科目等履修生物語

−24才からの教職−

環境科学研究科 建元喜寿


 時がたつのははやいもので、カナダから帰国してもう1年。今では自分が本当にカナダにいってたのか?と感じるときすらあります。
 さて今回は、この1年間、1年生や2年生達に混じって修論の合間(教職の授業の合間に修論を書いたという話もあるが)に教職の単位を取得した奮戦記を書かせてもらいたいと思います。

・技術だけでは解決しない
 僕が環境問題や食糧問題に関わっていきたいと思ったのは、高校1年生の時からです。実家が兼業農家であったこと、自然が沢山あるところで生まれそれが壊されていくのを身近に感じていたこと、そしてNHK特集とか、本を読んだりしているうちに、環境問題への思いが高まっていきました。それで進路指導では志望校調査がある度に農学部を志願してきました。そして筑波大に来たわけですが、入学当時は環境問題といっても切り口がいっぱいありすぎて、何をすればいいのか分からない日々が続きました。沙漠の緑化とか、乾燥地での農業には興味があり、そっちに進もうかなとは思っていましたが、なんかぴんと来てなかった覚えがあります。
 大学3年ぐらいになるとどうもおかしいと思いはじめました。こんなに技術が進んでいるのに世の中悪くなるばかりで。技術だけでは根本的な問題は解決されないのではと。大学3年の時は部活ばかりやっていたし、大学院に行こうと思っていたので具体的な自分の職業に関しては考えてなかったけど、技術ではないなにかが必要なのではと思うようになりました。そのころから、教育関係に目が行きはじめましたが、自分にも人にも厳しくなくいいかげんな僕が先生になってはならないと思っていたのと、4年生になってから教職を取り直すほどの気持ちが、まだ教職に対してなかったのとで、そのときは取り直しませんでした。
 大学卒業後、環境科学研究科に進学したわけですが、その後も悩みはつきません。なにをしたらいいんだろう。そんなとき、海外に行っていた友人が帰ってきて、ワーキングホリデー制度というものがあるということを初めて知りました。とにかく、1度海外に行きたかった僕は、ワーキングホリデーに賭けてみることにしました。そしてカナダに行ったわけですが、カナダとくにダンカンという小さな町の農場で暮らせたことが、僕にとって非常に重要な意味を持ちました(農場での様子は有機農業新聞の26号を見てください)。そして、教職と農業に関わっていこうと思うようになったわけです。

・100万円・修論・踏ん切り
 カナダから帰国後、教職を目指すことにしたわけですが、まずネックとなるのがお金です。学類の時に教職をとっていればお金は授業料だけで済みますが、大学院になってからだと教職の単位は科目等履修生になって、単位を取得しなければなりません。その場合1単位につきなんと13100円かかってしまいます。つまり1年間通年の講義は13100×3単位=39300円かかるわけです。そして僕の場合、まったく単位を取ってなかったのでなんと全部で44単位×13100=572000円も必要になりました。大学院の分の授業料とあわせるとなななんと100万を越えてしまいます。これじゃ私立より高くなります。今までさんざん親のスネをかじり、かなりすり減らしてきたの100万もかじるとスネがなくなってしまうのでは・・。まずい・・どうしよう。しかし、親に頼むしかなくお願いしました。また、修論を書けるかどうかというのも問題の一つでした。1年間で単位を全部取れるように時間割を組んでみたところ、1学期と2学期はほとんど毎日4〜5時間近くになりました。修論の追い込みとなる3学期は、1日2時間ずつしかなく、テーマも決まっていたし、調査は夏休みにやるので大丈夫でしたが、教職の講義をとってみないとどうなるか分からないこともあり、悩みのたねでした。そして最後の問題は、踏ん切りでした。正直言ってカナダから帰国した直後の僕は混乱していました。素晴らしい農場での生活から、農業と教育に何らかの形で携わっていこうというしっかりした気持ちは固まっていました。しかし、環境科学研究科で素晴らしい日々を過ごした同級生のみんなは、就職をきめ修論を終えつくばをどんどん去っていきました。そんな時期に僕は初めての海外、それも長期滞在から帰国し、えもいわれぬ焦りではないけど、なにか不安にかられていました。教職はいいけど、まだつくばにいる気なのか。もう就職したらいいじゃないか。カナダに行って来たのでもう満足だろう。いい加減に社会に出ないと。ほんとに、若い学生に混じって今さら学生実験を履修するのか??。そんな葛藤の中で、履修の受付の前日の夜遅くまで僕は自問自答を続けていました。しかし、今年しかないと思いとにかく決めました。

・代返・ノート・過去問
 この3つは学生のテスト対策の3種の神器です。講義に出たくないときあるいは出られないとき、必修の講義だけれども本当につまらない講義の時などに代返を使います。また、期末テストの週が近づくと、どこからともなく友達のノートや過去問がやってきて、解答例まで回ってくることもあります。ノート取りがへたくそな僕は、学類の時はしばしばお世話になりました。
 しかし、今回は頼れるのは自分のノートと理解力だけ。3学期の最後の方はさすがにだれてきましたが、相当な気合いで講義に望みました。気合いが入っていたのは、自分が自分で選んだ道だったからです。また、親に莫大な負担をかけながらいい加減なことは出来ないからです。講義を聴いてみて思ったことは、例えば心理学を18才の時に聞いていてどれくらい感じることが出来たかということです。もちろん、18才なりの感じ方があったと思います。でも、いろいろ経験をしてから聞くのも、講義の吸収の仕方が違うのではと思いました。大学は一回社会に出てから、あるいは働きながら行くと、いいのではと思いました。慣れるまでは講義は大変だったけど、やってみると結構いけるものです。いまからもう一度やれと言われたらちょっと考えるけど。まあ、とにかく1年間、よく頑張りました。もちろん自分の力だけでなく、家族、指導教官の先生や研究室のみんな、いろいろお話を聞かせて頂いたり悩みを聞いていただいた橘先生はじめ、いろんな人の支えで今年1年間頑張れました。本当にありがとうございました。いろいろ、いい経験になった1年間でしたが、やっぱり僕は4年間のうちで教職はとっておくことを勧めます。無茶はやめときましょう。

・25才の教育実習
 25才の誕生日を間近に控えた先日、教育実習手帳が配布されました。実習期間は6月1日から13日までの2週間です。特例措置が認められて母校の高校で実習できることになりました。科目は生物です。今の高校の生物は、遺伝など分子生物に関することが主流となっています。何を隠そう僕はそのへんは一番苦手です。下手をすると高校生の方がよく知っているかもしれません。それはさておき、この2週間で僕がどうしても伝えたいこと、やってみたいことがあります。まず、教育実習や先生になれたときのために撮っておいたカナダでのスライドや、自分がスキー場で研究している時に撮ったスライドを見せることです。そして自分が歩んできた道を伝えることです。少なくとも、僕が高校生だったときに自分を語った先生はいませんでした。そして、大学について話してくれた先生もいませんでした。もちろん、大学を卒業して長くなると、難しいかもしれないけど。今思えば、もっと先生の考えていることや大学の話を高校の時に聞きたかったなと思います。今の日本の制度では、入学時点で学科まで決めることが多く、また偏差値でいけそうなところを選び、そして入学してから、自分の進んだ道に疑問を感じて移ろうとしても、転部や編入には大変苦労します。大学選びの参考にはならないかもしれないけど現役の大学院生としてなにか話が出来たらと思っています。教育実習は忙しいと聞いているし、思っていることの1割も出来ないかもしれません。今の高校生がどんなかも全く分からないので不安も沢山あります。しかし、せっかく母校で実習が出来るので是非とも話してみたいです。僕の実家は高校から片道30km以上も離れていて、毎日1時間前後かけてバスかバイクで通っていました。もちろん近くに塾などないし、小さい本屋しかなく情報も遅れがちです。しかし、塾なんか行かなくても、毎日部活やってても、生徒会までやってても、大学に行けることを、その気になれば海外で1年や2年暮らすことだって出来ることを、そして、僕がこれからやろうとしていることを、高校生に分かるように話してみたいです。うちの高校はのんびりしてとてもいい田舎の公立高校でした。多分今もそうだと思います。最近は、東京など公立高校が崩壊寸前というようなことも聞きます。また、いろんなタイプの学校もできています。しかし僕は、ある先生がいわれた「Think globally,act locally」という言葉を胸に、地域の身近な公立学校にこだわっていきたいと思います。

・まずは身近なところから
 もう一つは、学校の周りの植物を見せて回ることです。母校の入口にはクスノキの大木があります。その木がクスノキだとは高校の時は知りませんでした。たぶん今の高校生もしらずにその前を通り過ぎていることでしょう。クスノキ科の仲間の葉はもむといい匂いがして、なんか気持ちがすーっとしてきます。そこから僕の授業をはじめたいと考えています。やらせてもらえるかどうか分からないけど、ぜひ時間をいただいてやってみたいと思っています。生物の基本はやはり野外だと僕は考えています。実験室の研究も大切だけれども、専門家にならない人や、受験で生物を使わない人にオルニチン回路を覚えさせたり、明反応と暗反応の反応過程を棒暗記させたくはありません。最近では環境教育なども注目されるようになってきていますが、長いこと高校の生物からは離れているので最近のトレンドはあまりしりません。とにかくまずは身近なところから生物を感じさせてあげたいと思います。そして、もっと知りたくなった子達にはどんどん教えてあげたいと思います。そのために、自分の引き出しを多く持っていたいと思います。大学にあと何年いるか分からないけれど、いる間は精進して自分の実力をつけておこうと思います。

・自然を人にあわせていくのではなく、自然に人があわせていく
 何年いるかと書いたのは、先日農学研究科の博士課程に合格し3年次に編入することになったからです。僕が研究しているスキー場は様々な問題を抱えています。そのため自分がスキー競技をやっていたことと、生態の勉強をしていることを活かして、うまく開発と環境保護を調和させていけないかと頑張ってきました。今年そのひとつの結果が出て、また問題点も出てきました。もちろん、きりのなことかもしれないけれど、もうひとふんばりやってみるかとも思っています。だから今は、いつ教壇に立つとか(採用試験自体難しいけど)本当に理科の先生になれるとかは言えません。もしかしたら、思いもよらぬ職業に就いているかもしれません。しかし、教育と農業という指針を得た今、何らかの形でそういうことに関わっていきたいと思うし、現在もかかわりつつあります。
 岡山の片田舎のガキだった僕も、四捨五入すれば30になるとしになってしまいました。初めてつくばにきたときはこの地にまさか8年もいることになろうとは思ってもいませんでした。カナダで外車を乗り回すことなど見当もつきませんでした。しかし、大学で様々な人と出会い、カナダにも行き、山梨の自然農の人にも出会い高校から温めていた将来への思いが実を結びつつあります。頑張って歩んでいきます。

追伸:4年生の皆さん卒業おめでとう



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