しくなったら紅茶に一つまみの塩をいれてみて。きっと懐かしい味がするわ”



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