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2008年12月27日(土) 18時02分

乙女の殿堂にふさわしい女学校校舎産経新聞

 沖縄の新基地建設(名護市辺野古)反対派の座り込み現場で、平和のための建設反対と大阪の歴史建築の保存について、美しい海を前にして考えた。

 関東大震災(大正12年)から室戸台風(昭和9年)にいたる期間に、学校建築は防災面を考えて鉄筋コンクリート構造で建設された。戦時体制で、建築制限が始まる前の充実した時期に、大阪では旧北野中学、旧堺中学などの府立中学の校舎が建てられた。しかし当時の校舎はほとんど現存していない。だから明治・大正期の学校建築だけでなく、昭和戦前の優れた校舎も、近代教育史の生き証人、文化財として保存するように要望したい。

 そんな中、南大阪に現存する貴重なモダニズムの名建築・旧大阪府立泉南高等女学校舎(昭和12年、現岸和田市立福祉総合センター分館)は岸和田市野田町にあって、戦前の姿をよく残している。

 この建築は朝日ビル(大阪市北区、昭和6年)や大阪ガスビル(同、8年)のように客船を思わせるスタイルで角を丸め、水平線を強調した近代的なモダンデザインである。カーブの付いた壁面、丸窓などは乙女の殿堂にふさわしい優しさにあふれている。

 川口一二課長(大正12年東大建築学科卒業)率いる府営繕課による設計の、優れた建築である。また敷地購入に、同窓生が結婚の記念に出し合った寄付金が充てられた尊いものである。一部はアルミに変えられているが、当時のサッシュも残されている。

 【追記】重文クラスの大阪中央郵便局庁舎、ダイビル本館の開発的保存再生について再検討を改めて要望している。(沖縄にて明治建築研究会・戦争遺構研究会柴田正己)

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