農政探訪「普及事業を知る」

つくば地域農業改良普及センターにて



agr-p1r.GIF  つくば地域農業改良普及センターは,つくば市の南西部,谷田部に位置し,2市5町1村を管轄している。管内の自然条件としては,つくば市の北端に標高876メートルの筑波山があり,東は桜川,西は小貝川と利根川に挟まれ,概ね平坦な地域に広大な畑地帯と水田地帯が広がっている。社会的条件としては,住宅地や工業団地などの都市開発が進み,常磐新線の計画など都市化が急速に進んでいる地域である。このような条件の下普及センターでは,理想的な都市型農業の確立を目指し,所長以下26人の普及員が広範多岐に渡る普及活動を精力的に展開している。
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 2月13日,つくば地域農業改良普及センクーを訪れた。前々から普及の仕事に関心があり,ぜひ生の普及員にあって話を間き普及事業について勉強したいと思っていたからだ。大学の目の前にある自宅から自転車で1時間半,林の中,住宅地の中,空漠とした2月の田園地帯地帯を気持ち良く南へ走り抜き,つくば市役所のある谷田部の閑静な住宅地の中,白い2階建の普及センターの建物に着くことができた。建物に入り事務室のドアを叩くと,眼鏡をかけた次長の与儀さんが笑顔で快く出迎えてくれた。事務室内は意外にこじんまりとしていて,普及員の方々が穏やかな口調で会話をしていた。特に忙しい風でもなく,それぞれがマイペースで仕事をしているように見えた。所長さんへの挨拶を済ませた後建物の一室に案内され,そこで2時間に渡り与儀さんから普及センターの仕事、つくば地域の農業普及の課題についてお話をいただいた。

農業改良普及事業とは

 50年の歴史を持っ日本の農業改良普及事業は,そもそもアメリカの普及事業のシステムをそのまま専入したものだという。戦後GHQの主導で行われた復興政策の中に,農業三大改革と呼ばれるものがあった。かの有名な農地改革,農業協同組合の設立,そして農業改良普及事業の導入である。この農業改良普及事業の法律的な位置付けとして,l948年に農業改良助長法が制定された。この法律に基づき,普及事業は国と都道府県による共同農業普及事業として実施されてきたのだという。その目的は,農業者に対する技術,経営指導,そして人間教育であるという。この農業者に対する人間教育,言うなれば農民教育が最も大切な普及事業の目的であると与儀さんは強調する。国と都道府県との共同事業によって農家の志気を高揚させる農民教育が,技術や経営の指導の前にあることは,今も昔も変わらないという。
 農業改良普及事業は,農業生産の増大,生産性の向上,農業経営や農村生活の改善,青年農業者の育成等に大きな役割を果たしてきた。家族経営が主体である農業者の技術の開発,導入能力には限界があるために,そもそも農業技術の開発はほとんどが国や都道府県の試幹研究機関を中心に行われてきた。その成果が地域の諸条件に合う形で農業者に普及されるためには,普及事業による細かい助言や指導が不可欠であるという。どのようなすばらしい農業技術が開発されても,地域の実情,二一ズに合うものに還元できなければ使えない。技術をそのまま農業者に受け流すのではなく,地域に合う形に還元して農業者に紹介し,それが有効に普及されていくのを助けるのが普及員の仕事である,与儀さんはそう語った。


普及事業はその使命を果たしてきたか

 そこで気になっていたことをあえて与儀さんにぶつけてみた。今までの普及事業が、農業者の主体性を失わせる押し付けのようなものではなかったか。農薬の普及を助長し、日本の農業を世界でも有数の薬潰け農業にしてしまったのは一方的な普及があったからではないか。国の一方的な減反政策を普及事業は助けてきたのではないか,というようなことを。普及員の生の意見を聞きたいとはいえ,唐突にきついことを聞いてしまい気を損なわせてしまっ々のではと、言ってしまってから一瞬思った。しかし与儀さんは「するどいところをついてきたねえ」と,あいも変わらず人のいい笑みを浮かべて,丁寧に質問に答えてくれた。
 50年前,日本は戦後食糧難の時代だった。その時代はとにかく国民全員の胃袋を満たし、飢えで死んで行く人が出ないようにすることが何よりも先決であり,国の農業生産力を高めることが基本政策として位置付けられていた。そのため,増産できる技術は積極的に取り入れ,普及していくことが必要であった。労働力に頼って堆肥を作ったり除草作業,害虫駆除作業をするよりも,相対的に労賃よりも安価で,しかも効率よく多収量が得られる農薬や化学肥料が速やかに日本の農家に受け入れられ,浸透していったのにもそのような背景があったからこそなのである。確かに国の政策はこれまで増産一辺倒であった。それが生んだ歪みは随所に現れてきている。しかし,これからは増産ばかりではいかなくなると与儀さんは言う。日本の食料自拾率は,カロリー計算で50年前の72%から46%にまで落ち込んでいるという。農業はすでに国際化時代を迎えており,外国の出来事を無視しえなくなっているのである。毎年怒涛の勢いで押し寄せて来る外国の安価な農産物。それらに国産の農産物が市場で打ち勝つためには,一定収量あたりにかかる経費を省力化し,コストダウンをはからなければならないという。だから,増産よりも経費のかからない農業,低投入持続的農業を今,そしてこれからは追究していくのだという。普及事業は国際化時代に対応できる有能な農家経営体の育成,そして次代を担う青年農葉者への教育活動を柱に展閑されていくのだということだ。
 しかしそもそも国の自給率が下がったのは外国のせいではない。日本が食糧増産を進める一方で,加工貿易型の工業重視政策を急速に推し進め,貿易黒字に酔いしれ続けた結果ではないのか。外国から,日本はもっと輪入をしろと圧力をかけられるのは当然のこと。それでしかたなく外国から農産物をうけいれる一方,国内の農家を保護するという矛盾した政策を国はとっている。普及事業に矛盾を感じつつも,その場で与儀さんと議論するつもりはなく,次の話題へと進むことにした。


普及センターの位置付けと内部組織

 普及センターでの実際の取り組みを聞く前に,普及センターの県での位置付けを伺った。茨城県庁の中に農林水産部があり,その下に農業技術課,さらにその下に農業総合センターというものがある。その農業総合センターの支所として県下12の地域農業改良普及センター,農業研究所,蚕業研究所,そして県農業大学校がある。このように普及,研究,教育が分離せずに常に連携しあう,有機的な組織となっている。
 つくば地域農業改良菩及センターには前述のように26人の職員がいる。所長,次長,主査,その下に4つの課がありそれぞれに職員が分かれている。しかし実際の普及活動は,課を越えた7,8人の職員でいくつかのプロジェクトチームを組んで行われている。普通の会社のように自分の所属する係や課の仕事だけしかしないのではなく,職員が困っていれば自分の担当でなくても積極的に助ける。いつでも誰かを助けられる準備ができている職員全体の支え合い,それが普及センターての仕事の良さだと与儀さんは熱心に語った。

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 ところで普及員には技師,主任,専門員というような格付けのようなものがある。新任の普及貝は技師とよばれ,試験場などでの数々の研修を経て主任,専門貝と格が上がっていくのだそうだ。普及員は県職員の中で最も研修の多い役職であるという。また,特定の研修を経ると普及員はそれぞれの特技というものを持つ。果樹を特技とする普及員もいれば畜産を特技とする普及貫もいるなど様々である。特技は別に大学での専攻には関係なく,専門の研修を受ければそれを特技にできるそうだ。


つくば地域での活動

 普及センターでは管内を2つの地域(つくば学園地域:つくば市、茎埼町、利根・常総地域:その他の市町村)に分け,地域ごとに普及指導計画を立て,普及指導課題をもうけている。その前に両地域に共通した活動方針というものがあり,乎成8年度は以下の7項目が設定されている。1〉都市型農業の担い乎育成、2〉都市型農業の育成、3)都市と共生できる畜産経営の確立、4)活力ある水田農業の確立、5)環境保全型農業の推進、6〉快適で活力ある農村作り、7)農村と都市との交流、このように都市という文字が実に多い。これは研究学園都市に見られるように県内で最も都市開発が進行している地域であり,一方で米や野菜の大生産地,そして日本一の芝の大生産地であり,地域内の混住化兼業化の進行がさけられない情勢だからである。開発の進む都市,そして昔ながらの農村,この2つの共存を目指すことがつくば地域の普及事業の特色である。
 普及指導課題の1例として,つくば学園地域の土地利用型大規模経営体の育成がある。これはつくば市の筑波地区を中心とした認定農業者(経験豊富で地域の中核となる農業者)で構成されている,つくば土地利用型大規模経営研究会を対象とし,各種の栽培講習会,経営研修会などを通じて地域の水田農業の担い手となる足腰の強い農業者の育成を図っている。そして規模拡大,低コス卜化による経営の安定化を図るのを意図としている。他にも高品質芝産地の育成,地域特産物の開発加工というような課題が設定されている。


普及農業の可能性

 最後に与儀さんに有機農業についての考えを聞かせてもらった。化学肥料や農薬に頼らない昔ながらの堆肥を使う農業は,近代農業と同レベル,もしくはそれ以上の収量が得られる,実際数々の事例があると,与儀さんははっきりと答えた。学園都市内にある街路樹の落ち葉を全てかき集めて影大な堆肥として有効利用できるとも吉い,実際いくつかの農業者グループでやられているのだという。しかし落ち葉を集めたり堆肥を作るための経費や労力は,安価で効率の良すぎる化学肥料にはとてもたち打ちできない,だからまだ近代農業が一般的であるというのである。結局なんでもお金がかからなければ良いのか,そう考えると暗い気分になる。一方で次のことをとある講義で聞いた。先進国の生産ずる穀物のなんと65%は家畜の餌であり,食用はたったの18%であるというのである。効率的多収量を論ずる前に,今の農業に無駄はないだろうか。そう考えてしまう。
 まだまだ紹介しきれない実に多くのことを学び,普及センターを後にした。夕方の帰り道を自転車で走り,相変わらず空漠とした田園地帯,そして北にそびえる筑波山を眺めながら思った。この古き良き筑波の地が,いつまでも豊かな大地の恵みを受けた穏やかな土地であってほしいと。誠意に亡ちた普及員の方々のまなざしを思い出し、日本の農業は彼らが守っていくのだという気分にさせる。突然の訪問を快く迎えてくれ,考え浅はかな自分のために真剣に説明をし、質問に答えてくださった与儀さんには本当に頭が下がる。心から感謝し,そして今後の普及活動の進展に期待したいと思う。
報告者 村木 希友


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