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(2008年6月19日)
「心と技の道標」

6月4日発売以来多くの方からご注文を賜り、
心より感謝申し上げます。
発売後幾つかの誤りに気づき早々正誤表を作成しホームページにアップしました。
皆様にご迷惑お掛けして大変申し訳ございません。
正誤表をご参照下さい。

  *   *   *   *   *

剣道は、機械で計測可能な記録や勝敗を競うものではなく、
さらに勝敗は一時のことで総てではありません。
自己の心と技を成長させていることを認め合う、即ち生きていることを讃え合う、
連続した「場」ではないでしょうか。
これは人生そのものが修行だと考える日本という文化の中でしか存在しない武道です。

修行するに従って自分の前に険しい坂が現れます。
苦心惨憺上ることができるとやや平坦になります。
しかし進むに従ってまた大きな坂が立ちはだかります。
これらの坂は昔の名人達人も通った坂なのでしょう。ちょっとその苦労を伺いたくなります。
そこで、日ごろの疑問を様々な本や辞書、Webで調べ、自分なりに理解したいと思いました。
いったん分かったつもりでも直ぐに忘れてしまいますので、次に読んでも分かる文章表現にしました。

史実と言うものは誰かの手によって書き留められなければ残っていません。
その書き手がどのように理解したかが史実の真実性を左右します。
ここで学者なら、膨大な資料に基づいて莫大な時間という資源を投入し
珠玉の真実を探り当てることができるのでしょう。
しかし、筆者はサラリーマンの身で、通勤時間を入れても1日3時間程度しか費やせません。
そこで分からないことは分からないままに、分かる範囲で書きました。
誤記や舌足らずも散見されますが、ビジネスでも「『やらない』よりも『七分でも仕上げる』ことが
決断力を磨き仕事を前に進める」のだと言い訳を思いついて、上梓しました。

まさに一生のテーマであるがゆえに未完です。
読者のご意見を賜りながら改訂を繰り返すことで、この『心と技の道標』も成長させたいと思います。
剣道を奥深く知り、より良く生きていきたいものです。
                                    ふくだ、石渡
「心と技の道標」
大好評発売中!

出版元: ふくだ企画
B5版178ページ / 1500円

※全国の武道具店でもお求め頂けます。
(2008年05月09日)
書籍の紹介 「心と技の道標」

約10年の歳月を経て ここに完成しました。
本書は、15章178ページにまとめ、昇段審査学科問題はもちろん、この本を読み改めて
日本の文化・武道の素晴らしさを知って下さい。

ここでは終わりの一説を紹介しよう

  武士道は「死」と直面しているので、「生」の尊さを知る
  本当に「強い」のは力ではなく、心と技(智慧)を磨くこと
  相手に勝つことより、自分に勝って迷いを断ちたい
  自分を高める「手引き」としての「道標」がほしい

昨今、血生臭い事件や若者が自らの命を絶つ報道が多い。
先人の武士道・日本の文化を学び「生」の大切さを知って欲しいと思う。

本書は、剣禅一如の世界に身を置いて「只管剣道」でありながら、「稽古見性」していく剣道人の
座右の書として「今、ここで」自分で答えを導く道標になると思います。
また、目標達成をしなければ滅びてしまうビジネス社会に身を置く人には「剣道」を
「ビジネス」や「仕事」に、「技」を「ノウハウ」や「知恵」に置き換えて読んでいただくと、
そのまま日常生活の道標になると思います。
そして、剣道を生んだ日本人であるなら誰でも、この本から日本人が気付かないでいる
日本人としての独自性を、その季節、風土、情緒、感性、気風、風習、文化、思想、歴史、
伝統に、感じていただき、日本人である幸せを再認識していただける道標になると思います。


6/4発売予定!<心と技の道標>予約受付中!

予約受付中!

詳細はこちら

「心と技の道標」
平成208年6月4日発売予定
発行者:ふくだ企画 定価1500円
※予約受付中は送料無料サービスいたします。
  
(2008年04月22日)
『雑草のように』


幼い頃庭の草むしりをさせられるのが、いやでしょうがなかった。
しかし、今は何故かその草にとても魅力を感じるようになっている自分が
信じられない。
タンポポ、はこべ、クローバー等どれを見ても数十年にタイムスリップ、
忘れていた幼き頃の思い出が浮かんでくる。
アスファルトの隙間から芽を出し立派な花を咲かせている雑草
温室育ちの高価な花よりも心を癒してくれる。
そんな思いを防具に生かし雑草のようにより強く美しいものを目指したい。
(2007.10.13記)
『竹刀は、しごき棒ではないですよね!』

剣道は、剣の理法の修錬による人間形成の道です。
現代では、日本刀で斬り合う訳にはいきません。
ですから日本刀の代わりに、竹刀・木刀を用いて、私たちは修錬しております。
それ故、竹刀の扱いも刀法・刀礼に従い、刀とたとえて扱っております。
武道(剣道)は相手を殺傷しようとする武術・技として生まれ、同時に、動じない精神を鍛え、
礼を修め、人格の形成を目指す日本の伝統文化と考えております。
稽古中に、万が一竹刀を落とせば、膝をつき両手で取り上げる。竹刀を跨いだりすることは
許されるものではありません。
この竹刀が、しごき棒として相撲部屋等で使われている光景を見かけるが、剣道家として、
また、竹刀職人がどのように感じるかを思うと、武道文化の将来を継承する上で一抹の寂しさを感じる。
  
(2007.5.5記)
『昔話』

昔の話ですが、警察学校入校時に忘れられない出来事があった。
それは、真夏の消灯後のことでした。
インキンタムシになった親友が、誰かに薬を借りようと寮の各部屋を尋ねて回っていた。
その声を聞いた私は、一発脅かしてやろうと考えた。

「Nさん持ってるよ、凄く効くからね」と言ってチューブ入りの靴墨を渡した。
彼は、喜んで部屋に戻って行く。

消灯後と言えども、直ぐに気が付き絶対に戻ってくると思っていたもので別に心配はしていなかった。
しかし、様子がおかしい・・・戻って来ない。
まさか、心配のあまり部屋をのぞいて見ると・・・そこには、信じられない光景が!

「Nさん・・それ靴墨だよ!!」
遅かりしでした。 やっちゃっいました! その姿は、下半身丸出し両股真っ黒!
8人部屋の同僚もその姿を見て大爆笑!
直ぐに洗面所に行き拭き取りながら、彼は、「やられた・・・」と笑い始めた。
私も、その姿を見て謝ることを忘れ二人で腹を抱えて爆笑した。

この出来事は、30年以上経った今でも同期会の語り草となっています。
いじめが問題視される昨今こんなことを書いておかしいとお思いでしょうが、
何かを感じ取って頂ければ幸いに思います。

※追伸: セールも5月7日をもって終了となります。
ご注文・ご来店賜りました皆様に厚く御礼申し上げます。
  
(2007,3,27記)
『綿袴』 

来月7日から春のビッグセールを行います。
今回の目玉商品は綿袴を1,000円で販売する予定です。
但し、藍染ではありません。
サイズは24号までになります。
生地もしっかりしているし将来綿袴を履く少年にとって朗報と思います。

袴には、 前に5本、後ろに1本のヒダがあります。
これには、深い意味があります。

剣道用具マニュアルをお読みになった方はお分かりと思います。
前ヒダは、人間が守らなければならない五つの徳「仁着礼智心」を表します。
 後ヒダは、二の心のない誠の道を表したものです。
先人が袴を履くときに心掛けたと言われております。

日頃下着感覚で洗濯されている方もおられると思いますが、ヒダを消さないためにも
正式にたたんで洗うことを覚えて頂ければと思います。
そして、これを期に先人から伝えられたヒダの意を尊び着装していただければと思います。
  
(2007,2,19記)
『商品の動向』

手刺剣道防具の<無双>霞の職人がプロデュースしただけあり品質は確かなものであり、
そろそろ完売になりそうだ。 次回は、4月頃の販売予定をしております。

最近の人気商品は、<無双>もそうだが相変わらず「くの字小手」は人気が高い。
とても感謝しております。
しかしながら生産が追いつかずご迷惑をおかけして申し訳なく思っております。
現在サイズも豊富に取り揃える予定で製作中でありますので今しばらくお待ち下さい。

また、左手の手の内革をラムにする方が多くなってまいりました。
一度使ったら他の小手は使えなくなったという嬉しいお声もありました。
実際私も使ってみて素手の感触で握れるのには驚いております。
ツルツルになった柄革でも滑らないので試合用には、確かに良いと思う。

今年の春からは新商品を計画進行中であります。
中でも、竹刀、高級剣道着、袴が安価で販売できるよう製作し、現在モニター試験を
行っておるところであります。 ゴーサインがでれば店頭に並ぶようになります。

どうかご期待下さい。
  

(2007,1,12記)
『交剣知愛』

新年の夢は、東北地方に一人旅、満を持して来月約2週間かけて大学時代の先輩、後輩と会い、
剣を交えるため防具を肩に東北地方へ一人旅。
稽古後は、郷土料理や地酒を酌み交わし思い出話に花を咲かせる。

いいなー! もちろん私ではありません。

福岡県の68歳の元中学校の教員の方が以前より心に温めていたもので、
読売新聞「気流」に投稿した記事を読み、とても感動したためここにご紹介しました。

『勝負にこだわらず稽古の過程で自分の心、人間性をいかに高めるかを、求めてたい。
剣道を始めて60年、旅を通じ自分の剣道が人間形成の集大成となっているかどうかを
確かめられればうれしい。』

・・・と記されている。
試合試合に走りがちな昨今、剣道の本質を求めた旅の成功をお祈りしております。
  
(2007,1,3記)
『謹賀新年』

皆様 新年あけましておめでとうございます。
旧年中は、お世話になり誠に有難うございました。
素晴らしい年を迎えられましたか?
私は、慌しさの中に年を越えてしまい正月と言う実感がわかないと言うのが本音でございます。
それでも今年は、目標に一路邁進する所存であります。
何卒宜しくお願い申し上げます。

余談ですが時代の変化でしょうか!
幼少年の視力低下が新聞に取り上げられておりましたね。
年々増加しており1,0未満は、幼稚園児24%、小学生27,2%
中学生になると50,1%となっているそうです。
文部省では、その背景に小型ゲーム機、携帯電話の普及が要因と見ているそうです。

そういえば、道場のお楽しみ会で、ほとんどの子供が小型ゲーム機を持参している光景に
なるほど・・・と思いました。

数年後には眼鏡を掛けた園児が増加!! 
なんてことにならなければ良いと痛感させられました。
  
(2006,12,28記)
『御礼』

弊社は、本日御用納めとなります。
この一年間、皆様のご愛顧に支えられながら、あと数日で今年も暮れようとしています。
皆様方本当にお世話になりました。
厚く御礼申し上げます。

思い起こせば、初志貫徹の気持ちでスタートしたこの一年ですが、
思い残すこと反省すること多々あるように思います。
「日々是挑戦」来年は、今年よりも素晴らしい年に絶対になる。
と意気込んでいる私でございます。
どうか「愛のムチ」をドシドシ頂ければ幸いに存じます。

来年は、沢山のキャンペーンも企画しておりますのでお見逃しないようお願い申し上げます。
皆様が素晴らしい年を迎えられることをお祈り申し上げます。
ありがとうございました!
                                                 ふくだ
(2006,12,13記)
『道場の教えは、道場外でも』

私事ですが、膝の調子が未だ芳しくなく不自由している中、最近電車に乗る機会が多くなり、
その度に日本には「マナー」と言う言葉が失われていくのではないかと心配になってまいります。

  優先席で若者が携帯をいじくっている光景。

  京王線では「おもいやりゾーン」と称した黄色で仕切った素晴らしい優先席で、
  高校生数人が陣取り大声で話をしている。

  山手線、鶯谷駅で松葉杖を付いた中年の男性が乗り合わせたら、優先席の若者が急に狸寝入りを始めた。

  優先席ではないが座るや否や、バッグからパンを取り出し食べ始めボロボロと食べカスを落としている。
  (「拾ってくれよ!」と思った)

  降りる人よりも先に乗り込む割り込み乗車。

足の痛みから、私は何としても座りたかったのだが、優先席を譲ってもらう勇気と割り込む勇気がなかったため、
我慢して目的地まで立って行くことにした。
マナーは、各人の倫理観の問題だと思うが、少なくとも武道を志す者は、
道場外でもこのようなことのないよう心がけてもらいたいと思う。
  
2006/11/20掲載

『やめればよかった』

前々から左の太ももの張りと膝の裏側に痛みがあり正座が容易でなかった。
本来なら休養をとるところであるが、112日の夜、やめればいいのに稽古をしてしまった。

途中痛みが限界かなと思いつつも思い切って面に飛び込んだ。
瞬間、ビリという鈍い音とともに膝裏と太ももに激痛が走り倒れて立つことが出来ない! 
なんだこりゃ! 不安が募る。
直ぐにアイシングをして30分後には、何とか立つことが出来たが、膝は曲がらない。
翌日、杖をつきながら病院で検査を受けたところ半月板断裂、太もも肉離れとの診断が下された。


先週、痛みがとれたため稽古を再開したが、元のような動きは出来ない。
おまけに、正座、蹲踞が苦痛であり日常生活では、階段が魔物である。
特に下りは、しんどい。
今月の審査は、絶望的だ。
「稽古を休むのも稽古のうち」を実感した。
  
2006/10/29掲載

『叱り方にも一工夫』

私が、機動隊に勤務していたとき、故田中角栄総理私邸の警備にあたったことがある。
私邸は、確か3000坪位あり都会とは思えないほど緑が生い茂り、野鳥が飛び庭の中ほどには
滝が流れる大きな池がある。
池には、1000万円とも噂された錦鯉が何匹も泳いでいる。
ある朝、同僚がクリップを釣り針のように曲げて糸に結びパンを餌に池に投げたところ見事に食いつき
バタバタと鯉が暴れだした。
丁度そこに田中総理が下駄履きで現れその光景をしゃがんで見物していた。
そして一言「ここの鯉はまずくて食えないぞ」と笑みを浮かべて平然と去って行った。
また、ある日、竹箒でゴルフの練習をしていると「掃除ご苦労様」
また、ある日グミの木をゆすっていると
「もう食べられるの?」
その一言は、とても心に響き反省させられる言い回しであった。

昨今教師の言動によるいじめが社会問題となり連日連夜マスコミが取り上げている
叱るつもりが、感情的になったのだろうが、叱り方にも一工夫すると生徒の心に響くのではないかと思う。
  

2006/10/18 掲載
『予防は、治療に優る』

12日に母の手術が無事成功に終わりました。
激励を頂いた方々に心より感謝申しあげます。

医師の話によると、年齢は単なる数字であり、実年齢と身体年齢は違うそうである。
精神年齢、骨年齢、肌年齢等耳にするのも納得できる。
手術に耐えうる身体年齢であれば、例え100歳でも手術は可能だそうである。

私は首、腰、肘に持病があり、最近では左膝を痛め、正座が困難なため通院中の身である。
原因を考えると準備体操、整理体操不足が考えられる。

数年前、プロ野球選手の練習を見て、準備体操の長いのにはビックリさせられた。
軽いランニングから始まり、ストレッチ等、おそらく1時間以上行っていたのではないかと思う。
その点、剣道は素振りを含めても15分位が平均的ではないでしょうか?
私は5分も行えば良い方である。
また、整理体操においてはまったく行っていなかった。

私は母の入院にあたり、予防がいかに大切かを再認識すると共に、
「足で歩き、手で物を持つ」ことのありがたさを忘れていたようだ。
  
2006/10/03 掲載
『89歳 母の挑戦』

私の母は、89歳一人住まいをしている。
家事は、週に一回ヘルパーさんが掃除をしてくれる他、私の女房が買い物をしたり
する他は、ほとんど自分でこなしている。
身体は、内科的には異常はないが、膝・肩には相当のガタがきている。
そのため歩行が困難であり、その姿を見るのが心苦しい。

毎朝、出勤前に母の様子を見に行くのが日課であり、私が訪れる午前8時頃にはすでに洗濯を終え、
NHKドラマを見ながら朝食後のお茶を飲んでいる。
そんな母が先月、膝に人工関節を入れることを決意した。
手術には輸血が必要であり、手術日までに1200ccもの自分の血液を採取しておかなければならない。
週一回400ccの血液を採取する。
母の体重は約30kgしかない。今週で採血は3回目。最後になる。
採血後、増血剤の点滴を受けるが、母の顔は蒼白である。
母の決断の背景には、私の決断もあった。
とても悩み抜いた結論であったが、母の生き抜く力と医師を信じ敢行に踏み切った。
手術日まであと10日。私はなんだか落ち着かない。
しかし母は、決断した日から平常心で穏やかである。
小さい身体が大きく感じる。
  
2006/09/20 掲載
『日本の心 武士道』

「什の掟」
1、年長者のいうことを、そむいてはなりませぬ。
2、年長者には、お辞儀をしなければなりませぬ。
3、嘘を言ってはなりませぬ。
4、奇矯な振る舞いをしてはなりませぬ。
5、弱いものをいじめてはなりませぬ。
6、戸外でものを食べてはなりませぬ。
7、戸外で女の子と言葉を交えてはなりませぬ。
8、ならぬものは、ならぬものです


上記は、会津藩の武士が子弟に幼い頃からの叩き込まれた教育だそうです。

最近本屋に行くと武士道についての本が目立つようになった思う。
武士の倫理観や、生き様は、今から約150年前には、私たち日本人の中に生きていた教えである。
現代社会の教えとは、かなり相違しているのは確かであるが、その一部は私たちの心の中に行き続けていると思う。

武士道は、現代社会にも通じるものがあり、温故知新、私のような未熟で半端者は、大きな戒となる。


樺経出版 日本の武士道 入門から一部抜粋
  
2006/09/07 掲載
『熱中症体験記』

後輩が顧問をしている高校に稽古に出かけたときのことである。
50分位の地稽古が終わり、面をとった。
水分補給をしようとコップを取ったとき、手が震える。
あれ?何かがおかしい!
高校生は掛稽古をしている。
立っているのがシンドクなり、椅子に腰掛け見学していた。
そして、稽古終了。
黙想礼が終わると目眩がして立ち上がることが出来ない。手も痺れてきた。
隣にいた後輩に「おかしい」と告げると、保健体育の先生をしている彼は手馴れたものだ。
すぐに私を寝かせ、足を高くし、頭と脇の下をアイスノンで冷やし、扇風機を当ててくれた。
しまいには足も痺れ、このまま気を失っていくのではないかと思うほどの苦しみであった。
後輩は私の脈を取りながら、「先輩、大丈夫ですよ。熱中症の軽い症状ですから」と元気付けてくれた。

体力にはいささか自信があった私だが、我が身に起こるとは予想もしなかった。
まだまだ暑い日が続きますが、皆様くれぐれもお気をつけて下さい。
  
2006/8/25  掲載
『やった!我が母校が甲子園で優勝!!』

この夏一番の盛り上がりであったと思う。
完全燃焼した後輩達の輝く汗に感動!
決勝戦再試合という激闘で、注目度は倍増したと思う。
石原都知事は「新しい夢」を与えてくれたと祝辞された。
血生臭い事件が多い中、幼少年達には大いなる夢を抱いて欲しいと思う。
本当に素晴らしい夏のドラマを見た感じだ。剣道もこれくらい、騒いでくれれば最高だが!?

剣道で日本一になったとしても、スポーツ誌のトップは飾れない。
  
2006/08/16 掲載
『ミスジャッジに考える』

プロ野球の審判員は、長時間にわたり、4人で判定を下すのは大変なことだと思う。
ミスジャッジがでるのも分かるような気がする。

剣道は、複数の審判が交代で行う。
それでも時折、判定が問題視されているときがある。
観客席で見ている者、上席で見ている先生方からも「あれは?」との疑問の声が上がる。
審判より遠くで見ている者が正しい判断をしているときがある。
何故だろうか?
審判という責務を持つ者と持たない者の違いではないかと思う。
審判員以外は、責任がないから気楽に判断が出来るのだろう。
人間の目は、完璧ではない。なにか一工夫できないものだろうか?
  
 
2006/08/09 掲載
『言葉の使い方』

ボクシングの亀田選手の判定が問題視されている。
また、親子のパフォーマンスがやりすぎではないかとの批判の声も出ている。
作法・礼法を重んじる武道とは理念がまったく違う。
私は亀田選手は良く頑張り、親子の絆も素晴らしいと思っている。

しかし、一つだけ心配なことがある。
挑発的な言動は、興行という性質上やむをえないのだろうと思うが、「言葉の使い方」が乱れている昨今、
幼少年に与える影響がなければよいということである。
  
 
2006/08/02 掲載
『私の恩師』

「剣道時代」9月号“剣道自分史”のページに松井範士の書下ろしが掲載されている。
私の中学時代の恩師であり、人生の師でもある。
中学時代の教えは「稽古を重ね自得せよ」まさに武専流であり、壮絶なものであった。
現在、埼玉県ふじみ野市にある【右武館】という道場で門弟の指導をしておられる。
武専(大日本武徳会武道専門学校)のことは、時折「口伝」と題し、門弟に貴重な講話をしてくれる。
その内容が“剣道自分史”に一部告されている。
戦後占領軍により武徳殿は明け渡され、武専は廃校の道を余儀なくされた。
年を追うごとに武専卒業者の訃報を耳にするのは心苦しい。
先生は現在83歳。足腰が弱っているため時折しか面はつけないが、稽古は決して受身ではない。
動けるうちはスキあらば打つの攻めの稽古をされている。
その背景に、剣理精通、武専魂と先生の人徳が感じられる。
  
 
2006/07/26 掲載
『アキレス腱断裂者の和』

私は、ネット上で知り合ったアキレス腱断裂者と時折オフ会を開催している。
参加資格は【WEBHOUSE】というホームページに訪問したことのある、アキレス腱に傷をもつすべての方々である。

このホームページは、アキレス腱断裂者にとっての駆け込み寺のような心強い見方であり、
一見の価値は十分にあると思う。
掲示板には、断裂間もない、藁をも掴む思いで書き込んでくる人がいる。
そんな方には、同じ経験をした仲間がすぐさま暖かい励ましと経験談で勇気を与えている。
人間本来の素直な心が感じられる掲示板だ。

この掲示板の常連者で、教員をされている方の呼びかけで始まったのがオフ会である。
年に何回か、東京・大阪・名古屋・埼玉等で有志が集い開催している。
過去、松葉杖で参加された方も少なくない。

ちなみに参加者は、剣道・テニス・フットサル・バレー・野球・ダンス・サッカー・バスケットボール等で断裂した方がいる。
同じ傷をもつものの暖かい「共存心」が感じられるオフ会である。

アキレス腱の断裂は、統計から見ると夏場に多い。私も夏場に断裂している。
何故夏場に多いのか色々な説があるが、剣道は湿気による床の付加が原因という説もある。
十分、気をつけて下さい。
  
 
2006/07/19 掲載
『がん告知』

ソフトバンクの王監督が胃がん!

王監督とは面識はないが、高校の先輩であるとともに、私も胃がん手術の経験者としてとても
心配していたが、無事成功のニュースに安堵した。

忘れもしない7年前の夜、一本の電話が入った。
それは、かかりつけの医者からだった。
「検査の結果、ヘンなものがでたので?明日必ず病院に来てください」
もしかして!
翌朝病院に行くと、診察室に入るや私に対する配慮なのか、看護婦・患者に聞こえないよう人払いをする医師!
心拍数が上がってきた。
「実は胃がんです」
「えっ!」
私は、告知するからには早期と思い医師に問う?
「早期ではありません」
人生初めて死を意識した瞬間だった。
告知後は平常心を忘れ、誰もいない廊下で涙が止まらなかった。

幸運にも私は今も生きている。
そんな涙も元気になると、つい忘れてしまう。
入院中は、二度と剣道ができないと思っていたが、今稽古ができるのも生きてこそ!ですね。

PS.「予防は治療に優る」元気で武道ができるよう、健康にご留意ください。
 
2006/07/12 掲載
『Mottainai!』

弊社の掲示板に古生地の再利用で見事な竹刀袋を作って紹介してくれた方がいる。
どの家庭でも古生地に限らず再利用できるものは沢山あると思う。

最近、時代の流れとともにモノの価値観が薄れているのではないかとつくづく思うときがある。
竹刀は竹のみを購入して付属品を再利用すれば経済的だし、先革が切れたら先革だけを購入すれば良いと思う。
丸々完成品を買うことはない。

毎日膨大な量のゴミが捨てられている。
それは多くの石油によって焼却されてます。
貧しい人、動物の世界、昆虫の世界ではこんなことはない。
無駄をしないこと、豊かな生活に慣れているあまり、生きる知恵を忘れているのではないでしょうか?

PS
「剣道用具マニュアル」を見て知恵を身につけて頂ければ幸いに存じます。
  
2006/07/05 掲載
『魂を揺さぶる感動の闘病記・・・紹介』

妻子を抱え、25歳の若さで十万人に一人の難病を発病し、両手、両足の自由が・・・!
受けた宣告は「二度と歩けないかもしれない」

著者は、私の剣友の息子であり、物心つく前から剣道を始め、中高時代は野球、大学時代は
サーフィンに打ち込む健康体であった。
入院中に書いた闘病記が評価され、出版に至ったものであり、
題名は「みゅうの足(あんよ)パパにあげる」
3歳の娘さんがパパに話した言葉だそうだ。
この難病は、現代医学では原因が解明されておらず、完治の見込みもない。
そんな最悪のシナリオを自ら煌めきに変えていった。
その証が、結びの言葉に感じられる。
「病気が僕を選んだのではない。きっと僕が病気を選んだのだ」
と記されている。
人生どんな悩みを抱えていても、楽しく生きることを世に伝えようとしている彼の姿に私は胸をうたれた。
一読の価値ありと思います。

著  者 山口隼人
発行所 日本文学館
病  名 慢性炎症性脱髄性多発神経炎
  
2006/06/28 掲載
『一万本素振り』

20代の頃、夏の合宿で一万本素振りに挑戦したことがある。
木刀で一本一本集中し気合を入れて行う。
途中で休憩を入れるが、約8時間の長丁場となるため、一人では挫折していただろう。
日頃、素振りをしていない者は、豆の中にまた豆ができ、木刀が血で染まる。
残り1000本からゴールが見え出す。100本、10本そして最後の1本は、今も脳裏に残っている。
身体全体の汗が輝き、やり遂げた感動の中に忘れかけた本当の自分の姿が見えた気がする。
私は最近、何事も根気がなく中途半端な一日を過ごしている。
そんな自分に“喝”を入れるため、挑戦してみたいと思っている。
年内には有志とやり遂げたいと思っている。
  
2006/06/21 掲載
『園児の「あくび」に考える』

サッカーワールドカップに初参加の国アンゴラ、私はとても注目している。
1000万個以上の地雷が今も残る国、内戦の爪跡は記憶から離れない。
平均寿命が40歳とか・・・!
道端で子供が、布を巻いたボールを素足で蹴っている。
テレビもラジオもない子供たちの唯一の遊戯なのだろうか。
先日、孫の運動会を見て世界の貧富の差を痛感するとともに、びっくりさせられたことがある。
運動会の最中「あくび」をしている園児が多い。
子供は外で遊び、暗くなれば寝るもの・・・。
そんな時代に生きてきた我々と比較すると、確実に睡眠時間が少ない。
その背景に何が存在するのか考えさせられた。
恵まれすぎた環境にいる日本の子供たちは幸福を感じているのだろうか。
アンゴラのハングリー精神はきっと武士道と合い通じるものがあるように思える。
2006/06/14 掲載
『爪切りカレンダーで[ゆとり]』

ここ数年、爪が伸びるのをとても早く感じる。
「あれ〜、いつ切ったっけ?」ふと考える時がある。
月日の感覚がない毎日を送っているのかも知れない。
そこでカレンダーに記しをつけてみることにした。すると月平均3回切っている。
切った長さから計算すると、1日約0.1ミリ伸びていることになる。
ということは、10日間の感覚がとても短く感じている訳だ。
毎日の時間空費、計画性のない自分に、カレンダーに記すことにより、
何となく一日を大事に過ごす[ゆとり]を感じるような気がしてきた。
こんなところに有効活用があるとは思わなかった。
そういえば最近、剣の間合いが近いのも、[ゆとり]がないせいだろうか・・・?
  
2006/06/07 掲載
『ここまできた保護者の危機意識 (ホームページにも・・・)』

5年前の6月8日、残虐な池田小事件が起こった。
今でも子供が犠牲になる事件は後を絶たない。
市町村によっては、児童の下校時刻なると街頭スピーカーから注意を呼びかける放送が聞こえる。
保護者の危機意識は募るばかりである。
募る思いは、道場・剣友会等のホームページにも神経過敏になっている。
保護者から、「我が子を特定する写真、名前の掲載はやめてほしい」
 「待ち伏せされるといけないから、稽古時間の公表も検討してほしい」という意見が出るとか・・・。
ネット人口増加の背景に、便利な反面“一長一短”複雑な思いを感じさせられる。
  
2006/05/31掲載
『体育の家庭教師が人気?』

【5/30 読売新聞の朝刊を読んで】

外で遊ばなくなり体力の低下が背景に!
費用は1ヶ月(4回) 15,000円前後
道場の月謝と比較するとかなり高い。
内容は、近くの公園等で鉄棒の練習など等。
今の子供は、三間(時間・仲間・空間)がないと指摘。
昔では予想も付かない記事に、行く先の不安を痛切に感じる。