//The end of T.N.R.or B//
極限
(前に紹介したSFの、エンディングの一部。SF?現実の先にあるものじゃなくて?)
『システム』を破壊することは、人類の努力を否定することでもある。極限まで研ぎ澄まされた知恵があれば、最早そこには各人の試行錯誤や、努力や、主観は必要ない。その知恵に則って生きることさえ出来れば、万事が問題ないからであり、寧ろ試行錯誤や主観は、それが極限まで研ぎ澄まされた知恵と重ならない限り、誤った外界認識でしかない事になってしまうからである。
根本的に、自らを生きずに知識の墓で存在するか、確実に生きるが愚かな猿のままか、このどちらかしか選べないということをシステムは代弁していた。言い換えれば、文明を認めるか、それとも主体性を認めるか、という緊張関係をである。そして己は、主体性を選択したために、文明を認めなかった。結果、システムを今この手で破壊してしまった。文明を、私は破滅に追いやったのである。
猿の状態で出来ることなど、たかが知れている。猿の時代より文明の時代の方が良いということは、私の中で確固たるものだったはずだ。ならば、仮令“システム”=文明が我々を疎外しようとも、本当に文明を信ずるのであれば、喜んで文明に仕えるべきなのだ。文明の中での疎外を、主体性の死を、背負うべきなのだ。……しかしこの結論には、自分自身が我慢できなかった!
だから、破壊した。
その時、自分の中の誰かが、『それでイイじゃん』と言うのを聞いた。良いのだろうか。新しい、別種の進化を成し遂げた文明を作り上げることも出来るが、そんなにうまく行くとは誰も保証しないだろう。でも私は単に、生命全体として生き残りたかった。その為に、必要最低限の事を成そうとしただけだ。そして、それは達成された。