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 2月1日から7日まで、大学を飛び出して、埼玉県の小川町での、有機農業入門講座に参加してきました。帰ってきてどうだった?と尋ねられると、言いたいことがありすぎて困ってしまった私ですが、書いている今も早く皆さんにいちいろ伝えたくて……もどかしい!でもとりあえず説明から始めます。
 この講座は、日本有機農業研究会と小川町有機農業生産グループの共催で開かれました。前者青年部代表の田下隆一さん、後者代表のり金子美登さんをはじめ、小川町で「自給農業をやっている気のいい仲間たち」のあたたかいつながりが、私を含めた研修生25名を笑顔半分・真剣な顔半分で迎えてくださいました。半分=50%と言うより、笑顔100%・真剣な顔100%の合わせて200%のパワーで、と言った方が正しいその1遇間、私たち研修生も全身でそのエネルギーにぶつかって、「体で感じながら楽しめる有機農業」に身と心でふれてきました。研修生は下は19才(!)上は40代後半、学生・勤め人・主婦&主夫から既に農業を営んでいる人、脱サラして(!!)就農準備をしている人まで、こんな人もいるんだ!の見本市のような様々さ。講座申し込みと一緒に書き添えた、”農に対する思い”を読んで小川の皆さんが四苦八苦の譲論の末決めた25名は、噛めば噛むほど味の深みを増すするめのように、また時と共に昧わいを変えながらいつ食べても美味なキムチのように、刺激の多い人たちぱかりでした。
 橘さんの研究室にぷらっと寄ったとき、ペらっとめくった機関誌の1頁に目がとまらなけれぱ、この出会いはなかったのです。すると、本当に出会いとはありがたいものだと思われます。今回の副題〜つながれアグリエイター〜には、農(アグリカルチャー)を楽しみライフスタイルを生み出していく人(クリエイター)という意味のアグリエイターが、つながってネットワークを作ることで、自給はより豊かな"相互扶助の自給"に高まり、農より生じた文化が同世代・次世代へと継承される、そのことに感動した私の想いをこめました。

 ここまでの「」内の言葉は、入門講座の資料集から抜粋したものです「"アグリエイター"とは私の造語ですが、もし既にどこかで使われていましたら、教えてください。


 何に驚いたかって、それはもう驚きの群発地震の毎日でしたが、とにかく食ベものが oisi.GIFのでした。収穫のとき生のままつまみ食いした春菊の甘さに「こんな春菊を作ってみたい!」と捻ったり、私にとってはお姉さんの年の方がごちそうしてくださった、手作り味噌や豆料理・発酵させる漬けもの・自家製バン(もちろん小支粉も自家製)などなどに、「私もそんな技を身につけたい!」と奮起させられたり。考えてみれば私も子供のころ、味噌は母が作っていたし、正月のおしるこも栗きんとんも父の育てた小豆と芋で作っていました。父が畑から抜いてきた人参や大根は、母が人参ケーキに焼き、たくわんに漬けて。私は父の畑での食べものづくりの技も、母の台所での食べものづくりの技も、この身から離したまま二十歳を越してしまいました。農に楽しみを覚える今、やっと父母がしてくれたことのありがたみがわかる。父母の技の素晴しさがわからなかったから、父母の愛にも気付けなかったのか、と改めて思います。
 食はもちろん、作れるものは何でも作る知恵と技に脱輻。温床(有機物の発酵熱で苗を育てるもの)の骨組みは裏山から切った竹で組み立て、広さ12畳ほどの物置小屋や6畳くらいの鶏小屋も、測量・設計して建ててしまいます。普通は作りたいと思っても技がなくて作れない。だからお金で技を買う。そういう技を互いに教え合いながら自分のものにして、生活を作ってゆく。また10年かけて山の落ち葉を腐葉土にし、20年かけて枝ごみ(都会ではゴミになる木の技を積んだもの)を土にするような、長い時をかけて育てる技が、小川の人にはありました。人間の歴史と知恵の結晶である技を、活かすも殺すも人次第、です。
 技があると、作る楽しさがあるし、金の出ない生活もできて一石二鳥。車検まで資格を取って自分で車を直す人もいらっしやいました。でも突然襲ってくる病気や事枚にはたちうちできません。実際、就農してこれからというときに事故で亡くなられた、若い仲間のお話を何いました。そんないざというときの保障をどうするのか。やっばり大資本とかお金に頼るしかないのでしょうか。保障の自給〜それができるものこそ相互扶助のシステム=有機的な人間のネットワークだと思います。お互い本当に辛いときは支え合う。自分だけで100%どうにかできるのが自給ではなくて、そうやって助け合える仲間達を、自分で探して結び合っていくのが、より人間らしい自給だと思うのです。「医lさえもネットワーク内自給できるようになる、そんな人面関係づくりも、有機農業運動のひとつなのでしょう。


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 しかしそのネットワークづくりが、特に産消提携でうまくいかない。消費者は虫つきの野菜に文句をいって、「有機農産物」とガイドラインの表示をしてあるものをスーパーマーケットで買う。生産者は農協や業者に「儲かるから」と頼み込まれて「有機農業」を始める。そこには食べものを食べる喜びも、食べものをつくって生命を支える自信もありません。
 ひとくちに有機農業と言っても、小川町だけで見ても十人十色の生産者がいます。そして提携している消費者がいます。皆さんそれぞれですが、しっかりとした姿勢を持っています。手をかけられる範囲で野菜をきれいにして配達する生産者と、家のすぐ裏が大型スーパーマーケットでもそこでは買わない消費者。また1年中同じ値段で捉携し、冬は保存品で少ない分を補う生産者と、そんな時も生産者の生活を保証する消費者。
 産消捉携がうまくいかないのは、このような「自分の姿勢」が無いからではないか。消費者は貸金労働において、労働力だけでなく、生活を作り出す技を覚えたり伝えたりするエネルギーや時間も売り渡してしまって、あるのは金だけ、になっていないか。生活を作るための労働が、消費するための労働になって生活を喰いつぶしていないか。労働は自己実現のためと言いながら、生活的自立ができない自己とは何なのか。消費するだけで生活を生産できない消費者は、食べものを食べることが自己を再生産することとは思えない。消費者がその自覚をしなければ、食へのありがたみ、ひいては生産者への故いは生まれないでしょう。
 生産者のほうも、農業が「業」に偏りすぎて農の面白味をなくしてしまいました。食べものの顔をした商品を作るため、百姓が積み重ねてきた技の結晶である土から、遠く離れた資本の試験管の中で作られた理論の不透明な技術を、生産者は消費しています。その一方で食を創造する百姓の文化的芸術性は失われてしまいました。
 消費一辺倒者から、食べものを食べる自覚を持ち、自分だけでなく生産者の生活再生産もつくりだす生活生産者へ。消費型生産者から、食べものをつくる自信を持ち、消費者の食を保証し自分の生活を保証してもらう生産生活者へ。双方のアグリエイターへの脱皮が望まれる。しかし噂が1日で広まる農村型共同社会は崩壊し、また個の自由に基づく欲望競争社会は行き詰まり、新しい人間関係を欠いた無重力空間で、個は浮遊している。このような状態でライフスタイルを変革するパワーを持つのは難しいでしょう。前述しましたが、この佃が、生産者消費者共にアグリエイターとなってつながりあう、新しいネットワークづくりが有機農業に必要なことなのです。

 なんとも啓蒙者的な言い国しで、偉そうで……すみません……言いたいことはそんなに小難しいことではなくて、もっとみんな楽しくやろうよ、楽しく碁らしている人たちはたくさんいるじゃない、ということなんです。「有機農業は思想先行でついていけない」「もっと技術論で語るべきだ」と言う人が沢山いますが、どんな技術にもその背景には技術を生み出した人の思想があり、だから有機農業の技術が淘汰されていった現代社会も、有機農業を語る時と同じようにその社会を成り立たせる思想が存在します。ちょっと立ち止まって振り返ってみれば、自分がとらわれていて普通だと思っている、現代社会のパラダイム=貨幣価値絶対重視の思想が見えてきます。ふと気付くと白分はそこにどっぷりとはまり込んで、なんにもつくれない。お金で買うしかない。おふくろの味を知らない。朝食のサラダを、自分でつくったトマトでづくり、愛犬の犬小屋を自分でつくる。子供のお弁当に自分で漬けた梅干しを入れる。そんな暮らしができたら楽しそう!なんにも知らないからやっている人に教えてもらおう。そんな、楽しい!から始めるネットワークづくりが、たくさんの人に広まればいいな、小川町の皆さんが言うような「気のいい仲間たち」が増えればもっと楽しいだろうな、と思うのです。

 楽曲を自分連でつくり、自分達で演奏して歌う、やまばとクラプが曲を披露してくれました。メンバーは食の生産者と芸術の生産者。「音楽も自給する」精神のもと、お手製のオカリナやピアノ線を張ったたらいのペースを交えての演奏です。聴いていて、仲間っていいな〜としみじみ。そこに手から生まれた文化がある。だからです。文化とはライフスタイルの創造であり、その文化は価から家族・地域へとネットワークが広がるなかで受けつがれ発展していく。もともと文化とは自給をもとに生じた相互扶助のネットワークの中で、個人が得意なもの(大工・器づくり・織り・染めなど)とその地域の条件(小川町のこうぞ・みつまたが育つ気侯と、寒く晴れた冬、冷たく澄んだ水に和紙漉きが育まれたように)とがあったとき、他の人の足りないところを補うようにして発展してきたのでしょう。
 小川町には手から生まれた文化が息づいていました。漬けものの漬け方、温床の路み込み方、鎌の研ぎ方そして小屋の建て方。文化は生きているから伝えられる。そこに技を生かす人がいる。
 私は自分のライフスタイルを、自分でつくる=自給する百姓に憧れます。食の文化を支え、技を伝えたい。そして地域に根ざした人ネットワークをつくっていきたい。雑草に埋もれた畑で草をかき分け苗を見つけたときのように、「どうしよう」が一歩、「こうしよう」に進んだ1運間でした。

 一歩進ませてくれた方々に感謝をこめて
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 感動の情を伝えたいがため、「です・ます」と「だ・である」が混ざっています。読みにくくてすみません。小川町や農家の方の紹介・描写ができずにこれまたすみません。典味のある方はぜひ1度訪ねて、ご自分の目でご覧になってください。行かれたい方は、山本にご一報くだされば連絡係になります。


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