//理に生きる者の生存//

たまにゃマジに。

Thomas Woodrow Wilson,1856-1924
 我々学生や教授といった大学人は、基本的に理に生きるものである。そんな我々が現実に何かを刷新しようとするとき、一体どういう政治を執る可能性が大きいのか? それを現実化したのが、国際連盟の設立で知られるウッドロー・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson,1856-1924)である。私はこんな興味から、彼を調べることにした。……という課題を使いまわしたモノ。レポート用紙B5で2枚に収めなければならない制約の中、ちゃんと大好きなコイツの『熱』を保存できたかどうか気になる。




 ヴァージニア州ストーントンに生を享けたウィルソンは、3つの大学で法律学・歴史学・政治学を修め、4大学で教鞭をとる教育者であった。1902年にプリンストン大学の総長に昇進した彼は大学の発展に尽力するが、大学院の学部長との個人的な論争に巻き込まれたために1910年に同大学を後にする。これは同年にニュー・ジャージー州で知事に任命されたからであった。そしてその勢いで1912年には民主党推薦の大統領に、続いて1913年の3月に大統領そのものにも就任していた。

 彼は、就任前から外交政策というものに独自の視点を持っていたとされる。対外関係のノウハウやメカニズムには訓練を欠いていたが、それは外交の軽視ではなくアメリカの国際関係に対する哲学―アメリカは国力を増大した、アメリカはもはや孤立出来ない、アメリカは世界の偉大な権力者として君臨すべきだ……という拡大基調と、カルヴァン派キリスト教の伝統と楽天主義を基本に持つ理想主義―が、彼をそう動かしたのである。そしてそれらは、世界に向かって実行される。彼は『神の計画の実現』としての世界への民主主義拡大という目標を変えることはなかった。

 ゆえに本人は聡明で狡猾にさえ振る舞うこともあったが、しばしば実現不可能な解決策を案出したり、国際政治において理念を追い過ぎて実益を損なったりした(アメリカのみならず、諸外国にも不利益を被らせたことがある―中国の6カ国借款団の例、メキシコのウェルタ将軍の反乱の対応例、等)。彼が持つ個人的優越性(同僚より卓越した知性)が選民的運命観を派生し、それゆえ理念を追いつつ行動的、独走的な大統領を形成したとされている。この辺りが授業でも取り上げられていた、他の3人の拡大基調を中心に据えた大統領の中でもとくに『宣教師外交』と揶揄されるに至る理由なのだろう。

 彼の実績は結局、モンロー主義の終結、第1次世界大戦への最初の中立と、その後の参戦決定、そして有名な集団安全保障(国際連盟)体制の『不完全な』創立にとどまる。連盟を当初の目的を果たすものとする筈の第10条―連盟のあらゆる加盟国は、連盟の他の加盟国の領土保全および既存の政治的独立を尊重し、かつ外部の侵略に対しこれを擁護することを厳粛に誓約する、というもの―に対し、アメリカ議会の留保を挟もう(=事実上の無効化である!)とするロッジ上院議員との論争(1920)で敗北。この直前に既に精神に異常をきたす程の発作に見舞われていた彼は、政権を離脱してから4年後に他界してしまう。



 さて、週刊誌的なウィルソンの基礎はここまでにして、焦点を国際連盟設立前夜の状況に絞ることとしたい。授業で言うように、彼の周囲が全て19世紀的であったがための敗北だったのか? 同様に、彼の病気が全てを悪化させただけなのだろうか?

 手元にある本のうち伝記的色彩の濃い一冊は、現代の核戦争時代を予期した“予言者"こそ彼であり、やはり『世界の諸列強もまた、同大統領が創設した世界的規模の普遍的集団安全保障体制を実施に移す準備がいまだできていなかった(資料1、185頁L2−3)』のであるとの見解を持つものであった。続けて、彼は病気でなければ「10条の妥協」も行ったはずで、“歴史的大失敗"とされる国際連盟のアメリカ非加入といった事態を引き起こさずには済んだのである、とある(非加入が大失敗であることは共通認識になっている)。

 しかし私は現代の(国連憲章第7章で、国際連盟規約第10条を完全に実現したはずの)国際連合が、大国同士の戦争的事態に何ら影響をもたないところからみて上記の意見には反対であった。そう思っていたらもう一冊の本のほうでは『憲章上の国連軍は未だに設置されていない』ゆえに『普遍的な集団安全保障は“理想"としか言いようがなく、そして、それを批判したロッジ外交委員長たちの現実的な主張には妥当性があると認めざるを得ないのである(資料2、145頁L12−14)』とある。ただしもちろん、こちらの本でも国際連合が持つもう一つの役割のほう(多角的国際協力が可能になる場)を予見した大統領ということで、ウィルソンの評価を貶めているわけではないが。

 どちらにせよ、現在でもウィルソンの願いが完全には達成されていないのは間違いないところである。そして、彼の周囲が19世紀的であったと断罪することは、彼の望みが果たされている訳ではない以上は現在の我々にも出来ない計算である……、と思っていたのはさほど間違っていないことが解ってすこし安心している。歴史はまだ終わっていない。




参考資料1;『地球時代の先駆者』アーサー・S・リンク、玉川大学出版部
参考資料2;『ウィルソンの国際社会政策構想』草間 秀三郎、名古屋大学出版会


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