//中産階級//
roots
この先何が自分を脅かそうとも、私にはこういう絶対領域がある。こんな思い出だ……家族とイタリア旅行に行く前、一人で札幌で開催される同窓会に向かうときの出来事。
その日。
早くに空港に着き過ぎた私は、時間潰しに空港内の喫茶店でアイスコーヒーでもと思って、うろうろとビッグ・バード内を歩き回っていた。結構デカい青バッグによたつきながら、ほうほうの体でそこに入る。最初直感した方向そのままに店を発見したことにひとりごち、荷を下ろし、コーヒーを注文する。
注文書が書き込まれると時間的に変な空白が出来た。やっと、周囲の状況を落ち着いて把握できる時間が生まれる。隣の場違いに忙しそうな家族連れ、完全に寛いでいる母娘、ヒマそうな店員。全体的に空いている。そこで、やっと晴れていたことに気づく。センスの良い控えめなインテリア、白い壁面、その中で観葉植物が絶妙な輝線を浴びていたのだ。聞けば、せせらぎの極めて優しい音がするではないか。
何故か説明仕切れないが、その瞬間泣きそうになってしまったのである。
この瞬間の為にならどんな犠牲だって払っても惜しいとは思わないとか、いまこの時に死ぬのならそれも良かろうとか、遂に理想郷に辿り着くに至ったのかとか、そういう種類の極端な感情が一斉に爆発したのだ。その時既に慣れっこになってしまっていた、不安恐慌みたいに悪性の爆発ではなく。こういう感情は二回目である―――一回目は夢の中の街でのこと。現実生活でこんな感情を持ったのは初めてだった。
言葉で描くと事象が絶対に逃げる事を前提に置いて、ある程度解説するなら、何かあの場に対して聖域的なものを感じとったからなのだとは思う。普段なら徹底的に毛嫌いするであろう俗っぽいインテリアや、いかにも成金な造りの構内、人工性を過剰に感ずる観葉植物などに対して。それらは、何かどこかしら祝福されていたのである。
でもそれは何故この日に限ってそう感じたのか。自分の4時間後に予想される運命に対して、非常に楽しみだったのか?これは否定出来ないが、同時に旧友たちと話が合わなかった時の事を考えて鬱になってもいたので、これは条件の全てではない。キレイな世界の像を結んでいたから?いや、見慣れてさえいる風景でもある――実家のそばのそごう本館に似た種類のオブジェがあり、それを見て育った――。風邪でもひいていたか、脳震盪気味だった……筈はない。どうしたって説明できない!
いや。これは嘘だ。ちゃんと翻訳してやると解はカンタンに導ける。つまりは、その空間が中産階級的だったからだ。日常生活では最早嫌悪され、軽蔑された70年代的な世界が、正確な様式でそこに存在したからだ。既に誰もがその浪費と非持続性を知り抜き、禁断の領域にさえなりつつある様式はしかし、多分子供の頃の幸せな思い出とともに当時の未だ「世界がもう少しだけ安定して見えた頃」を呼び覚まさせるに十分だったのだ。ここだけ、空港内部という最先端的な場所にもかかわらず、時間が止まっていたからだ。
こういう文章を書くことがどれだけ恥ずかしいことかは十分に分かっているつもりだ。この手の文章の氾濫こそが操作された消費を生み出すことなんて嫌ってほど承知している。でも、躍らされている事を承知でも、僕のノスタルジーが自然とこうした形をとるのを止められないのだ。たとえこの先、このノスタルジーが僕の心身を欲しいままに支配し貶めることが分かっていても。この時初めて、僕は否応無くそうした環境に生まれてしまった人間なのだという事を自覚した。
ともかく、そういう状態になった私は、そこで痛く感動しながらアイスコーヒーを戴き、そのままゆっくり感覚を深く深く自身に刻み込み、馬鹿馬鹿しいほど長い時間をそこで過ごしてから、何か宗教的癒しでも受けた気分のままでそこを立ち去ったのである。近年なかった位、本当に最良の気分だった。
幸福なことに、この感覚は旅行の間中ずっと自分を取り巻いていたのである。