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2008年12月30日(火) 22時28分

「崩れる権力の楼閣」狂いだした解散シナリオ産経新聞

 「国民生活を考えれば政治的な駆け引きで政治空白を生じることがあってはならない。この際新しい布陣で政策実現を図らなければならないと判断し、本日辞任を決意しました」

 9月1日午後9時半。東京・西麻布のクラブの液晶テレビに首相、福田康夫の姿が大きく映し出された。

 「これは大変なことになったな…」。顔を見合わせたのは、元首相の安倍晋三、元自民党政調会長の中川昭一、前経産相の甘利明。後の麻生政権誕生の立役者となる面々だった。

 この夜は選対副委員長の菅義偉も駆けつけ、幹事長の麻生太郎を囲む「NASAの会」を開くはずだったが、先に到着した3人は嫌な予感は感じていた。午後8時すぎ、麻生が「申し訳ないが会合に遅れそうだ。なんとか顔だけは出したいんだが…」と沈んだ声色で電話をかけてきたからだ。

 麻生にとっても福田の辞任は青天の霹靂(へきれき)だった。1日午後6時前、首相官邸に呼ばれた麻生は福田から唐突に辞意を告げられた。

 「この難局で続けていくのは難しいので辞めようと思う。後はあなたの人気で華々しく総裁選をやり民主党を打ち負かしてほしい」

 遅れて部屋に入った官房長官、町村信孝は必死に慰留したが、福田はさばさばした表情で振り切り、元首相の森喜朗らに電話で辞意を伝えた。ただ、公明党代表の太田昭宏には会見直前まで連絡しなかった。7月以降、福田政権を揺さぶり続けた公明党への意趣返しのようだった。

 福田にとって内閣改造後の1カ月間は次期政権に最も有利となる「引き際」を探る日々だった。福田は会見の最後で「『人ごとのようだ』とおっしゃるが、私は自分を客観的に見ることができる。あなたとは違うんです」と言い放ちひんしゆくを買ったが、これは地位に恋々としない自らの美学を踏みにじられた悔しさから出た言葉だった。

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 福田退陣を受けた自民党総裁選は9月10日に告示され、麻生、元官房長官の与謝野馨、元防衛相の小池百合子、元政調会長の石原伸晃、元防衛相の石破茂の5人の争いとなった。

 福田は総裁選を通じて自民党の支持率を一気に回復させ、新政権発足直後に解散するシナリオに望みをかけたが、思惑通りに事態は進まなかった。

 安倍、福田と2代続いた早期退陣に対して、世論からの「政権放り出し」との批判は厳しく、総裁選が「茶番」に映ったからだ。序盤戦で麻生勝利が固まってしまったことも総裁選が盛り上がらなかった一因だ。9月15日には米証券大手リーマン・ブラザーズの破綻(はたん)を機に金融恐慌が世界を襲い、「お祭り騒ぎをやっている場合ではない」と風当たりは強まった。

 22日、新総裁に選出された麻生はこう宣言した。

 「私に与えられた天命とは次なる選挙で断固民主党と戦うことだ。国民が抱える数々の不安に応え、国家国民を守る安全保障問題を堂々と掲げ、実行に移す力はわが党以外ない」

 24日、麻生は第92代首相に指名されたが、各種世論調査の内閣支持率は5割前後と伸び悩み、福田から受け継いだ解散シナリオは大きく狂い始めた。

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 組閣、所信表明演説と一連のセレモニーを終えた麻生は分厚い冊子を険しい顔つきで凝視した。9月22〜27日に実施した自民党の極秘世論調査の詳報だった。

 自民党は小選挙区146、比例代表69の計215議席。民主党は小選挙区141、比例代表73で計214議席と拮抗(きっこう)。公明党が現状31議席を維持すれば、与党がなんとか過半数を維持できる数値だった。

 だが、別添の「調査分析メモ」はショッキングな内容だった。

 相手候補に5ポイント以上差を付けた「当選有力議席数」は、自民党が小選挙区84、比例代表57〜63の計141〜147議席。民主党は小選挙区121、比例代表72〜79の計193〜200議席。5ポイントは少しの風で吹き飛ぶ差だ。米大統領選のあおりで「チェンジ旋風」が吹けば自民党は大敗しかねない。

 麻生はやむなく代表質問最終日の10月3日解散のシナリオを捨てた。次に麻生が狙ったのは、第1次補正予算を成立させ、第2次補正予算のメニューを示した直後の解散だった。麻生は10月10日夜、自民党幹事長の細田博之を都内のホテルにひそかに呼び出し、11月18日公示、30日投開票に向けた準備を指示した。

 だが、株価と連動するように支持率は下落の一途をたどっていった。「このまま総選挙に突入するとまずい」。そう考えた菅は猛烈な巻き返しを図った。

 10月16日夜、菅は中川昭一、甘利とともに都内のホテルで麻生を説得した。麻生は「おれはデータなんか信じない。勝負してみないと分からないじゃないか」と強気だったが、菅は「やっとの思いで政権を取ったのに何もやらずに政権を手放すんですか。自殺行為だ」と粘った。2時間後、麻生は「う〜ん、悩むな…」と漏らし、この日を境に解散先送りに傾いた。

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 解散が遠のくと、政権のほころびが目立ち始めた。「目玉」のはずの定額給付金では、所得制限をめぐり政府・与党は迷走。麻生の失言や連夜のバー通いもバッシングされた。民主党は再び牙をむき、元幹事長の中川秀直、元行革担当相の渡辺喜美ら反麻生勢力の動きは活発化した。

 自公連立もきしみだした。

 12月15日、自民党選対委員長の古賀誠は都内のホテルに各派事務総長を集め、こう告げた。

 「自民党は本来の支持層をまだ回復していない。比例代表への意識が希薄なんじゃないか。『選挙区も自民、比例も自民』でなければ自民党はますます弱体化する。連立は得るモノあれば、失うモノもある」

 選挙責任者が自公の選挙協力の見直しを示唆したことに公明党はおののいたが、実は伏線があった。

 12月12日、麻生は記者会見で「財政責任のあり方を示すことが責任政党の原点であり矜持だ」と述べ、平成23年の消費税増税を表明。公明党は猛反発し、ある幹部は「選挙時期も決められない人が、消費税の引き上げ時期を言えるのか」と言い放った。

 これに自民党は「ここまで公明党にコケにされてよいのか」と憤慨した。福田退陣に追い込まれた恨みもある。公明党がゴリ押しした定額給付金への不満も渦巻く。そんな公明不信の延長線にあるのが古賀発言だった。今後、自公の亀裂はさらに広がる公算が大きい。

 「一部に『選挙だ』『連立だ』『政界再編だ』という議論があるが、そんなことを言っている場合ではないし、あり得ない。私は国民生活防衛のためなら、どんな批判も恐れず何でもやり抜く覚悟だ」

 21年度予算案を閣議決定した12月24日、麻生は記者会見でこう述べたが、来年1月5日召集の通常国会で民主党が「最終決戦」を挑んでくることは間違いない。政界が濃い霧に包まれる中、自民党政権最後の首相にもなりかねない麻生。その姿は江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜と重なり合うとも言われる中、崩れゆく権力の楼閣をどう立て直そうとしているのか。=敬称略、肩書は当時。

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