僕が中学校時代に所属していた『部活動』は、かなり典型的な『勝利至上主義』の部であった。ここでは、生徒は担当教官の操作可能な成長する自動人形と化し、部活の纏まりも、個性の伸長も見えて来なかったような空間だった。なんかメンド臭いという思いや馬鹿みたいなツラさを背景に、当時のまだ弱々しい自我に非常に大きな敗北感と嫌悪感とを与えられて部活動を退出しようと決意することになるが、“強い"選手には決まってある筈の引き留め文句が一切無しに、僕の退部届けはものの数秒で受理された。正直言ってナメンじゃねぇなどと思ったが、何処かでそいつを納得している自分が何よりも嫌だった。これは僕にとって一種のトラウマ体験であり、以後は教官のいる体育会系の部活動に積極的に参加したことがなかったりする。
ところが、このトラウマは単なる傷では済まなくなった――僕が高校時代に参入したクラブを考えてのことだ。そこでは教官が完全に存在せず―複数のクラブを同時にかけ持つ、名目上の担当教官である―、生徒はそこで完全に自分のペースで練習をすることになっていた。そして……誰も上達しなかった。そしてそんな状況を嫌った当時のクラブ副部長は、自分が昇格するや否やあっというまに物凄まじいカリスマ支配を下級生にやってのけ、そして下級生は驚異的なスピードで上達していったのである。そして集団の結束は、皮肉にもその部長に対する反発で強固なものとなった。この部活は最初は典型的な自由発生クラブであり、後半は教師がいないだけでほぼ勝利至上主義クラブであった。よく特別活動関係の文献が示す『自由放任型のクラブは理想論である』という主張の証拠を強く感じるはめになってしまったのである。
開発途上国における開発独裁政権のように、人間の大多数は民主主義や人権や道徳と言った概念よりも、歪んでいることが分かっている独善者がいるほうが、結局“遠く"まで来られるものなのであろうか? であれば、当初の中学校教官はその判断を誤ってはいないことになる。まず先に“遠く"を見せ、それからあらためて生徒を再編成する、という手法だったのかもしれない。さらに、体育的クラブではどうしても『自分の肉体』という道具の善し悪しが未来を決定するために、“遠く"が見られそうにないものには予めそれとなく知らせてしまう、という手法があってもいい。(だからといって当時の先生に尾を振るつもりになるほど、僕も安易ではなくなってしまったが)
こういった実地があるなら、道徳の総本山とも言える教育現場で、クラブ活動の自主自律も認めないのかと単純な理解では思ってしまいがちな文献が非常に多く存在するのも、実際上の理由として(最上解ではないとは知りつつも)理解出来ることに思い至ることに気づく訳である。僕は特別活動において――いや、何らかの指導をする時には常に――このような『嫌われる』指導方針の有用性を積極的に認め、ここで損なってしまう筈の生徒の自由精神を自分自身の罪として受け入れ、安易に手放さず持ちつづけたいと望む次第である。生徒達には同時に自由精神を教え、十分に自分達の置かれた醜悪な環境を意識させるのも、庇護とはまた別の方法で理想的な教育なんだろうということだ。恐らくは『父性』という名の。