ある夏の思い出
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1992-07-27
めがね橋 (宮守−柏木平)
この時は順調に走っていたのだが・・・

ある夏の思い出

東北新幹線から急行「陸中」に乗り継いで、宮守下車。まだ10時前、なんと便利な世の中か。

皆さんの目的地はめがね橋らしい。私も、カメラのシャッターを切るタイミングは同じなのだが、ちょっと離れたところから真横のロングショットを狙う。

かくして、D51 498はめがね橋を登っていった。


この年は三陸博が開催されていて、釜石線にも臨時列車が多数設定されていた。よって、SLを1日1往復という形ではスジを引けず、1日目は下りのみ、2日目は上りのみ、という変則的な運転形態であった。

営業運転は4日間で計2往復、その前に試運転が2日間で1往復、都合1週間で3往復しか走らないという、撮る側からすれば決して効率よいとは言えないものである。


1992-07-30 釜石



1992-07-31 土沢−小山田
めがね橋のあと、後続の列車で追いかければ遠野でSLに先行できる。少ないチャンスだからもちろん追いかけるが、また急行「陸中」なので次の撮影ポイントも自ずと限られる。

天気もあまり良くなかったので、2発目は安易に陸中大橋の発車と決めた。ここならば、鬼ヶ沢を転がってくるオマケも撮れる。


ところが、ところがである。時間になってもD51 498が転がって来ない。
百歩譲って、鬼ヶ沢の通過を見落としたとしても、陸中大橋の駅から煙が上がっていない。
いや確かに今日は試運転だが、さっき撮影した以上、ウヤはあり得ない。

第一、私以外にも多くのSLファンが待ち構えている事実。そうこうしているうちに交換列車がやってきて、先に鬼ヶ沢を登っていってしまった。


 何かおかしい───そんな雰囲気の中、D51 498が壊れたらしいという話が伝わってきた。途中でストップしているという。壊れたとはどういうことか。

めがね橋で見たのが、D51 498の最後の姿だったのか。とりあえず陸中大橋駅へ戻ると、待合室では20人ほどのSLファンが神妙な顔つきで何やら話し込んでいた。聞くところ、ひとつ手前の上有住までは来ているらしい。とにかく行ってみる。


1992-07-30 釜石


1992-07-27 上有住

1992-07-27 上有住

上有住でははたして、側線にD51 498が停まっていた。目に見えて壊れているような部分はもちろん無かったが、乗務員は降りてしまって、当分動きそうにない。動軸の過熱が原因とのこと。この先釜石までは下り一方でブレーキの連続使用となるから、このまま運転してはタイヤ弛緩が発生して危険だという。

時間を置いて冷ませば大丈夫ということで、不本意ながらも山間の小駅で臨時撮影会と相なってしまった。


上有住駅は釜石線で唯一、国道から離れている駅で、車では大変行きにくい。

私は列車移動であったのだが、先の陸中大橋駅で雑談の後、私よりも先に出発した車組の面々が上有住に着いたのは、私より遙かに後であった。列車ならものの10分の距離、車では30分以上かかったらしい。何もこんなところで止まらなくても、と愚痴もこぼれるが、深刻な故障ではないと判って、誰しもホッとしたに違いない。

しばらくして下りのDCが到着すると、検修の応援部隊が降りてきた。だが、取り立てて修理する部分はないし、SLファンも一通り写真を撮ってしまって手持ちぶさた。D51 498を囲んで再び雑談が始まる。


1992-07-27 上有住
知る人ぞ知る、和歌山県在住のビデオ屋さん


1992-07-27 上有住
日も暮れてきて、上りのDCがまた1本発車していった。次は最終になる。私は遠野に宿を取ってあるから、その最終には乗らねばならない。D51 498の再起を見届けられるか。そう不安になってきた頃、周囲がざわめき始めた。発車のようだ。乗務員がキャブに乗り込み、投炭を始めた。SLファンも直ちにスタンバイする。

遠くの山あいにはまだ明りが残っているが、辺りはもう闇に包まれようとしている。
そんな時、D51 498のヘッドライトに灯が灯る。

汽笛一声。ドラフト音がこだました。
生き返った!
よし、大丈夫だ。

転線後、釜石へ向けて再び歩みを進めたのは、確か午後7時4分だったと記憶している。



1992-07-27 上有住 夕闇迫る頃、釜石へ向けて6時間ぶりに発車するD51 498

現在、上有住駅は交換設備が撤去され、陸中大橋駅とともに無人駅となっている。

陸中大橋駅は、木造の大きな駅舎が取り壊されてしまった。自作のダイヤグラムを片手に、皆とD51 498の行く末を心配した待合室も、過去のものとなってしまった。

撮影の下見に行くからと、地形図を見せて道を教えてもらった岩手二日町駅。
「歩いていくには遠いですよ」
と言われながらも行ってしまい、完全に日が落ちた頃戻ってくると
「お帰り! どうだった?」
と出迎えてくれた。

今はここも無人駅である。


1992-07-30 釜石

釜石での試運転は何かしら起きるようで、1996年夏の運転では遠野で運転打切りとなった日があった。

私はこの日、新花巻の近くで俯瞰をして、下り列車は早々に撮影終了のはずが、知り合いと鉢合わせになり、急遽、車に便乗させてもらって追っかけ。2発目までは良かったのだが、3発目に車を降りて山に登ったところがD51 498が来ない。

「行っちまったか?」 そんなはずはない。



1992-07-30 釜石
あいにく彼も私も、携帯電話などという文明の利器は持っておらず、しかも超ド・マイナーな場所だけに他の人も来ようはずがない。

2時間近く経ち、またもや自作のダイヤグラムを眺めながら、ここには絶対にSLのスジは入って来ないというところで下山、釜石駅に電話をかけると

「遠野で止まってます―――」


翌1997年には、土沢付近で皆さんと待っていると、東北本線が止まっているらしい。

ん? ということは盛岡から回送されてくるSLも巻き添えを食らいそうである。案の定、盛岡始発の急行「陸中」も遅れを持って来た。

ところで今日のSLは試運転。運休となったところで困る人は、SLファンを除いては誰もいないわけだ。
ちょっとヤバいかなという雰囲気が立ち込めてきたところで汽笛一声、小1時間の遅れで駆け抜けていった。


1992-08-02 遠野

さぁ、ここからがバトルの開始。またまた自作ダイヤグラムの登場となり、SLのスジを推して書き込んでいく。

ここのバツ(交換)はどちらを優先させるか。
SLが営業運転ならば、急行料金を取っている以上、相当な優先度で走らせるだろうが今日は如何に。遠野で後続の普Dを待避するか? いや、例の遠野打切りになるか?

結果は、試運転ながらも「相当な優先度」で走っていった。ただ、本来は通過の陸中大橋で停車し、発車が撮れたのはせめてものプレゼントだったか。



1992-08-02 遠野
 そして1998年。夏というには少々遅い時期の運転となったが、きっとまた新しいドラマが待っているに違いない。

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デゴイチよく走る! Last Updated 2006-07-23