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個性×システム

ES in Myanmar, PAGODA  表紙を気をつけて読んでくれた方はとっくに気づいていると思うが、実はコレはプロメテウス・ラボラトリーを意味する。プロメテウスの実験室。人類に火を与えたがゆえに、ゼウスに虐待される(不死なので彼は殺されないが、無人島に鎖で縛り付けられ、肝臓を禿鷲についばまれ続ける)存在の実験室。彼は火を与えた他、様々な局面で父であるゼウスに知で上回り続け、父の政策をことごとく批判し続けた。しかし父とは違って、自分の王国とか体系を作る事はなかった。


 彼は卑怯な存在であると言えよう。ありとあらゆる側面において知的でありその能力は相当なものの筈なのに、自分に自信がなく何に対しても自らの手を汚そうとはしない。可能性から一つを選び、その他を全て消すような能力、禊法とか淘汰とか選別とか呼ばれている一連の血生臭い能力だけは絶対に使おうとはしない。

 可能性だけを追求し続けるのでは世界を変えることは出来ない。世界は有限だからだ。そして本当は誰もが、そうした血の匂いのする力の使用を忌み嫌っているのだ。しかし彼はその態度を曲げない。だから自分の王国は持とうとしない。とても思春期的で嫌なヤツ、これが僕の彼に対する評価である。


 そのために、彼はこのページの主題にぴたりと寄り添う。

 このページで書いて来た文章群は全て、いわば傍観者的な文章である。実際の作業現場で(それは政策決定とか、専門家コメント要求とか、マインドコントロール/教育現場とか、環境政策とか自信とか労働とか文明とか)このページで挙がったような疑問を解こうとすれば、システム自体が成り立たなくなり何も出来なくなるような状況ばかり選んで書いている。僕だって、何も出来ない方が正解で何もせず生きる事が良いとまで考えていないし、不完全なシステムでも存在していたほうが良いとする立場に否定的な訳じゃない。やはりプロメテウス=可能性の垂れ流しは、ゼウス=システム=『日常』の敵で、彼は社会にとっては優れて危険な存在であることも理解している積もりだ。知る人は知るように、昼間の仮面モードの僕(『私』)は『生産性(統合的な意見、発展性のある展開、システムに乗り易い論理を善とするもの)の呪縛に囚われている』とさえほざくヤツなのだ。しかしそうやってシステムを高めながらも、なにか物足りなさを覚える。何処かに疼きを感じる。多分それは、全能性を捨てざるを得ないタマゴの痛みだ。特化され細分化された場所にしか居場所がなくなりつつある事への悲しみだ。


 だから僕はいよいよダメージが蓄積してくるとこの世界に戻って、良いだけ可能性に溺れる。このページは、僕の中に居るが日中は強引に監禁されているプロメテウスの為の、若しくは誰もの内側にある筈の『脱分化欲求』の為に捧げられたページなのである。ゼウスが人類を見放したとき、唯一人々を救ったのは彼だったのだから。
 もっとも、やりすぎて地獄にまで火を与えた場合はルシファーになるので、お互いに気をつけよう。



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