自然や社会とつながりを持ったライフスタイルを目指して 第5回 西田正規先生

自分を変えるのではなく、社会を変える

 この連載は、「自分らしい生き方」を求めて迷走する私が毎回、素敵な生き方をしている方を取材して、素敵な生き方のヒントを探って見たいと思います。今回は、筑波大学の西田正規教授です。


 私は、仕事や活動の関係で環境問題をはじめとする社会問題に関するシンポジウムやセミナーに参加することがあります。参考になったり、勉強になったりはしますか、そう面白いものは多くはありません。しかし、そんな中で久々にワクワクしたセミナーに参加しました。「森と人間〜縄文の森と人〜」と言うタイトルで、講師は筑波大学の西田正規先生だった。私は、4年間筑波大学に在学していましたが、西田先生のことは全く知りませんでした。セミナーはとても興味深いもので、質間したいこともいっぱいありましたたが、時間の関係であまり聞けなかったので、改めて先生の研究室にお邪‘して話を伺いました。今回は、セミナーと研究室で伺った話を紹介します。

◆安定した社会〜縄文の暮らし
 縄文時代の社会は、数戸の集落が散在し、生活に必要なもの一切を周辺の森や川などから集めるという生活だった。大きな技術の進歩もなく、集落が大きくなることもなく極めて安定した社会が約8千年続いたと言われている。現代ような日進月歩の社会とは対極にある。現代社会の感覚から考えると、8千年もの間社会も技術も発展しない社会は、「知恵のない愚かな社会」と捉えてしまう。しかし、なぜ8千年もの間発展しなかったのか、西田先生はこう答えた。「彼らは、その小さな社会、素朴な技術が好きだったんやないか」と。人間が心を通わせ思いやれる人数はそう多くはない。また、素朴な技術で生きることは柱めて創造性に満ちたことだと言う。西田先生は、縄文文化と同様に安定した社会で、今現在も狩猟採集をして幕らしている、プッシュマンを例に挙げ説明してくれた。ブッシュマンも桶めて素朴な道具を使い狩りをしているという。彼らの使う弓矢は、わずか15メートルほどしか飛ぱない。しかし、彼らに高性能の弓矢を渡してもそれを使うことはないと言う。なぜならぱ、簡単に獲物が捕まってしまい、つまらないからだ。素朴な道具でこれを捕らえるためには、注意深い観察により動物の習性を知る必要があり、獲物に気づかれぬように近づくためにはとても知恵がいる。その様に知恵を働かせ獲物を捕らえることを、彼らは楽しんでいるに違いない。

◆不安定な社会〜現代の暮らし
 この様に知恵のない未開の社会と見られてきた縄文社会を、積極的に評価する西田先生は、逆に現代社会を「不安定社会」と位置づけ、次のような疑間を投げかけている。不安定社会では、その急激な変化のために、環境的にも、社会的にも、そして個人的にも大きなストレスを産んでいる。それから逃れようとしてさらにまた新しい変化を探し求める。とどまることのないこの変化の渦の行きつく先に、幸せがあるのか、それとも破滅があるのか。誰にもわからないまま走っている。そして、不安定社会では現在を未来のためのステップとして捉え未来へのあこがれを抱いている。しかし、その反面現在を未来のための仮の世界と捉え、現実心を希薄にしています。その希薄な現実感のために、不安定社会は常に不安を抱えることになると言う。

◆発展を義務づけられた社会のストレス
 確かに私たちは、常に前に進むことを強いられ、そのために常にストレスの中で生きているとも言える。子どもは大人になるための準備段階で、社会のルールに従う大人になることを求められる。子どもには子どもの世界があるにもかかわらず、「遊んでばかりいないで勉強しなさい」と、少しでも前へ前へ進むことをもためられてきた。そのことが、子どもの心をどれだけゆがめてきたことか。そして、社会に出ても前に進むことを強いられる。より効率よく、より多く仕事をこなすことで評価され、それがリタイアするまで続く。家庭を守る主婦の仕事は評価されず、退職後の人は社会のお荷物扱い。この社会か健全だと言えるのだろうか。これらは全て、発展しなけれぱ破綻するこの社会そのものに間題があるように、私には思える。


安定社会 不安定社会
技術、知識、社会体系の変化 少ない 大きい
社会の規模 小さい 大きい
社会の階層化 ない ある
共存原理 平等原則
(競争のない社会)
不平等原則
(競争社会)
求められる生活技術 ゼネラリスト スペシャリスト


 しかし、安定社会が発展社会に侵略されるのは、歴史的に見ても必然ではないか。この反論を期待した私の疑間に対しての西田先生の答えは、あっけなくYes。「アメリカインディアンを見ても、アイヌを見てもわかるやろ。」しかし、現在でも安定社会を維持する狩猟採集民族が存在し、そのことにも何らかの必然があり、そこにわれわれの救いになるヒントはないのか。その答えは、「ただ文明から遠くて、開発する価値がなかっただけや」。あっけなかった。

◆文明による優略のプロセス
 では、発展を求める文明社会はどの様にして生まれたのか。歴史の教科書には、農耕の出現が食料の余剰をうみ、生産能力の差により貧富の差が生まれ、さらには支配階級が出現したとある。しかし西田先生は、農耕の出現たけでは、支配は生まれず、現に農耕をしながらも安定社会を築いている民族もいると言う。
 膨張する文明社会の出現には、次の3つの事象が必要だと分析している。まず、高い人口密度、そして農耕・牧畜の出現、社会の分業・階層化、この3つの全てが必要だという。人口密度が低くては他の社会を支配する力を持てず、農耕・牧畜がなければ大きな人口増加はあり得ない、分業しなければ社会は大きくなれないと言うことだ。そして、その根本には不平等原則=競争原則があるという。より強くなろうとするからこそ人口を増やす。安定社会のような平等原則の社会では人口を増やす必要はない。他よりも強くなるためには相手より多くの人が必要になり、そのためには沢山の食科=農耕・牧畜が必要になる。しかし、大きな支配は農耕民族ではなく、農耕民族を支配下にいれた遊牧民族の出現によって生まれたのではないかという。それ以来、支配するものが支配されるものに生産させることにより社会を拡大し、さらに支配を広げてきた。そして、その動きは今現在も続いており、その社会の中で我々は生きている。


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◆この社会に救いはあるのか
 では、どうすればこの流れを変えられるのか。安定社会はひたすら侵略されつづけるのか。この疑間に関しても西田先生はあっけなく答えた。「そうや」。では、どうすればいいのか。西田先生の答えは、今まで考えなかったことを考えなければいけないと言う。現在行われている環境政策のような延命策ではなく、どう文明が崩れるのかを考える。人の一生を考えるとき、死ぬことを無視せす死を前提とすることによって、よりよく生きられるように、文明も崩壌することを考えた方が積極的に生きることができるのだと。私もそう思う。そして一般には、文明の崩壌=人類の破滅のように言われているが、両者は本当に一致するのだろうか。そう考えるのは今の文明を全てと考えるからではないか。文明の崩壊を前提に、今そしてこれから何をするか、どう生きるかを考える必要があると思う。そう考えると、自然の摂理を大きく無視した核や原子力、自然界で分解することのできない化学物質、遺伝子操作などが、文明の崩壌=人類の破滅にしてしまう、きわめて危険なものだということを、改めて知ることが出来る。

◆発展社会に疑問を持つようになったきっかけ
 それにしても、西田先生はなぜ発展社会に疑問を持つようになり、そして吹っ切れたのか気になったので聞いてみた。西田先生も、子どもの頃は「勉強しなきゃ」と思い頑張っていたという。しかし、飽きっぽくて、長続きせず親にも怒られた。頑張ってやろうとしてもやはりダメ。しかし、社会ではこの飽きっぽい性格は、悪い性格と見られてしまう。この自分の性格と社会の規範とのギャップに苦しんだ。しかしある時、自分を変えられないのなら、社会を変えてやるしかないと吹っ切れた。「無理して頑張らんでも、ええやないか。ワシがワシで何がいかんのや」と。それ以来、「生きる目的は楽しむこと。これは義務であって、人として果たさなければいけないものだ」と考えるようになったという。

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 自分の人生を考えるとき、選択肢は現在の発展を義彬づけられた社会の中だけにあるわけではないことを改めて考えさせられました。今の社会に自分が合わないのなら社会を変えると言う選択肢や、文明と接触しながらも今も安定社会を雑持しているネグリー卜の人々のように、社会の流れとは別に自分たちの生き方を貫く、と言う選択肢もあるのだと。そう、私も「変わるぺきなのは自分じゃなく社会の方だ!」と思い、社会運動家になりたいと思ったのです。そして今も、「楽しむ」という、人としての義務を果たしながら、社会を変えることを模索しているわけです。自分が今いる位置を考えるヒン卜を与えてくれた西田正規先生に心から感謝したいと思います。

(文責:落合 宏)


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