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2008年12月29日(月) 10時03分

「クトゥブ主義」どう読み解く 過激思想の見直し産経新聞

 「サイイド・クトゥブは目が合ったとき、後悔の表情を浮かべた。私には『君の警告はやはり正しかった』と言っているように感じられた」

 エジプトのイスラム原理主義組織、ムスリム同胞団の古参幹部、ファリード・アブドル・ハーリク(93)は、現代イスラム過激主義の源流を作り出したとされる同胞団の理論家、サイイド・クトゥブと1965年に獄中の廊下ですれ違ったときのことを、こう振り返った。

 クトゥブは晩年の著作「道標」で、イスラム教の教えから逸脱した社会はたとえイスラム教徒が住む社会であっても「ジャーヒリーヤ」(イスラム教到来以前の無知、無明な社会の状態)であると断じた。さらに主権は神にあり、人民にはないとする「神の主権論」を強調して、「神の支配」の実現のために積極的なジハード(聖戦)を行うべきだとの行動主義を唱えた。

 クトゥブは66年8月に「クーデター計画に関与した」との罪状で処刑された。しかし、クトゥブの理論は、「ジャーヒリーヤ状態」にある世俗主義社会や政治指導者を「異端」と宣告し、暴力行使をも正当化する「タクフィール(背教宣告)」という過激思想への道を開いた。

 「道標」は文字通り、いまの国際テロ組織アルカーイダの考え方にもつながるイスラム過激派の原点ともなったのだ。

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 クトゥブが関与したとされる秘密組織による「クーデター計画」はナセル政権によるでっち上げという説が根強くあり、特にムスリム同胞団内では今でも、そうした見方が主流を占める。

 だが、65年当時、同胞団の第2代ムルシド(導く人=最高指導者)、ハサン・フダイビーの下で「教導委員会」(最高幹部会に相当)に身を置いていたアブドル・ハーリクは、クトゥブがリーダーに祭り上げられていた「1965年組織」というグループが武装を計画していると疑念を抱いていたことを認める。そのうえで、65年のある夜、フダイビーの意を受け、当局の監視の目を避けて、クトゥブに組織から身を引くよう説得したことがあったとの“秘話”を明かす。

 当時の同胞団若手の一部は、ナセル政権の弾圧で弱体化した組織再建のために「教導活動」の名目で「65年組織」を作り、64年に病気を理由に釈放されていたクトゥブを指導者に招いたのだ。クトゥブが最初から組織の武装計画を知っていたかどうかは分からない。アブドル・ハーリクによると、「秘密組織は当局に弾圧の口実を与え、同胞団やイスラム運動にとって打撃となるだけ」との説得に対して、クトゥブは「迷った表情」を見せながらも、はっきりとした態度を示さなかったという。

 そのころ国家治安局で同胞団の動向を追う立場にあったフアード・アッラーム(73)=イスラム運動研究家=は「アブドル・ハーリクとクトゥブの密会を当時から把握していた」と語り、当局は「65年組織」による数件の破壊工作を事前に阻止したと主張する。結局、“クーデター計画”は摘発され、クトゥブと「65年組織」だけでなく、同胞団全体への大弾圧へとつながった。

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 秘密組織をめぐってはクトゥブと対立したアブドル・ハーリクだが、クトゥブが残した著作「道標」については「文学者であるクトゥブの著作はイスラム法学者の厳密な文章ではなく、文学的な比喩(ひゆ)に満ちている。だが、それが過激な思想を求める人たちに都合いいように解釈される余地を生んだ」と指摘。「クトゥブ自身は、現代のイスラム教徒に対する背教宣告という考え方を一切示していない」と擁護する。

 同胞団は第3代ムルシド、ウマル・ティルミサーニー時代の82年、「クトゥブは同胞団(の考え方)を代表していない」との声明を出し“絶縁”を宣言した。

 だが、01年の米中枢同時テロでアルカーイダに代表される「グローバルなジハード主義」が注目されたためか、同胞団内部でも依然、さまざまな人物が「クトゥブ主義」の克服について語る状況が続いている。

 第2代ムルシドの孫で有力な若手論客であるイブラヒム・フダイビー(25)は、「クトゥブの思想はナセル政権による厳しい弾圧への反応として過激化した」と指摘し、「クトゥブ自身が生きていれば、自らの思想の『見直し』をしていただろう」と語る。

 エジプトの「イスラム集団」が暴力の完全放棄を宣言し、ジハード団の元理論家サイイド・イマームがかつての同志であるアルカーイダ・ナンバー2のアイマン・ザワヒリを激しく非難するなど、いまアラブ・イスラム世界では過激思想の見直しの局面に入っているようにもみえる。

 そこに共通するのは「大衆がついてこられない過激な闘争は結局、イスラム運動そのものの首を絞める」という反省だ。クトゥブの思想がどのように総括されるのかも、今後の流れを占うカギのひとつとなるだろう。=敬称略(村上大介)

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 ■現代社会否定の論理 過激化への「道標」に

 サイイド・クトゥブ(1906〜66年)が獄中で著した「道標」(64年出版、すぐ発禁処分に)で、世俗主義者やイスラム教徒であると自称しながらも本来の神の道から外れているえせイスラム教徒に支配された現代のイスラム社会を「ジャーヒリーヤ(無知、無明)」ととらえた。唯一の神への絶対的な帰依を受け入れることでそれを克服し、本来の自由と尊厳が保障された文明が実現されると論じた。

 ジャーヒリーヤとは、もともとイスラム以前のアラビア半島の多神教社会を指す言葉だったが、クトゥブは現代のイスラム社会も、預言者ムハンマドが否定したイスラム以前の堕落した社会と同質であると断じ、その変革を呼びかけた。さらに人民に主権がある西洋型の民主主義も全能の神の立法権を奪ったものとして「偶像崇拝」と同列に扱い、否定した。

 クトゥブは66年に処刑されたが、当時獄中にあった大勢のムスリム同胞団員の中にはクトゥブの処刑により急進性を強めたグループがあり、その一人であるムスタファー・シュクリーは獄中で「タクフィール・ワ・ヒジュラ(背教宣告と逃亡団)」という急進組織の最初の細胞を結成。71年の釈放後、上エジプトで組織を拡大させた。

 タクフィールとはイスラム教徒を背教者と断じること。通常は「聖遷」と訳されるヒジュラは、預言者ムハンマドが初期の信徒とともに、メッカでの弾圧を逃れてマディーナに移住したことを指す。

 クトゥブの著作に刺激を受けた急進派は、現代イスラム社会を「ジャーヒリーヤ」としたクトゥブの言説からウンマ(イスラム共同体)内部に巣くう「不信心なイスラム教徒」に対するジハードの遂行を信徒の義務と考え、サダト大統領暗殺やその後のテロ事件を引き起こした。背教者宣告や神の主権論に基づく現在のイスラム世界の支配体制に対するジハード論は、イスラム集団やジハード団などの過激派に引き継がれ、国際テロ組織アルカーイダも影響を受けている。

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