畑が培う人間教育

〜県立水戸農業高校を訪れて〜

泉川  功一郎

『はじめに』
 前回の記事では飯泉君が一人で生物資源学類一年生を対象にアンケート調査をやり、その膨大な結果と考察をまとめてくれました。その中で、どうやら普通高校出身の学生と農業高校出身の学生とでは、大学に対して求めている 教育の中身に相違があるのではとか、農業高校出身者の方が、自分は大学で何を学ぶという問題意識が比較的はっきりしているのではということがわかってきました。そこで、それじゃあ農業高校がどんな学校なのか実際に行って見てこようと今回、私と飯泉君は県立水戸農業高校(通称 水農)を訪れてきました。
 水戸農業高校へいくには常磐線水戸駅から水郡線に乗り継ぎ、後台駅から30分程歩いていきます。5度は下るのではという寒さの中を、水農生は毎日ここを歩くのかあと思いながら、まだか、まだかとやっとの思いで到着しました。水農へ到着して驚いたのは、あまりに敷地の広いことでした。どこまでも続く一本道、両側に広がる畑やグランド。そんな中、私達二人は三人の女子学生に丁重に迎えていただきました。今回の見学では、この三人の水農生と岡田先生にお時間を割いて頂いて、始めに水農の教育などを詳しく伺い、最後に学校全体を見せて頂きました。


『自ら学ぶ。フィールドで学ぶ。』
 四人からお話を伺う中で水農教育の中には一貫して『学生が体験を通して主体的に学ぶ』という姿勢が尊重されていることがわかりました。水農では入学時から農業科や畜産科など各専攻に分かれて授業を行いますが、農業基礎、総合学習という科目では全ての学生が農業体験をする他、選択科目が用意され他学科の興味のある授業を自由に受けられるように、配慮がなされてました。私が感心したのは、水農では大学受験を意識した教科教育よりも、水農の フィールド で、自分が学ぶ課題を自ら探し、専門として深めていく教育が基礎にある事でした。この学校には県立高校とは思えない広い農場と、大学顔負けの多様な家畜、園芸や加工の施設が整ってます。本当にここでは、学生の意欲しだいで何でもできるのでは、いやきっと何かをしないでははいられなくなるのではと快活な三人の学生を前に感じました。
 また、水農では毎年北海道の酪農研修に30名、 タイの農業研修に15名、アメリカ 交換留学に15名が行くなど学校外での体験学習が活発に取り入れられ、またそれを学生達が積極的に活用している事がうかがえました。タイの農業研修を機に将来はNGOで 援助活動をしたいという学生もいると聞き、こういった様々な体験というものが尊重される中で、きっと多くの農高生は夢や希望をつかんでいく事ができるのではないかと私はうらやましく思いました。
 きっと私は普通高校と農業高校の一番大きな違いは、体験に根ざした教育を実践しているか否かにあるのだと思います。体験に即さない学習は上っ面の知識が集積するだけで、そこには自分で学んだという確かな手応えが、感動が残らないのではないか。水農の三人の学生達に熱く自分を語るエネルギーを感じながら、そう思いました。


『高校版 卒業論文といえる課題研究』
 水農では数年前から三年生に課題研究という授業が盛り込まれました。各学科ごとに学生達が先生の助言を受けながら、研究するテーマを見つけ数人でグループ をつくり、一年間研究した末に論文にまとめます。課題研究の内容は実に多岐 に渡りますが 、ちまみに3人の学生のテーマ は、牛乳と脱脂粉乳の成分比較と脱脂粉乳の利用方法の研究から、漬物のかびや細菌に関する研究、梅干しの塩分濃度と食べ易さの研究まで非常に専門的な知識と実験技術が要る研究のように思われました。農高生は一年から専攻に分かれて学習しているので、高校生にしてかなりのの専門性を身に付けていますが、もしそれを課題研究に生かし取り組めたなら、それはどんなに素晴しい事だろう。
 何年か前に卒業した学生のお話を岡田先生がなさいました。二年生の時どうしても豚を一匹丸ごと一年間、自分だけで飼ってみたいと頼みこんできた学生がいたそうです。そして結局先生が了解し、その子は飼育をやり通し、その観察記録と実験結果をもとに豚の成長に関する膨大な課題研究の論文を創りあげました。私はまず、豚の飼育を任せた教師の寛容さに驚きました。豚の命を預かって育てる事は休みもとれない程実に大変で責任の要ることです。しかし、子供がそれを自覚した上で屈せずにやり遂げた時、その過程の中で本当に価値ある喜びを学べると思うのです。その時、このような子供の意志をどこまで信頼し、その子のチャレンジ精神に賭ける事ができるかという、そこが今の教師をはじめとした大人達に問われている大切な課題なのではないかと思いました。
 それにしても、その子の論文を眺め、私と飯泉君はそのバイタリテイにただただ圧倒されていました。そこには決して一夜では築き得ない地道な積み重ねの日々があった事をうかがわせました。しかし、そのような溢れるばかりのエネルギー 自体はなにもこの子に特別なものではなくどの高校生にもあるのではなかろうか。高校生の年頃はどの子も内なるエネルギー に満ちていて、外に放出して何かを表現したい、自分を確かめたいと思う、そういう時期なのです。その点、自分のエネルギーをうまく吐き出せずに鬱憤をためる若者や、あまりに無益な事にエネルギーを叩いて苦しんでいる若者が多い様に思います。きっと大人同様に子供達も経済性と効率性が優先される近代社会に取り込まれる中、一体何が大切で何に希望を求めればいいのか見えずに彷徨っているのではないか。しかし、彼等はあまりに希望や夢を誰かが与えてくれるのを待ち望んでいるのではないか。命の大切さや豊かさを知るところの中に夢や希望を見い出すきっかけがある事、それには与えられるのを待つのではなく、身をもって実践して自分で見つけて行かねばならない事を子供達に伝えていく必要があるように思います。豚の論文は彼女の一生の宝物でしょう。これからの彼女の自信と励みにつながるでしょう。私も今からでも遅くない、短い学生生活の残りのエネルギーを豚の論文に代わる宝物のために注ごうと本当に強く励まされました。
 水農の三人と話していて、農高生達の大学へ寄せる熱い思いが伝わってきました。彼等の多くは高校で研究した事をさらに深めようという問題意識の下で大学進学をとらえているのです。本来ならば、このような高校教育と大学進学のとらえ方こそ、理想的な教育体制なのでしょうが、理想と現実はあまりにかけ離れているように思います。だとすれば、農高生が普通高の学生より強い不満や絶望を大学に抱くのは当然でしょう。しかし、 高校時代に自分で切り拓く学問の姿勢を知った彼等は、きっとそんな絶望をはねのけ、大学をうまく活用しながら大学生活を自分で切り拓いていくのではないでしょうか。


『農業が育む心、人の絆』
 農高の学生はきっと始めから、学習意欲が強く目的意識が高いのではという先入観に、私達二人がにとらわれないためにも、学生達と先生方共にどういう動機で水農へ入ってきたのか聞いてみました。三人の学生達は比較的に目的意識がはっきりとしていたものの、岡田先生は『目的をしっかりともって入学してくる学生よりむしろ高校に入学してから方向性を見い出していく学生が多い』とおっしゃいました。また、学生の一人が『今は農業に取りつかれている学生の中でも入学以前は農業にマイナスイメージ を持っていた人は多い』と話し、意外な一面を知りました。それでは先生方はどうなのでしょうか。もちろん獣医から転職した岡田先生のように個性と熱意のあふれる先生は多いのでしょうが、中には大学の農学部を出ながら、就任当初は農業にあまり関心もなく毛嫌いさえする先生もいたそうです。つまり、入学あるいは就任以 前は学生も教師も他の学校へ行く者とそう違いはないという事でしょうか。
しかし、農業を毛嫌いしていた先生が二、三年学生達と土にまみれ生活する中で変わってゆき、今では『もう水農から離れられない』と話しているそうです。『やはり生き物を扱うという事が人間をこうして育てていくんでしょう。』と岡田先生がいいました。農業のもつ様々な不均一性が人間としての幅を育て、農業に休みがない事を知れば動物や花の立場になって考えられる様になるのではないか。学生達は口々に『水農の先生は中学の先生と違い、いつも同じ背丈で接してくれて、自分の弱みも生徒にみせる。先生というより友達に近い。』とか『先生には生き方を教わった。』と語ってました。
 学生達の間あるいは学生と先生の間にある対等な絆が強く築かれている事、そして学生達が高々と学校を賛美し誇らしげに語る姿に感動しながら、やはりこれは教育の中心に『生き物を育てる』という基盤があるから育まれるものなのかと思いました。

『水農見学を通じて』
 三人の学生と岡田先生に長々とお話しをうかがった後、私達は圃場、ハウス 、畜産場と校内全体を見せていただきました。生活科学科の圃場には意気高々と大きな看板が立てかけられ、有機農業に試行錯誤しながら一生懸命取り組んでいる姿がうかがえました。畜産場には牛、豚、鶏の他、犬や普段目にしない雄牛など大学以上に多種多様な動物を飼育してました。見学の最中、私達はランニング 中の野球部の集団に出会いました。擦れ違い様に元気のいい挨拶を交してくれた彼等に高校生らしい快活さを感じました。馬術部の練習場では肌寒い中、凍る程冷たい水に手をいれ、自分の世話する馬の足を懸命に洗っている部員達の姿がありました。『馬に休みはないから、この子らは毎日やるんだ。』と聞き大変だなあと思う私の心とは裏腹に皆ハキハキと動き回ってました。
 見学を通して、水農生の印象を言い表わすとすれば、『元気一杯』の一言に尽きるのではないでしょうか。そして私自身、水農生達に『元気一杯』の秘訣である学ぶ姿勢あるいは生きる姿勢を教わったように思います。橘先生の研究室でこの原稿を打ちながら、『人は自分で実践する以外に知る事はできない。』という貼紙を見てハッ としました。私は口ではいろいろと言っても、実は私自身体験や実践を通して学ぶ事を疎かにしていたのではないか。都会の中で育ち、しかもただ与えられた課題をこなすという教育を受け続けた私は、体を動かす作業を面倒に思う感覚があまりに染み付いていた様に思います。その感覚を取り除くのに四年かかったという事でしょうか。私は大学に入って四年目になりますが、農家へ援農に伺ったりしながら農作業の楽しさを漸く覚えてきたように思います。畑を途中で投げ出してしまった昨年の事を反省して、今年はもう一度新たな気持ちで挑戦したいと思います。教師を目指す私にとって今回の見学は本当に有意義なものとなりました。教師になる前にまだまだ私自身、人間として体で学ばなくてはならない事が沢山ある事がわかりました。


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