シリーズ第25回 有機農業を読む

「奪われし未来」

長尾力訳 シーア・コルボーンほか著 翔泳社



改革ができないから革命がおきる

 「つくば有機セミナー」をはじめて10年近い時が経つ。「世の中というものは変わらんもんだなあ」というのが実感である。もちろん(当然のことであるが)「つくば有機セミナー」ごときのもので世の中が変わったら大変で、変わらなくて当たり前なのだが、私が属している大学とか地域を見ても何かよくなっているという実感がわかない。昨年の夏に橋本総理大臣は「火だるまになっても行革をやりぬく」といった。火だるまになったら行革はできないのではと一瞬思ったが、案の定、行革はできずじまいであった。改革ができないから革命がおきるのだ。人間というものはドラスティックな変化を好まないものである。状況が悪くなればそれを改善するために様々な改革案が提示される。そうやって様々な矛盾が改善され、改良が積み重ねられていけば人々は未来に希望を持つことができる。しかし今の日本をめぐる状況のように打つ手打つ手が裏目裏目となり、打つ手なしという状況になれば誰も未来に希望を持つことはできない。まさに「奪われし未来」である。

「沈黙の春」から「奪われし未来」へ

 「沈黙の春」がレーチェル・カーソンによって書かれたのが1962年、「奪われし未来」がシーア・コルボーンたちによって書かれたのが1996年、この34年の間に世界は大きく変わったことは間違いのない事実である。
 世界は大きく変わった。しからば日本はどうなのか。変わったのか。変わらなかったのか。アメリカでは「沈黙の春」は出版直後からベストセラーとなり、とくに女性が関心を持ち、サポートした。「奪われし未来」に序文をよせているアメリカのゴア副大統領は子供の頃、母親が食卓で「沈黙の春」を読んでくれたということである。アメリカではただちに「沈黙の春」が取り上げた毒性の強い有機リン剤や有機塩素系農薬のほとんどが使用禁止になった。日本では本そのものは70万部も売れたが、訳者の青樹梁一の話によれば反響はほとんどなかったという。
 そのあげくのはてが環境ホルモン問題である。環境ホルモンについては現在70種類が知られているがそのうちの最強、最悪のものがダイオキシンである。
日本は世界最悪のダイオキシン汚染国となってしまった。この環境ホルモンの危険性を「奪われし未来」で指摘し、第二のカーソンといわれているのがシーア・コルボーンである。

シーア・コルボーンという人

 この本は環境ジャーナリストであるダイアン・ダマノスキ、環境市民運動家であるジョン・ピーターソン・マイヤーズとの3人の共著である。合成化学物質そのものの危険性や、こうした汚染物質が生態系の「食物連鎖」を介して、数十億倍にまで濃縮されてしまうものであることはすでにカーソンらによって指摘されていたが、シーア・コルボーンはこのような汚染物質が環境ホルモンとして生物の内分泌系を撹乱すること、生命の存続を支えている生殖というシステムが破壊され、人類をはじめとする多くの種が絶滅の危機に直面していることを明かにした。
 シ−ア・コルボーン(70才)は20年前まではロッキー山脈のふもとで酪農をしながらバードウオッチングを楽しむような生活を送っていたのだが、残りの人生で何をするかを考えた末、「水の問題を勉強しよう」と、51才で大学院に入り、7年後に博士号を取る。その過程で数千編の論文に目を通し、これらの事実を発見したのである。環境ホルモンのやっかいなところは、ごく微量で(一兆分の一)体内のシステムを狂わすことである。
 彼女はワシントンにある世界自然保護基金(WWF)事務所を拠点に「1分もひまな時間はない。早く手を打つために、とにかく考えて行動する。これが私の人生」といって世界中を講演活動に飛び回っている。

環境ホルモンのこわさ

 「沈黙の春」の最終章 The Other Road の中でカーソンはその後日本では「総合防除」として知られるようになる、様々な方法を紹介している。それは天敵やフェロモン(性誘引剤)の利用などであるが、その一つに昆虫の不妊化処理がある。これは放射線や化学薬剤を昆虫に処理することにより不妊化させ、そのような個体を放出していくとその種の昆虫が一定期間後に絶滅してしまうという方法である。隔離的環境の場合(島など)有効であるとされる。
 このことが今なんと人間におきているのである。コルボーンは五大湖の水質を調べているうちに、世界中で野生生物の生殖異常が多発していることに興味をもった。その視点から科学文献を再検討していくと、つがい行動をしなくなったワシ、メス同士で巣づくりするカモメ、ペニスが極端に小さくなって交尾できなくなったワニ、雌雄同体のコイなどのデータが山のように見つかったのである。しかもこれは野生生物に限ったことではなく、人間の場合は、若い男性の精子数の激減という形で現れている。フランスでおこなわれた研究によると1945年生まれと1962年生まれのそれぞれ30才の時の平均精子数を比べたところ、1億個(精液1ml あたり)から5千万個に減少し、このペースでいくと2005年に30才になる男性は(1975年生まれ)3千万個になるという。じつにたったひと世代(30年)で三分の一に激減するというのだ。まさに「奪われし未来」とはこのことで、われわれ人類もここまで来てしまったのかと愕然とする思いである。

41才寿命説という警告

 かって農水省に西丸震哉というきわめてユニークな研究者がいた。彼は高度成長期の日本人の食生活を分析した結果、1959年以降に生まれた日本人の平均寿命は41才になるという「41才寿命説」なるものを発表した。この説はあまりにもセンセーショナルであったために一部の人の注目を集めただけで、社会的には無視された。しかし1959年生まれの人たちが41才に近づきつつある今、私には現実味のある理論としてよみがえってくる。
 1959年生まれの人たちが親となり、その子供たちがいま中学生になっている。いま続発している中学生の異常現象は、環境ホルモンによって自然界に生じている現象と相似のものではないか。有毒化学物質がホルモン作用を通して脳に影響を及ぼさないわけがないし、現代の精神医学が教えるところによれば心身は一体であり、からだの内分泌系に異常をきたせば心もおかしくなるのは当然のことである。
 日本では20年も前から西丸の「41才寿命説」や有吉佐和子の「複合汚染」によって農薬や食品添加物や合成洗剤などの有毒化学物質を使いつづけるなら子供たちの未来はきわめてあやういものになるという警告がなされてきたにもかかわらず、それが社会的に受け入れられることはほとんどなかった。ヨーロッパやアメリカと比べても環境問題に対する国民の意識は低いといわざるをえない。そのつけが今「子供たちの反乱」という形でわれわれにつきつけられているのではないか。日本の環境ホルモンの環境調査をした環境庁の研究者は「気づくのが遅すぎた」とニュースでコメントしていたが、「まだやり直すことができる」と私は言いたい。

希望への道

 「風の谷のナウシカ」にしろ「もののけ姫」にしろその結末はなかなか意味深長である。ナウシカの最後のセリフは「生きねば・・・」だし、もののけ姫のメッセージは「生きろ。」であった。われわれはどう生きればいいのか。
 カーソンは「沈黙の春」を西丸は「41才寿命説」を予測したがそうはならなかった。なぜなら毒性の強い合成殺虫剤や発ガン性のある食品添加物が使用禁止になったからである。コルボーンは環境ホルモンによる生殖異常という危険な状況から身を守るために次のようなガイドラインを提示している。
  ・水に注意する
  ・食べものに気を付ける
  ・農薬・化学肥料・プラスチックなどの化学合成物質の使用を避ける
 これは有機農業運動がこの30年間言い続けてきたことではないだろうか。有機農業的思考の枠組みの中にこそ未来への希望がある。希望があるかぎりやり直すことができる。

BALANCE OF NATURE

 私の知り合いの外国人が日本のスーパーに並んでいる野菜を見て、「日本では工場で野菜を作っているのか。規格品みたいで気持ちが悪い」といったが、そのような感性がいまとても大切なことだと思う。
 今われわれの周囲でおこっている様々な現象は人類の未来(行く末)を考えるとき暗いものが多い。確かに異常というべき現象が多いが、それは「よくなるために悪くなる」(異常バランス)ということなのであって、自然界におけるバランス現象のひとつである。悪くなっているように見えるがじつはよくなっているのである。言い換えると「苦しまなければ前へ進めない」ということである。その苦しみはあまりにも大きく困難であるが、われわれが「奪われし未来」を取り戻すということは世の中の思考の枠組み(価値観)が変わるということであり、それは誰かが変えるとか、誰かに変えてもらうということではなく、自分自身が変わるということであり、そのような人が増えていったときそこに希望が見えてくる。

(橘泰憲)


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