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2008年12月26日(金) 00時00分

(4)「夢」へ通じるエレベーター読売新聞

サブちゃん点滴打ち舞台に
劇場の手動エレベーターを20年以上動かしてきた菊池忠志さん。毎月のメンテナンスを欠かさず、1度も大きな故障はなかった=関口寛人撮影

 扉の脇にあるレバーを操作すると、エレベーターの上昇が止まった。ガラガラガラ……。重い音とともに格子状の扉と、さらにその外側の扉を開く。いずれも操縦員の菊池忠志(61)の手作業だ。

 新宿コマ劇場内に残る手動式エレベーター。開館以来、楽屋と舞台を往来する出演者らを運び続けた。「夢の世界と現実とをつなぐ不思議な空間です」。菊池はこのエレベーターをそう表現する。

 昭和初期のものらしく、もとは大阪の劇場で使われたものを、新宿コマ創始者の小林一三が持ち込んだ。菊池によると、美空ひばりは生前、このエレベーターがお気に入りで、「劇場がなくなってもこれは残してね」と話していたという。

     ◎

 菊池はかつて、ブライダル関係企業で宴会場の設営などを担当していた。40歳を過ぎ、「人とは一風違った仕事を」と転職先を探し、この劇場で働く知人の紹介で移ってきた。

 操縦員になって20年余。当初は芸能界にそれほどの関心はなかったが、忘れがたい思い出をこの劇場でいくつも作ることになる。

 約10年前。顔面そう白の北島三郎が腕に点滴の針を刺し、倒れ込むようにエレベーターに入ってきた。風邪をこじらせたという。傍らにはかかりつけの医師。菊池が「大丈夫ですか」と声をかけると、北島は「チケットは全部売れてるんだよ」と言い残して舞台に向かった。「鬼の形相でした。プロ魂に胸が熱くなりました」と菊池は話す。

 森進一が舞台後にエレベーター内で子供の誕生を知らされた場面にも立ち会った。いつもは穏やかな森が「やったー!」と叫んだという。

 エレベーター内の壁にある姿見の鏡は入念に磨く。2階と3階の楽屋から舞台がある中2階まで移動時間は数十秒だが、舞台上では見られない出演者の姿を目の当たりにした。

 本番直前、たいていは緊張した面持ちでエレベーターに乗り込んでくる。引きつった顔を鏡で見て、自分に何かを言い聞かせて深呼吸したり、口の両端を指で持ち上げて笑顔を作ったり。緊張を解く役割を担う鏡を丹念に磨くことで、菊池は「今日も頑張ってください」という出演者たちへのエールの気持ちを込めてきた。

     ◎

 エレベーター内の壁には、何度も鉛筆で書き直した跡が残る白い紙が張ってある。

 菊池は公演前に台本を読み込み、リハーサルも見て出演者がエレベーターに乗り込む時刻を分刻みで書き込む。舞台の演出は日々変わることが多く、特に公演開始から1週間ほどは、消しては書きの繰り返しに。「出演者をエレベーター前で待たせて舞台を台無しにはできない。舞台の成功を祈っているのは、われわれも一緒なんです」

 1月から東宝の関連会社で働くことになった。エレベーターのほうは、閉館後に劇場と一緒に取り壊されるのか、別の場所に移るのか、“処遇”はまだ決まっていない。「今まで大きな故障を起こさせなかったのが自慢」という菊池は、「どこかで活躍してもらうか、保存を」と願っている。

 11月、「新宿コマ劇場」と書かれた銀色のステッカーと自分の名前を入れた千社札を作った。12月31日、ここでの仕事がすべて終わったら、ステッカーと千社札をエレベーターの内と外にはり、「長い間お疲れさま」と言葉をかけるつもりだ。

(敬称略)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231230083639763_02/news/20081226-OYT8T00079.htm