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2008年12月27日(土) 11時31分

「耐える石」で仏文学賞 アフガン出身のライミ氏に聞く産経新聞

 フランスの最も権威ある文学賞、ゴンクール賞の今年の受賞者にアフガニスタン出身のアティク・ライミ氏(46)が選ばれた。受賞作品の「シンゲサブール(耐える石)」は「最高のルポルタージュよりアフガンの現実を描いている」と絶賛されている。そのライミ氏に思いを聞いた。(パリ 山口昌子)

 ——受賞で生活が変わりましたか

 「もちろんですよ。インタビューやそれに伴う外出など。朝食を食べたり食べなかったり。食事の時間も不規則になったりと。でもとにかくうれしいです。文学で最高の賞によって認められたわけですから」

 ——これまでの3作は処女作の「地と灰」(2000年刊)を含めてアフガニスタンで話されている言語のひとつ、パシュトゥー語ですが、今回は初のフランス語ですね。

 「フランス語はこの30年間、学んでいるので母国語のようなものです。カブールでは仏語系のリセ(高校)に通学していましたし、フランスでの暮らしも25年以上になります。ただ、これまで仏語で書きたいと思ったことはありませんでした。今回、仏語を選んだのは、アフガニスタンのタブーを破るには母国語より外国語の方が自由に表現できるからです」

 ——「耐える石」という題名について説明してください

 「アフガニスタンやタジキスタン、イランなどで大衆に伝わる空想の石のことです。この石にあらゆる不幸や絶望、苦痛、貧窮などを話すと、すべてを飲み込んだ石があるとき炸裂(さくれつ)し、自分は解放されたというわけです。アフガニスタン人には、この石が必要なのです」

 ——主人公は女性なので、なんだか女性が書いたような印象を受けました。彼女は銃弾で意識不明になった夫の前で彼の死をじっと待っている状況ですね

 「ルポルタージュに書かれるアフガニスタンの女性は単なるオブジェ、飾り物です。肉体や夢や欲望を持った世界中の女性と同じであることが忘れられています。実際は男性を描こうとしたのですが、書きはじめると、女性が私に住みつき、身動きできなくなりました。まるで私自身がこの女性の”耐える石”になったかのようでした」

 ——文章が短く、場面も夫が横たわる部屋の中に限られているので演劇や映画の脚本のような印象を受けました。

 「そうですね。舞台や映画の脚本に近いですね。妻は出たり入ったりするだけですし。この状況が私には必要だったのです。私は女性ではないので、女性の視点では語れないからです。だから、その点でも私は”耐える石”になり、石の立場からこの女性について語ったわけです。すべてを飲み込んだ石の立場です。それが映画的な印象を与えたのかもしれません」

 ——文章が短いので、長詩を読んでいるような印象も持ちました

 「少年のころ、父母はよく詩を読んでくれました。母国語のパシュトゥー語もアフガニスタンの文化も極めて詩的です。詩は残酷で耐え難い状況に、ある種の距離を与えてくれます。絵画もそうです。キリスト受難の絵画は絵画だからこそ、耐えられるわけです。アフガニスタン人は耐えることで生き延びてきたのです」

 ——政治亡命したのはソ連の侵入後、親ソ連政権時代の1985年でしたね

 「9日9晩、雪の山を歩き続けてパキスタン入りし、フランス大使館に駆け込みました。最高裁判事だった父は3年の投獄生活の後、アフガニスタンの初の女学校の創立者の母とともに現在、米国に住んでいます。共産党員だった兄はソ連の撤退後、殺害されました。兄は私にも入党するように、しきりに勧めていたんですが」

 ——アフガニスタンにはその後、帰ったことがありますか

 「(イスラム原理主義勢力の)タリバン政権崩壊後の2002年に18年ぶりに帰国しました。そのとき、最初に目に飛び込んできたのが空港に駐車していた車のフロント・ガラスに書かれた『すべては過ぎ去る』という語句でした。アフガニスタンでは、よく知られているおとぎ話に出てくる語句です。王様があるとき、芸術家に、『悲しいときは幸せになり、幸せな時は悲しくなる作品を』と注文したのに答えて、芸術家が、この言葉を刻んだ指輪を献上したのです。生きていくために非常にエネルギーを与えてくれる言葉だと思います」

 ——東洋的な思想が感じられる言葉ですね。

 「確かに、このおとぎ話には東洋的知恵がみられます。アフガニスタン人の考えは西洋と東洋の中間だと思います。2つの文化から栄養をもらった文明であり思考です。共産主義にもイスラム原理主義などの宗教にも反発するゆえんだと思います」

 ——共産党への入党を拒否したということですが、その原点は何ですか。

 「1978年に16歳の時、初めて外国旅行したのはインドでした。インドを選んだのは、伯母がいたからという単純な理由でしたが、はじめて多数の生き方があることを知りました。人間が論理や思想、宗教の産物でないことも知りました。従来の考え方と異なる仏教的考察、『人間は地上では無』ということも学んだのです」

 ——政治参加をしたカミュやサルトルらと同様、「参加の作家」とも呼ばれていますね。クシュネル仏外相がアフガニスタンからの「亡命作家」であることを強調した祝辞を送った受賞の翌日、早速、英仏政府に抗議しましたね。アフガニスタンからの不法移民54人があの日、本国にチャーター機で強制送還する予定でしたが、両国政府は計画を延期しましたね

 「いや、私の場合は巻き込まれた作家ですよ」

 ——アフガニスタンに関して書かれたどんなルポルタージュより優れているとの指摘もありますよ

 「アフガニスタンやかの地の女性に関しては多くのルポルタージュがありますが、記事は事実かもしれないが真実ではないと思います。真実を書くのが作家の仕事です。ジャーナリストの仕事は現実を描写することで終わってしまいます。作家の仕事はジャーナリストが終えたところから仕事をするわけです。小説は現実の他の面です。確かにアフガニスタンの女性に関しても、彼女の内面をこのように、自由に書いたルポは読んだことがありません」

 ——影響を受けた作家はいますか

 「カブールの図書館でユーゴ、バルザック、ゾラなど仏作家のほかにスタインベック、ヘミングウェー、ドフトエフスキー、トルストイなど夢中で読みました。カミュやサルトル、それにマルグリット・デュラスも好きです」 

 ——受賞作は翻訳されますか

 「出版社の話では20数カ国が版権をすでに買ったそうです。『地と灰』は23カ国で翻訳されました」

 ——パリ大学では映画学で博士号を取得しましたね。04年のカンヌ国際映画祭では新人監督賞に当たる「カメラ・ドオル」を処女作の映画化「地と灰」で受賞しています。今、映画の企画はありますか

 「準備中の作品がありますが、撮影がいつになるか、まだわかりません」。

 ——監督もやるのですか

 「たぶん、やる予定です。日本の監督では大島渚が好きです。それから私自身、日本の版画に影響を受けた写真のシリーズも撮っています」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081227-00000518-san-int