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2008年12月27日(土) 23時46分

熊野に胸を熱く焦がして 小黒世茂さん産経新聞

 熊野に思いを込めた1首を。

 静かさをおしひらきつつ熊野には血の花いろの朝焼けがある

 このほど出版した随筆集に収録した歌です。熊野を話す前にまずは私の名前から。正真正銘の本名ですよ。風変わりな名前が好きだった父がつけました。長女は十音(とね)、次女が響(ひびく)、私は三女。3人あわせると「音が響くよもの山々に」となる。語呂合わせがいい、と考えたそうです。

 熊野には子供のころから、あこがれていました。祖父から熊野詣でなどいろんなことを聞かされていましたから。短歌を作り始めて20年になりますが、10年ほどたったころ、ようやく「熊野を詠みたい」と思うようになってきました。資料を集め、熊野古道を歩いている自分をシミュレーションしてみたんです。重い足取りで熊野詣でする私の姿が立ち上がってきて、歌が次から次へとできてきました。それを30首まとめて短歌雑誌に応募すると「歌壇賞」を受賞できました。

 これを機に一区切りつけてもよかったのですが、もっと詠まないと熊野の山や神、生き物や人々に申し訳ない。そんな気がして、通い始めたら、もうとまらなくなり月に2回は行きました。

 通い出したら知り合いが少しずつ増えてきて、暮らしぶりを見せてもらえるようになってきました。コンニャク作りや炭焼き、墨作り、山蜜切り、イノシシ猟や野生のウナギとりの現場にも連れてってもらいました。そうそう、1400年以上続く勇壮な火祭りに、2人の息子を参加させてもらったこともありました。土地の人に出会い、土地の大木や磐座(いわくら)、山や川に出合う。そうこうするうち、この10年があっという間に過ぎてゆきました。

 今回の第3歌集『雨たたす村落(むら)』には、この4年間に出会った、熊野の暮らしや神様のことなどを約370首にまとめました。山と川、森を一体化させると、書きたいものがわき上がってくるんです。熊野には50年ほど前なら、日本のどこにでもあったような暮らしがまだ残されています。山の中に分け入ると、おサルさんの数より人間の数の方が少ないんですよ。大自然の中で自給自足の暮らしをされている。トチの実を食べたり、お米が作れなくてアワやヒエを作り、物々交換される。「今日は一日、お財布を開けなくて済んだね」なんてね。

 こんなこともありました。手作りコンニャクをごちそうになったときのことです。作るとき、コンニャクイモのエグミを抜くため灰汁(あく)を混ぜる。その灰汁に大豆の殻を灰にしたものを使うか、ウバメガシなど堅木(かたぎ)の灰を使うかでコンニャクの味が随分と違ってくる。作りたてのコンニャクをユズみそでいただいたときのことは、今でも忘れません。森の木の香りがぷんぷんにおい立つんです。代々受け継がれてきた味の違いが、山の人たちの誇りになっているんですね。

 熊野の人から「こんな当たり前の生活のどこが面白いの?」とよく質問されます。私にはそれ自体が珠玉のように思え、一つひとつに興味を覚えます。都会人は大自然の懐に癒やされに行くでしょ。でも山の人には命が懸かっている。だから大自然に対して、とても敏感です。そんなところを歌にしたい。熊野は奥が深いし、人々は心が広い。私にとって創作の源です。想像を働かせて創造につなげたい。そう、これからも胸を熱く焦がしながら、熊野と向き合いたい。

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