//炎を凍らす//
responsibility for Biosphere "1"
俺が最も恐れてるのは、将来「あのときは若かった」とか「不器用な若気の至り」とかいうような、何度も発言されてきた都合のいい台詞で、現在の行為の全てを否定すること。夢が破れても生き残る為にこんな台詞を捻り出した場合も含めて、絶対にそんなこと許さない。そこに流れる哀感を俺は絶対に認めない。人間というものを馬鹿にしている、と即座に感じるから。
本当に何かを改革したければ厳密に戦い続けれればいいし、それが頓挫したらそれを素直に笑って認めればいい。頓挫が本当に嫌ならば爆弾を作り始めればいい。それをしないなら、もう改革のことはすっぱり言わなければ良い。自分の人生を無駄なものとして排除しさえする方が、まだ世界から希望を消さない方法になる。(「無駄な人間」というものはさておき、「無駄な人生」というものは確かに実在する。近代は「強い人間」だった筈の人間像が、「無駄な人生」を認めないことで何時の間にか管理可能な「弱い人間」像になった事なんか、そしてこの事が現実世界から生気を抜きつづけている事なんか、俺が言わんでも本当は誰もが薄々気づいているんでしょう?)
我々は常に、こういう訳で将来的に否定され得ない高度な行動をしなければならない。俺はコレを実行する為、ただ熱く燃えてるだけの行動は絶対やらない事にしている。同時にそれは、熱い奴よりもきっと俺のほうが残酷だ、と密かに思う理由でもある。