正直すぎる膨大な書き手が綴る膨大なる情報量、正直すぎる膨大な受け手が織り成す非情な市場原理。旧メディアが大衆を大衆として置き続けるためにどうでもいいデータをタレ流し続ける後ろで、ひたひたと世界の真実を吐き続けるウェブページ群。
頁たちが騙るクスリの造り方なんか信用しちゃいけない。では、信用できる情報源は?そんなものは世界の始まりからそもそも存在して来なかったのだ。此処では自分の意思を持たない者、情報の取捨選択が出来ない者、様々なレベル(心理戦からプログラム戦迄)で行われる情報戦術を心得ない者は、本来あるべき位置に――情報地獄の底に――位置され淘汰される。非情なまでに分かりやすい世界ではある。
そうした面をもつ一方で、現実の世界では「数の上で絶対に劣る」というだけで妥協を余儀なくされているようなマイノリティ達の、絶好の寄り代ともなる面をも持つ。時間も距離も超えて同じ信条の下に集結することが可能な、殆んど唯一現実的なメディアがネットなのである。社会圏をほぼ無限大に拡大出来るという魅力は、何らかの意思さえあれば誰かとは繋がる事が出来るという状況を意味している。同一人物が幾つの顔を持っていようとも、それは何ら異常とは見做されないというネット特有の道徳が、マジョリティの仮面を被った人を元のマイノリティに引き戻す事で、より一層社会の細分化が加速するのは明白である。
公正を期して書くなら、こういう社会は今までどこにも存在しなかった社会じゃない。都市部の下層階級が住む地域になら、こういう無政府主義的な集会所――それが場末系の飲み屋か邪教の黒ミサかは関知しない――はあり続けて来た筈だ。ただ新しい事態は、「誰もが」「何処からでも」「瞬時に」そこに飛んで行けるという事が生み出している。そこに新種の思想が根付いていても不思議ではない。
こんな声が、眠る前に貴方を襲った事はないか?
「ああ、退屈な連中……」「そんな事、ネットでもう知ってるよ」「その論理、いっつも激論の対象となってる。繰り返されるムダな言説!」「アンタ先生だろ?ネットの彼に負けてどうすんのさ」「奴の強引に展開してるアレは、いつでも此処でトラブる筈なんだよな。先例があるから」「今知らなくたって、調べられる力の方が大事だ」「コイツ常識を疑ったことないんだ。お幸せな奴」「くっ……ネットに繋がってさえいれば……こんな課題なんて」「少しは調べろ、この単細胞!」「誰かに……逢いたい。どうして誰もカキコに反応してくれないんだ?」
こうした意識が常に貴方の閾域下に出るようになると、貴方は「意識の加速」や「[人間の限界]の突破」、「無意識での常時接続」なんかを望むようになる。実際、パソコンを終了したばかりの貴方はもぬけの殻といった表情しか見せなくなり、声はしわがれ、心は現実世界のなかで未だ空しく疾走を続ける。自然に早口になる。パソコン=ネットワーク、「ワイアード」の内側で行なっていたような高速の情報処理能力で現実世界にほうり出されても、現実はそんなに高速には操作出来るようになっていないから。自分の身体を含めて。
現代人の脳のキャパシティは既に、肉体/現実世界での稼動では物足りなさを感じる程に肥大しているのだ。今迄は、肉体の存続の為にこの能力を失うことを余儀なくされていただけなのだ。でもこれからは違う。世界は始原の時代にそうだったように、自由な操作対象に戻る。そして世界の操作に慣れてきた頃、今まで気づくことすら不可能だった「社会」の枠がはっきりと見えてくる……。
本来は決められた範囲内の思考しか出来ず、大したことも出来ないで死ぬはずだった無力な人間達、負け組に配属させられていた96%の我々、与えられた欲望を消費することしか教えられなかった大衆に与えられた、最期の解放の為の兵器。対象を理解するにはただ知識こそが必要である、という態度がこれ程までにネットを覆い尽くしているのは、まさに自分の所属する狭苦しい社会からの解放の為にこそ知識を使っている、という背景に原因があると考えるのが妥当だろう。現実世界への関心を次第に失い、しまいには命を軽視するようにさえなるというネット特有の空気は、ギリシャ人の呪い「幸福なことは生まれないことだ」という主知主義者の限界点を彷彿とさせるが、この態度は「負け組が負け組らしく自己判断能力を喪失し、大衆となり果ててこそ社会が成立する」という現代の真実に反旗を翻しているという意味で必然だったのだろう。まさに生きる為だけに、我々は自分を大衆にしておくのだから。
本当の意味での自由を、現在のネットワークは提供するだろう。どこまで自分を「縛り/守って」来た不自由を取り払うか、自分の思想の足場を何処まで侵食させるかは貴方の一存にかかっている。完全な自由を望むとき、貴方が「神」でもない限りは、貴方も死に魅かれるかもしれない。
「繋がりさえすれば、そこにはそれが既に待っている。誰も貴方がそれを知るのを邪魔できない」
---inspired from "serial experiments lain"