//利己主義//
egoism is right
「己を利するのみ」を主とする義、を利己主義というが、今まで世間でコレがどれ程攻撃対象になって来たかは、最早あまり考えたくない(悪+利己をGooで検索すると、これだけの頁が引っかかって来る)。そして大抵は、「欲」や「拝金主義」への攻撃とペアになっている。
しかしコレを本当に攻撃できる人は、一体どれだけいるのだろう。
この頁を見る直前に食べた食事を思い出してもらいたい。その食事を我々のもとに届けるまでに、誰をどれだけ損なって来たか……何故かって? だって我々がそれを食えるのは何らかの収入があるからで、その収入を得る為に誰かに勝ったんでしょう? 競争が無い人は実際にはいない(例えば、農業をしているからというのは理由にならない。農業に必要な土地を所有できない人々を忘れないで欲しい。私しか創れない技術があるからという技術者も、その能力が天賦の不平等なものである事に思い至るはずだ。子供や下働きですら状況は同じだ――誰かが上部で戦闘をしていて、そこで得られた収益で食べている以上。誰かに奉仕している積もりの人だってそうだ――奉仕が無償じゃないなら)。そして誰かに勝つときの基準はその時々で変わる奴でしかなく、そうして究極には無根拠な訳でしょう?
社会的に許されていないから、なんていうのも随分お粗末だと考える。単に多数派に都合のよい形態を社会が取っているだけで、それ以上の根拠なんて何処にも存在しない。実際には上に書いたようにしてその日の食を得ている多数派にとっての都合。ゆえに、他人は自己にとって安全な振る舞いをする=利他的な雰囲気の存在でなくてはならない。その為だけに最低限度、自分も利他的な仮面を覆る、ただそれだけのこと。
もういい加減に、他人や自分の利己主義(「欲望」だって同じことだ)に激するのはやめようではないか。ここは、極めて利己的に活動することでしか食を得ることすら叶わない最悪の星なのだ、という認識を肝に据え他者を見つめた時、貴方はまだそいつを許せないだろうか。
拝金主義だって、彼らが安定して――持続可能に――存在してゆくことを脅かされたからこそ発生する態度の筈だ。証拠として物欲が一種のトラウマの表現方式である事は既に心理学領域で理論化されている(コレを発見した人は、マジで偉大だよね)。
彼らが無意識的にそういう活動を取れる程に精神を歪めなければ、存在すら許されなかったという事実を推察したその時に、利己主義を断罪するなんていう馬鹿げた真似は世界から失われる筈だ。そこから、あるいは星のルールそのものを変革しようという流れが生まれるかもしれない。自然発生するこうした悲劇の構造自体を破壊しようという、ホンモノの常識の作成作業が生まれる方をこそ僕は信じたい。
……それとも、利己主義攻撃が結局は自身の利己の主張にしかならない、というルールが見えても、やはり僕らは互いに利己を主張しつづけなければ生存できないのだろうか? 僕らはやはり、餌の限られた所で指数関数的に増殖し直ちに死んでゆく、細菌培養シミュレーションと同じ振舞いをするようにしか造られていないのだろうか?