//26,September 1998//

hard-econo ☆☆☆☆☆☆


 もう時効だろうと思えるので、僕の敗戦記念日の出来事をここに記録する。このファイル自体は事故後1ヶ月少々で書き上げたものなので、色々現在とテンションが違う(大きく異なるのは、僕の過去の全ての日記がそうであるように「自分への自信を完全に失い、破綻した世界観しか真実ではない(そして、誰か俺を否定してくれ)と文章の端々で呻いている点)。記録としてそのまま保存することにした。

<ここから>


 その日。
 僕は経済学の課題を抱えつつ、翌日のバイオシステム(大学院)の入試要綱提出期限日を前に悪戦苦闘していた。研究テーマがまるで書けない。同時に、ミクロ経済学の自主ゼミへの数学がまるで解けない。僕は今まで一体何してたんだ? そんな焦燥感がより一層事態を悪化させていく。
 確かに僕は経済学専攻になったが、それはあくまで1年前の話、他にも同じような立場に立たされた人は数限りなく多いはずだ。数学が不得意なのは前から周知の事実だったはずで、だれも僕にそういう能力を期待しているわけではない。それなのに、だ。


 ある、環境問題の解決に非常に有効(同時にコレは、科学者と資本流入がもたらす筈の様々な生命倫理問題にも大きな戦力となる筈だった)と思われる手法のビジョンを持っていた僕には、経済学のこのような初歩でつまづいているわけにはいかなかった。
 長期のR&D効果を見ることである科学技術を事前評価、これが収益に結び付かなければ研究自体を停止勧告できるようなシステムの開発。この評価は技術の消費者=市民に基づかせる筈で、結果的には全ての研究が『経済的理由』で減速するように仕向けるはずだった(市民層は総じて新技術を忌み嫌い、生気論的な世界で安定することが多いので)。

 ドン・キホーテ的だって? そんな事は承知済み。かなり大掛かりな仕事になるだろうし、僕一人でコレが可能とも思っていない。でも、基本的に今の社会を嫌い抜いていて、社会を些かも変えられない=世界における自分の意味がないのが確定したのであれば直ぐに死んでおきたい僕にとっては、どうしてもこの手の『理想論』が不可欠なのだ。快楽で生きるだけのふてぶてしさを結局この年齢になっても持てなかったし、「無条件で生きていたい強い気持ち」「誰かを(経済的にも)殺したくない強い気持ち」と壮絶にぶつかり合う結果、常に対消滅してしまっているから。

 でも、この道からは脱落する以外になさそうだった。経済学は数学を自由に扱え、諸モデルを瞬時に立ててしまえる連中にこそ相応しい領域らしい。既にそうした連中が資源学類にもいるようだったし、どう見ても僕は手遅れのようだった。幾ら勉強しても、数学の理解力に限界があった(証明問題で常に、ある関数の「定義」が納得できなかった)。
 他にも、このページ内で挙げて来た種々の絶望が一気に僕を苛む。もう、殆どの事柄は僕にとってはどうでもよく(「生き抜くためには他人の席を奪え」っていう構図は、僕が何を言おうと何をしようと変われないだろうから、ね)、この理想を失った以上、僕がこの世界に居残り続ける意義は失われていた。



 僕は立ち上がると、OLFA社の橙色の使い捨て式カッターを取り出した。世界から消えるためだ。
 ここの次の住人に悪いと思い風呂場から洗面器をとりだし、手首の下に置く。途中で未遂にしておきたくなった時に備え、電話機を横に置く。短縮ダイアルに119を登録する。場所を移動する気力なぞなかったし、よくカウンセラー連中が騙るように死の前に誰かに連絡したり部屋を掃除したりすることもなかった。血をあまりはっきりと見たくはなかったので、照明を全て落とす。
 当てる。不動産が不良物件となるから、最期の迷惑になるんだろう。
 曳く。
 でも、実際には肌すら切れていない。へえ、結構僕って弱気じゃん、とか思う。
 再度トライ。また切れない。

 数度目かのトライの後、妙案を思いついた。カッターの背部分で繰り返し刺激を与え、痛みに慣れた頃に刃を逆さにすれば大丈夫だ。この金属的なネジコミ感が僕を押さえているだけだ。
 裏面で、繰り返し圧し当てては曳く。手首に赤い線が出来る。瞬間カッターを逆さに持ち替え曳く。
 でも力は全然込められず、どうしても切ることが出来ない。
 針状の刺激ならOKだろうと錐を探すが存在せず。でもどうしても包丁で首をばっさり、とか4階から自由落下運動、とかは何だか不格好でイヤ(迷惑度も格段に上がる)だったので、またカッターを前に悪戦苦闘する。刃の部分で強烈に圧し当てていけば、それだけで切れる筈だと考えつきこれも行なってみて、この方法では結構切ることが出来たものの、かすり傷程度にしかならなかった。血は出ても、全然致死的になりそうもない。傷に空気を送り空気塞線にでもしようかと思ったが、脳が先に死ぬ事態は避けねばならなかった。発見されたあとが厄介なので。

 で、そのまま5時間程戦い続けた。98年9月26日、つまりココにこういう文章群を造り始める一週間前である。


 ここにこうした文章をアップロード出来てしまっていることでお解りのように、僕はそれを貫徹するだけの度胸もなく、結局おめおめと生き恥を晒している。最後の頃『コレさえ切れば、自主ゼミのみんなに欠席の理由がつくんだ』『コレさえ切れば、進路を決定することで、誰かの命を奪いつつ自分の精神を壊す必要なぞ無くなるんだ』『コレを切れば自由に戻れるんだ』『コレを切れば、この世界から逃げられるんだ』と考えてしまったのが、自殺を中断した理由。
 逃げで死ぬ積もりはなかったが、結局それ以上の事は出来ていないらしい。それが癪にさわった。

 今はエキストラな人生を謳歌している……いつか又、決断を迫られる日が来るはずだ。それも近い将来に。僕はまだ親の庇護下に置かれてるし、何も問題が解決された訳じゃない。
 またこの日を繰り返すのか? ……さて、どうなるかね?



<ここまで>


 言うまでもないが、余裕ぶった書き口や冷静さを装っている点など全て嘘だ。虚勢に過ぎない。それに今の自分から見れば、随分と幼稚な「自殺未遂・未遂」でしかなかったことも読めてくる。ただ間違いなく保証できるのは、少なくとも「本気で全ての望みを絶ち」5時間連続で、少なくとも自分の脳は自分に死を命じ」「何の余裕も見当たらない種類の混乱に陥っていた」点だ。この点に於いてのみ、僕は自殺と何の関係もない人々とは一線を画されてしまうだろう。僅かながらであれ、それを語る口を得たことも。



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