海外農業事情

インド編−歌と出会い−

生物資源学類 泉川 功一郎


india.GIF 私は昨年の夏、高校時代の親友と二人でインドの首都デリーからカルカッタまで23日間、ギターを背に旅に出ました。行く先々で、歌って踊っての珍道中でしたが、私たちは音楽を通してインドの人達と深く接する様々な機会に遭遇することができました。以下に私の印象深い思い出を記していきたいと思います。

 私がデリーにきてまず鷲いたことは、交通規則があるのかどうかは知らないが、スピードにしても追い越しにしても、めちやくちやなことでした。これだけは始めのうちは恐怖でした。しかし、その他のことで私はあまりカルチャーショックを覚えませんでした。物乞いや物売りのしつこさにしても、時間のルーズなことも、その他、大雑把でいい加減なことも、むしろ私には心地よいものでした。値段交渉には商売の醍醐味を感じたし、時間のルーズさは望むところでした。

india2.GIF  私達は観光客の少ないデリーの下町で過ごしましたが、私達がこの下町の英雄になろうとは夢にも思いませんでした。私達が小さな広場で歌い始めると、聞きつけた人が家々から次々と出てきて、50人以上にあっという間に膨れ上がりました。いかにインド人は暇!?というか余暇があることが解りました。そして、私達のオリジナル曲「ナマステ・インディア」は大反響を得ました。演奏後はみんなから何度も握手を求められ、それは私にとってもこの上ない感激でした。翌日、私は各家からひっぱりだこになりました。お陰で様々な家の中をのぞくことができました。何種類かのカレーを御馳走していただきましたが、ベジタリアンのカレーは、味が薄く、口に合いませんでした。やはりどの家庭も家族が多いことにはびっくりしましたが、温かさがありました。そして、きらきらと輝いた純真な瞳と笑顔に胸を打たれました。

 私はこの町で出会った青年の家に一泊することになりました。彼との出会いもまた音楽がきっかけです。私はここで、女性がいかに働き者であるかに鷲かされました。朝は5時には起きて朝食を作り、夜は私達が眠るのを見計らい12時過ぎに寝ます。昼間は、食事の支度から洗濯まで働きっぱなしです。それでいて、少しでも私と目が合うと満面の笑みを浮かべてくれます。彼女たちは口々に日本に行きたいと私に言います。しかし、彼女たちが日本に来たら何を感じるのだろうか、と想像すると複雑な気持ちになりました。
 私達はタージマハルを見た後、寝台に揺られながらバラナシへ向かいました。外は土の家が散在する田園地帯でした。私達はその風景にすっかり魅了され、事もあろうにこの辺で途中下車しようかという話になりました。お互い、自分の気持ちに引き下がれなかった私達は、無謀にも観光客は一人として降りない駅で飛び降りてしまいました。そして、stand by meを口ずさみながら、線路沿いにバラナシまで歩き始めました。私達はここでも音楽に助けられました。水が切れ、泊まるところが無い私達が歌っていると、どこに行くのかと尋ねられ、彼らが仕事のついでにバスのある町まで、ジープに乗せてくれることになりました。私達は本当のインドの芸をここで見ました。何よりも観光地と違い、たかってくる物売りもペテン師もいません。初めてインド人と同じ扱いを受けられた町でした。観光地だけを回ったのでは本来のインドを見ずに終わるのかもしれないとふと思いました。
 私達はヒンドウ教の聖地バラナスから仏教の聖地ブッタガヤへと移動しました。私はここでインド型農業を経験しました。一農家は家族や親戚を含めて、20人以上います。私は牛を引いて耕すことを手伝いましたが、私が牛を引いて耕すのに手こずっているのに対して、飼い主は本当に巧みに牛を操っていました。私はインドのあらゆる所で温かさを感じました。インドはコミニケーョンの文化です。物を買うにしても、どこに出かけるにしても、人との会話や交渉は不可避です。そこにはインドの歴史があります。多宗教多民族のこの国は、多くの争いを経験して、暴力ではなく言動で解決する手法を身につけました。ですからインド人は、お互いが解り合えるまで、時間を惜しまずとことん話します。そのせいか、インド人は大変弁舌家です。話の中心にはロジックがあります。また、人間だけでなく、動物とのコミニケーションも尊重されています。ヒンドウのもとであらゆる動物は神として祀られているからです。農村では牛や馬も家族の一員です。そこにインドの温かさがあるようです。
 循環型社会としてもインドは優れています。列車で売られるお茶は土のコップに入っていて、飲み終わると、皆外に捨てていましが、最近はプラスチック製が増えているそうです。西欧文明が浸透していく中循環性は大きく崩れようとしています。もともとゴミ箱に捨てるという習慣が希薄なインドで、プラスチックが道にあふれ始めています。

india3.GIF  旅を終え日本に帰ってから私は、逆カルチヤーショックを覚えました。駅のホームできれいに列をつくっている日本人がおかしく思えました。混沌と自由のインドから日本に戻った私の眼に日本人はロボットの様に映りました。
 今回の旅で私は音楽というコミニケーションの力を再認識しました。と同時に私達の言葉のコミニケーションの脆弱さを思い知りました。


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