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2008年12月30日(火) 21時52分

非正規しか選択肢なかった 次々と職を失う派遣や請負中国新聞

 派遣や請負として働く人たちが、景気の急激な悪化に伴って「雇用の調整弁」の役を担わされ、次々と職を失っている。その多くは、さまざまな理由で非正規雇用を選ばざるを得なかった人たちだ。「ほかに選択肢はなかった」と語る一人に話を聞いた。

 ▽契約途中で解雇

 「まじめに働き続けてきたのに」—。千人規模で非正規雇用削減を打ち出した大分キヤノン(大分県国東市)の元請負社員、犬養宏司さん(38)=仮名=は怒りに唇をかみしめる。今月、派遣元の日研総業(東京)から契約途中で解雇された。次の仕事を紹介してもらえないまま、寮からも退去を求められた。「『住所不定』の人間を雇う会社なんてない」と不安になる。

 犬養さんは小学校三年生の時に大工だった父をがんで亡くした。生活保護で暮らしていたが、四人の子どもを抱えた母は心労で数年後に亡くなった。中学卒業後は工場勤務や運送業で生計を立ててきたが、個人で工事を請け負う「一人親方」をしていた時、発注元に夜逃げされた。自己破産したが借金の一部は残った。離婚し、子供にも長い間会っていない。

 ▽派遣から請負に

 派遣登録したのは二〇〇七年の夏。兵庫県にある自動車部品会社に派遣された。借金返済のためには残業の多い「稼げる仕事」が必要だった。

 この年の春から製造業でも派遣の受け入れ可能期間が一年から三年に延長されていた。正社員として働くことも考えたが「中卒では雇ってくれるところはない。学歴なしでも拾ってくれたのは派遣だけだった」という。

 今年夏、借金返済で日銭が必要になり、いったん退職し、派遣登録し直した。日研の場合、登録後しばらくは日払いなどで給料が出る。職場の待遇は良かったが背に腹は代えられなかった。

 そうして紹介されたのが大分キヤノンだった。契約解除が簡単にでき、不安定になりがちな請負社員だったが、日研から説明はなく「大分に着いて初めて知った」。残業で稼ごうとしたが、減産で手取りの給料が月約八万円に減り、健康保険料の滞納で病院にもかかれなくなった。そして、解雇を告げられた。

 中学を出て以来、ずっと働き続けてきたのに、今、職はおろか住まいすら失おうとしている。やむを得ず生活保護を申請した。公的扶助に頼るのは子供のころ以来だ。なぜこうなってしまったのか。犬養さん自身にも答えは見つからない。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200812300280.html