熱帯林研究会 C班
経済小班+人口小班セッション 発表用(非配布用)レジュメ草稿
◆ 破壊的な焼畑は、経済的・人口的な要因で引き起こされる。具体的には、
α;貨幣経済化に伴う破壊
β;人口圧の増大に伴う破壊
である。
α;貨幣経済化に伴う破壊
前項の『導入』で伝統農法自体は問題が無い(=熱帯で最も合理的な栽培技術だった)ことが立証されているので、ここでは伝統生活の生産要求性をみる。
a;貨幣経済化する前の社会 ――破壊的ではなかったのか?――
伝統社会の例(in インドネシア)
1.特異な土地保有制度
・一番最初に熱帯林を伐採した人に所有権発生。
しかしその権限はかなり限定的で、
A.他の人も保有者の許可を得ればただで利用可能、
B.木材も保有者の付けた印が無ければ利用可能……である。
・相続は子供皆に同等の権利あり。→→1土地に沢山の子供が群がることになる。
私有権の権利は、親と同居していた時代の土地に限られる。
・誰のものか分からなくなった・忘れてしまった森林は村有林へ移行。
・村を出た人の土地は村有化される。
・慣習的保有林がある(村から30分程度)。そこでは家用の樹が残されており、焼畑も禁じられる。
→→名目上の所有権よりも、事実上の利用権が優越。共有的性質が大きい。
2.相互扶助システム
・生活必需品を内部で循環(→各世帯間に家計の差が無くなる!)
・帰着者、旅人に対しての金品(塩・衣類など)の分与
・緊急時の協力(火事・飢饉etc……)など、普段から共同体的である。
†結論†
1.2.を通じて、必要最低限の生産のみで生活可能な在り方が浮かんでくる。
これらの関係像は、近代化→個人主義への移行、近代経済システムへの移行をもって破綻しつつある。ex:所有権重視@慣習的保有林の崩壊、村出人の土地の私有化》
b;近代経済体制は、地力収奪的な農業を加速するか?
1.『伝統的生活→自由貿易経済』での貧困化の過程(in タイ)
α.生活の変化
(少なくとも1992年以前で)タイの地方都市近辺に電気が来たのが5〜7年前。水道普及率は更に低く、バンコク(←65.7%)を除いて10%台。
電気→テレビ→消費欲求の刺激→モノに囲まれた生活をするための労働
→→伝統的生活システムの放棄、自由貿易システムへの参入
β.農業の変革(“緑の革命"の悲観的な側面)
1960年代から東南アジア諸国でも、潅漑施設の整備・高収量品種導入→化学肥料・農薬等の投入を行う、(資本)集約的農業が実施されるに至る(“緑の革命")。しかし、貧困な農民層がこれを実施するためには外部からの援助が必須で、それが最近失われつつある。
《「1973年の『オイル・ショック』による産油国の外貨収入増、世界銀行や先進国の政府・民間銀行などからの借り入れにより(緑の革命の実行は)可能であったが、1982年ごろ以降、東南アジア諸国の財政経済事情悪化―――『累積対外債務の返済費、軍事費、治安費などに予算の半分近くを支出しなければならない』―――のもとで、農業への財政投融資が一層困難になりつつある」》
加えて、これらの国々の貿易状況は『悪循環』にさえ陥るほど悪い。
・加工製品と一次産品では、後者に分が悪いという現代の取引状況
・この状況下で、諸国は外貨獲得のために一次産品の輸出量を増加させる
・市場原理に基づき、なお一層一次産品の価格が下方硬直
こうして、更に経済状態が悪化する。
γ.農民周囲の搾取による生活苦の発生
a.タイ、フィリピン、など発展途上諸国では、商人・高利貸による農民からの収奪(不等価交換)が行われている。元来の生活基盤が弱い上に、天水田等の自然依存型(→凶作等に弱い、安定が見込めない)の農業をおこなう大多数の農民層は、こうして“債務奴隷"にされていく。
《ex:1シーズンで2倍に膨れ上がる借金〜1980年代のタイ東北部〜》
b.フィリピン中部ルソン、タイ中部、ジャワ、マラヤ北西部等では、地主制度が多く存在。これが小作農を生み出し、かつこれを隷属させ、小作農は生活苦に陥ることになる(刈分小作《=定額で雇われる定額小作ではなく、収量の変動による》であるため)。
†結論†
複合・総合的に、世界経済機構に参入する時点で貧困が起こる。
加えて、今回は触れていないが、アジアでは既に根深い貧困の社会土壌が在る。
2.貧困脱出策に農業を選んだ場合(in インドネシア)
必死で貨幣を獲得しようとするので、焼畑が2面で改悪する。
α.焼畑を持続させるのに必須な『休閑期』の減少
よって、“伝統的"な手法に因る焼畑も、地力収奪的な性質を帯びるようになる。
(焼畑は、1〜3年の栽培年+12〜15年の休閑期が必要)
β.商品作物を生産(非自給的、攻略的)
ex:コショウ
MERIT |
DEMERIT |
カネが儲かる! |
耕地が米・野菜の2倍は必要
10年でその土地を放棄(地力の限界)
休閑期をおいても、二次林が間に合わない
|
+γ.さらなる耕地を求めて、奥地の原生林へ侵入
その先で、α・βが繰り返される。
→→ “β 人口圧の増大に伴う破壊”へと接続される(ここでは割愛)
僕の所属した学類の経済系のエッセンスは、上記のイデオロギーであった。経済的な手法や調査法を付加しても、それは全て上記イデオロギーを表明する為の方法論に堕していた。
比較優位学説、貿易の正当性などは大胆に無視され続けた。これは、
農本主義的世界が唯一の環境適合的な文明体系であるという主義を貫徹する為だった。そして、
環境保護に対するある程度以上の正しい処方を編み出してしまっている点で、また改革の実現可能性が極めて低く絶望的な点で、この思想は僕を未だになお延々と苦しめ続けている。
だって、この分析が正しいなら『世界人口を減らし、経済競争の水準を押し下げることか、現状の資本主義を止めることでしか環境は悪化する一方だ』という陳腐かつ正論の結論にしかならないでしょう……? じゃあその為の方法は? 総体的な自殺? 無差別で平等な大量殺人? それとも既に破綻している計画経済制の強引な導入? ムラの無意味な拡大と地域間戦争の再来? 判断放棄? いいかげんにしろよはははははは死(崩壊)