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その18    


 今年は、いつになく東京にも雪が降りました。明日は大雪との予報が出された日、使い勝手のいい雪かきを求めて金物屋さんに行きましたが、選ぶ余地はなく、最後の一本を買うのがやっとでした。そして当日、さっそく雪かきを始めた私に、お向かいのおばあちゃんが言うには、「雪かきドロポーが出たそうよ」と。玄関先などに置いた雪かきがなくなってしまう被害が出ているんですって。
 大きな通りに面している訳でもなく、駅からも遠い住宅地に雪かきドロボーが出現するとは思えませんが、とりあえず使い終わったところで、家の中にいれました。


『いじめを許す心理』正高信男
岩波書店(1998)218P(l900円+税)

 いじめを考えるとき、私には忘れられない2つの思い出があります。保育園〈今のように、0才からではなく、3才から)時代の私は、体が弱く、欠席の方が多いくらいでした。たまに登校すると、男の子にいじめられ、いつもひとりぼっちでした。先頭に立って私をいじめた子のことは、名前は忘れたものの、家だけは覚えています。実家のお墓参りに行くときには、必ずその家の前を車で通りますが、今でも、ふっと胸が痛みます。
 今から17年前、ひとりの大学院生がマンションの非常に段から飛び降りて、命を絶ちました。きのうまで、同し研究室で過ごしていた人です。彼のことは、いつも心の片麟にあり、とこかで死を予感できたのに、私はなにもすることができまぜんでした。死の真相を知りたいと思われたお父さんは、たびたぴ研究室を訪れました。そんなある日、私と二人だけになった時、研究室での様子を聞かれました。私は、その場を取り繕うことができず、本当のことを短い言葉で伝えました。「そうですか、やっばり・・・」と。そして、そのことには一切触れず、その後研究室を訪ねることもありません。あれから17年、ひとり息子を亡くしたご両親とは、ずっとおつき合いしています。

hana.gif でも、いじめは、誰にでも、どんな集団にでも起こるものと考えていいでしょう。いじめについて、新しい光を当てているかもしれない、そんな気がして手にとってみました。
 この本は、中学生を対象に行ったアンケートの結果を分折したものです。
「いじめ」ということばは使わず、いじめにあたるようなエピソードを読んでもらい、感想を尋ねたものです。.
 正高さんは、京都大学霊長類研究所に勤める研究者です。アンケートの回収を校長室で待つ間、サルの世界にもいじめがあるのですか、と質問されることもあるとか。野生のサル社会にはいじめはなく、あれぱ逃げ出せばすむこと。人間だって、本当は逃げ出せばいいのかもしれませんね。
 調査用紙の分析から、被害者、加害者だけでなく多数の傍観者の存在が浮かぴ上がってきます。「もうちょっと多くのクラスメートが批判的になるのなら、自分も同調するのだが」という気持ちと、本当は暴力行為は良くないと感しながらも「親だって、同し状況下に置かれたならば認める」と信ずることによって、目の前で起こっているいじめを認めてしまうのではないかと。周囲の様子を見て態度を決める人が多数いることは、よくわかります。でも、いじめを黙認した自分を、「親もそうするだろうから」と信しることによって正当化しているという指摘には、親の一人として深く考えざせられました。いじめの傍観者にならないためには、いろんな場面で相手を知り、相手を認めることが必要なのだと、しみじみ思いました。
 なお、いじめが傍観者にささえられていることを描いたものとしては、ウィリアム・ゴールディングの小説『蝿の王(1954年出版、翻訳は新潮文庫)があります。

 今回の絵は「ヒヤシンス」です。秋になるとヒヤシンス用のビンを取り出し、球根を求めます。ピンに水と、炭を2、3コ入れ球根のお尻をのせて、暗い場所に置きます。何本も出てきた白い根がピンの底に届いたら、明るい場所に出してやり、花と葉を楽しむのです。

それでは、また。
高木俊江


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