「有機農業の構造」

一第66回つくば有機セミナー報告〜


 今回のセミナーは日農ゼミ(日本農学系学生ゼミナール)と合同で行われ、日農ゼミ参加学生の若いエネルギーと老年エネルギーに溢れるものとなりました。前半は橘先生が有機農業論の裏話(今年行われた講義の顛末記)をし、日農ゼミの学生が合流した後、本題の有機農業の構造の話に入っていきました。話のほうは主に3つの話題を行き来して進み、どの話もそれぞれに関連します。
こでは話を分かりやすく伝えるために3つの部分に分けて報告したいと思います。

崩壊 〜価値観の逆転〜
 現代は幕末と同じ状況、つまりカオス(混沌)的状況にあります。カオス的状況下にあるときは政策は打つ手が次々と裏目に出て最後の手まで打ち尽くしてしまいます。現在までに景気対策と称して60兆円もの金が使われましたが目に見えて効果が上がっているとは言えません。
 1997年12月に京都で国際温暖化会議が開かれ、日本のCO2排出削減率は6パーセントとなりました。このことは実に大変な事で「環境」や「循環」ということぬきに「経済」を考えることができなくなったということを意味しています。もはや金もうけのできない社会になったのだということです。
 価値観の逆転による新しい共同体を考える上での重要なキーワードは「楽しい」ということです。宮沢賢治も彼の農民芸術概論網要の中で言っています。「新たな時代は世界がひとつの意識となり生物となる」これはなかなか難しいことを言っているのですが言葉を変えて言えば楽しくやろうじやないかということだと思うのです。こうした新しい世界で農業はどのようになるのでしょうか。今までの経済至上主義の社会では農業は成り立ちませんでしたが、脱経済社会を迎え、金もうけのできない社会、循環と永続性ぬきには語れない社会へと変貌を遂げたとき農業は「芸術」と言ってよいものになるでしょう。またはスポーツ、レジャー、遊び、勉強とも言い変えられます。宮沢賢治は70年前に、宮崎駿は約10年前から「風の谷のナウシカ」と「もののけ姫」を通してこの新しい社会を予見していたのです。

メタファー(隠喩)一風の谷のナウシカともののけ姫〜
 風の谷のナウシカともののけ姫は同じ樺造をしており、同様に多くのメッセージが共通しています。また、メタファーとして場面やセリフのひとつひとつに深い意味が込められていると私は考えています。例えばナウシカでは腐海という猛毒の大気を吐き出し、人の忌み嫌う蟲の住む森が登場します。これは環境汚染を象徴し東洋医学で言うところの好転反応、つまり「よくなるために悪くなる」ということを隠喩しているのではないでしょうか。また、最後の場面でナウシカでは「生きねば」、もののけ姫では「共に生きよう」というセリフの裏にひたすらに生き抜くこと、生きていれぱ何とかなるという宮崎駿の熱いメッセージが込められています。
 もののけ姫の構造はエコロジー、フェミニズム、エシックスの3本柱からなっています。この3つは有機農業の柱でもあります。もののけ姫に込められたエコロジーについてのメッセージは、人類の歴史の500万年のうち栽培度業は始まって1万年に過ぎない、エコロジーとは自然を守ることではなく、自然といかに折り合いをつけるか、というものではないでしょうか。フェミニズムについて宮崎駿のメッセージが色獲く出ているのは、映画の冒頭でカヤという少女がタタリ神という魔物に襲われそうになったときに腰の刀を抜き自分の身を守ろうとした場面、主人公アシタカの「いい村は女が元気だ」という言葉、アシタカの「ここは楽しいですか」という質間に、製鉄を行うタタラ場の女たちが「楽しい、男が威張らなくていい村だ」と答える場面、タタラ場が女と病人だけのときに侍に襲撃され、この事を伝え戻るように言うアシタカにエボシ御前というタタラ場の女頭領が「女たちにはできるだけの備えはさせてある、自分の身は自分で守れと」という言葉でしょう。これらは橘先生のフェミニズムの捉え方、男が威張らないこと、と重なってきます。この映画の最後のセリフはジコ坊といういわば謎の人物の「イヤーまいったまいった、馬鹿には勝てん」というものです。これは宮沢賢治の「デクノボー」にも通じるもので、21世紀を開くキーワードであり、メタファーとして「馬鹿になることに幸せがある」ということだと考えられます。

思想 〜パラダイムのひとつとしての有機農業論〜
 一昨年の失敗に懲りて、今画は難しすぎた講義をエンターテイメントという視点で作り直し、もののけ姫と有機農業の構造を絡ませながら第一回をスタートさせました。今回のポイントは「有機農業は正しいからやるべきだ」と主張することではなく、その意味を相対化することにあります。近代農業は近代の思考の枠組みから生まれ、それなりの歴史的使命と意味を持っています。そこから多くのことを学び、しっべ返しを受け新しい考え方を組み立て直していく。その中に有機農業の思想があるのだと展開していきました。
 確かに有機農業は現在の社会システムでは成立しにくいと思います。しかし、今の社会問題が旧来の思考の枠組みでは答えが出ないことが、あらゆる場面で明らかになっています。これからの社会は「有機農業が成立するような方向で社会を組み立て直していく」というところにひとつの指針があるのではないでしょうか。

 橘先生の話の後、松田さんによる「春と修羅」の朗読、村木さんの束北弁とグレゴリーさんの英語とエスペラントによる「雨にも負けず」の朗読が行われました。そして今年度の有機農業論を受講申請せずに受けた5人(館野さん、グレゴリー・ケイさん、村木さん、館元さん、山本さん)の感想の発表を皮切りに様々な意見の交換が行われました。いくつかを次に紹介します。


◇私は有機農業を目指す農民です。周囲の農業をやっている友人に「有機農業をやろう、有機農業の講義を聴きに行こう」と誘っても誰もが「それは儲かるのか、分かってどうなる」と答える。そこに今の日本の農民の根本的な間題があると思う。そもそも有機農業とは何か?と考えたときに「答えは自分で見出さなくてはいけない、そのためには有機農業が分からなくては」と思い、この講義を受けました。皆さんは野菜をどこで買いますか?昔は八百屋で買いました。これは1週間の献立を考えて買います。学生の母親の年代はスーパーで買ったでしょう。これは今日、明日の献立を考えて買いました。学生はコイピニで買うことが多いのではないでしょうか。これは今しか考えていない。だんだんバカになってきている。そのことを考えてほしい。宮沢賢治の詩と同じで、傲生物や土全体が幸せにならないうちは農民の幸せはありえないと思う。農業者はエコノミーからエコロジー、農業者もエゴではなくエシックスを目指すほうがいいのではないだろうか。

◇有機農業論の誕生の過程を少しでも長く見ていたいと思い2年間、講義を受けた。有機農業が正しいとか正しくないとかではなく、学生はそのマニュアルを求めてやってくる。しかし実際にはそんなものはない。今年度は講義で橘先生が学生に「この有機農業論では有機農業は教えないよ」と言ったので驚いたが、今までめ農業とは何か、ということを考える機会を学生に与えたと思う。それにしても我々の世代は生まれたときから飢えを知らず消費する快楽に憤れすぎた。そのため大学を出た後、農業をしても農村には文化がないと言って都市に戻ってしまう、文化は創り出すものなのにそれが分からない。体験を通して創造する快楽を感じていくのは自分や学生を見ても難しいと思った。

◇本当の幸福とか有機農業とば何かと答えを求められるがそんなものはない。「この答えは自分の中にある、自身で見つけるしかない」としか言えない。ただ自分の例を挙げるなら賢治の詩にあるようなデクノボーに通じる馬鹿になること、周りに拘泥せず自分のやりたいことをやれるようになることだと思う。

◇どういうふうに答えを見つけるかは自分で考え、体験することで分かってくるのではないでしょうか。疑間に決まった答えを求めるのではなく、本質を見極めながら答えを創造していくことが楽しさ、幸福につながっていくのではないでしょうか。

◇誤った育ち方をしているのか、伝えようとしていることが学生や子供に伝わっていないと思うが、皆さんは環境問題をどのように次の世代に伝えていこうと思っていますか。


 最後に賢治の詩「あそこの田はね」を橘先生の朗読で、花巻農学校精神歌の1番と4番を村木さんの歌で聞き、今回のセミナーは幕を閉じました。セミナ一終了後に感想用紙を回収しましたが、その声を次に紹介したいと思います。


◇考えなくてはいけないのに見失っている問題が聞けてとても勉強になった。
(学生・女)
◇楽しさを学ぶと言う言葉がとでも強く印象に残った。
(学生・男)
◇私の目指すものは「農業」ではなくて「芸術としての農業」ということになりそうです。それを表わす新しい言葉がいりますね。
(学生・男)
◇自分はなんて古い、崩壊しつつある考え方にとらわれていたのかという印象を受けた。
(学生・女)
◇私なりに考えて、有機農業とは植物や勤物と対等な立場で生きるということだと思います。
(一般・男)
◇食物を自分で生産し、収穫し、自分の子供に食べさせられることに喜びと幸せを感じています。
(一般・男)


 今回は学生がかなり多く参加したわけですが、感想をまとめてみると、「こんな考え方があったんだ!」という感想も数多くありましたが、新しい考え方を知ることに対して否定的になっているような意見も少なくないと感じました。一方で、一般の方は仕事や生活の経験から今の社会の疑問を感じとる下地ができているのか、思考の枠組みを変えることを必然と受け入れているという印象を受けました。以上で報告を終わりたいと思います。

報告者:飯泉仁之直


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