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2008年12月24日(水) 16時56分

近藤社長「未熟だったと思う」 はてなが目指す“脱IT系”ITmediaニュース

 「このサイト、知ってますか」——はてなの近藤淳也社長は、街を歩く人に声をかけ、同社のサイトを見せながらこんなふうに聞いて回った。そして愕然(がくぜん)としたという。

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 「誰もはてなを知らないんですよ。かろうじて人力検索を知っている人がいるくらい。街でたまたまはてなユーザーに会う、なんてことはあり得ない」

 はてなの登録ユーザー数は約90万人、月間ページビューは7000万強。ユーザー数は、はてなより後にサービスインした「mixi」や「ニコニコ動画」の10分の1以下だ。

 Web2.0ブームのころ。近藤社長は「ナナロク世代」の代表格とされ、はてなは「日本のGoogle」ともてはやされた。だが規模と知名度はGoogleに遠く及ばず、ユーザー数で後発に抜き去られた。

 目標は変わらない。「世界に通じるサービスを作りたい」。だがそのためのルート選びで、少し回り道——技術者ルート——を採ってしまったと感じている。

 今新たな道筋を作り直し、多くの人が使ってもらえるサービスに磨き直そうとしているところだ。創業の地・京都に移転した本社で。

●未熟だったと思う

 この5月から、ユーザーテスト「はてなクラブ」を始めた。はてなを知らないユーザーにも集まってもらい、サービスを体験してもらって改善点を見付けるというもの。「普通の人から見たはてな」を今、改めて見つめ直している。

 創業当初からの思いとはてなのサービスが、離れてきていた。2001年、「人力検索はてな」で創業したのは、「ネットリテラシーの低い自分の父親でも、便利に検索できるように」と考えてのこと。「自分が作ったものをできるだけたくさんの人に使ってほしい」という思いは、今も昔も変わらない。

 だが今、はてなのユーザーは一般層に広がっていないと痛感している。メインユーザーは「IT系」。IT系とは、Webプログラマーなどネット系の仕事をしている人や、ネット上での生活時間が長い人を指す。サービスが少々難しかったりユーザーインタフェースが分かりにくくても、頑張って使ってくれる人たちだ。

 なぜそうなったのか。「未熟だったと思う。どこかで『これでいいんだ』と慢心していた」——こう自省する。

 一般に伝わりにくいサービスになった一因は、エンジニアがサービス開発を主導してきたことと、近藤社長自身も1人のエンジニアとして、コードを書いてきたことにあると分析する。

 「エンジニア主導で作ると、動いたところで満足してしまう。『ちゃんと動いているから、あとは使う人が分かってくれるだろう』と、考えをストップするところがあった。本当は、動いたものを説明して分かってもらい、使ってもらうところまで来てやっと完成なのに」

●個人ではなく、組織で作る

 今年、1つ大きな決断をした。近藤社長自身、現場を離れると決めたのだ。

 数カ月前から、コードを自分で書くのをやめた。「何かを形にしてそれを何万人もの人に使ってもらうのは、何物にも代え難い喜びだった」から、身を切られるような思いで。現場にい続けたいという思いは強かったが、それでも断ち切った。

 「自分でプログラムを書いて動くものを作っていると、どうしても視野が狭くなる。現場から離れれば、現場で出てきたものをたくさんの人に使ってもらえるかを考えるようになる」——そう考えたからだった。

 エンジニア色から来るエッジの立ったサービスや思想が、IT系ユーザーに歓迎されてきたことも事実だ。一般に受け入れられようと分かりやすいサービスを目指すと“はてならしさ”が逆に、失われてしまうのではないか。

 「いや、それ以前の段階だ。はてなはユーザーを選別してきたわけでもないし、ネットをヘビーに使う人向けに特化したサイト、と言うほど振り切れているわけでもない」

 個人開発者としての理想は、自分が欲しいものを作って公開し、それが口コミで広まること。だが最近は、個人が作ったサービスが何百万、何千万人が使うようになるという状況が、想像しにくくなっている。「ユーザーは舌が肥え、未開拓なものは減った。ネットサービスは成熟し、開発も大規模化している」

 今必要なのは、開発者の個人プレーではなく、ある程度の規模のものを組織的に作っていける体制だ。社内には新たに、「マーケティングチーム」を設置。「作るだけでなく『どう広めるか』を考える人たちが、初めて生まれた」

●Googleより任天堂に

 ものづくり出身のトップが引っ張る、GoogleやApple、任天堂のような会社の方が好きだ。「もうかるかどうかではなく面白いかどうかが基準になる。ビジネスモデルや売り方ではなく最後はものづくり側の論理で動く会社」——はてなもそうありたいと思う。

 Googleに強くあこがれていた。だからこそ2年前、日本を離れて米国支社を作り、社長自ら赴任した。いち開発者の立場で、世界に通じるサービスを、シリコンバレーから発信したかった。

 だが日本に戻ることを決断した今、あこがれの対象は、Googleから任天堂に変わった。任天堂があったからこそ、日本に戻ろうと決断できた。あこがれより少し近い「ロールモデル」。目標としたい会社だ。

 Googleは、高学歴なエンジニアを集めた国際的な米国企業。日本の企業がまねできるかというと、おそらく難しいだろう。だが任天堂は、日本の京都でものづくりをし、世界を熱狂させている。技術者トップが率いる組織に面白い人たちが集まり、これまでのゲームの概念をくつがえすようなハードやソフトを組織的に作り、世界中を楽しませている。

 世界に通じる「本当に面白いもの」は、米国でなくても、Googleのような会社でなくても作れるということを、任天堂は、日本の京都で、証明してくれたのだ。

 この夏、DSi用サービス「うごくメモ帳」で、任天堂と協業する機会を得た。「秀才集団というよりは、へんてこなものを作る面白い人たち。はてなに似ていた」——遠かった目標に少しだけ、近付いてきた。

 同世代が創業したGREEやpaperboy&co.といった企業が最近上場したが、上場はあまり意識していないという。「上場よりも、早く成長への糸口をつかみたい」——任天堂との協業が、1つのきっかけになればいいと願う。

 京都に移って8カ月。東京にいたころより広いオフィスで、静かに開発できるようになった。東京時代は25人ほどだったスタッフは、学生アルバイト・約30人を含めて60人体制に。組織だってサービスを開発していくための下地を今、整えている。

●面白くてためになるサービスを

 成熟感のあるネットサービス市場だが、「まだまだ余地はある」と考えている。「これからも、ネットを使う時間や頻度は増えていくと思う。10年、20年後のネットは今より面白くて便利になる」

 そのころには、はてなを毎日使う人がもっと増えていてほしいと思う。サービスを拡大し、会社を大きくして、長く残していきたいという。なぜそう思うのかは自分でもよく分からない。ただ「多くの人が使う、インフラのような存在になりたい。ユーザーを10倍、100倍にしたい」という。

 目指すのは「任天堂のゲームのように楽しく、Googleのサービスのように便利なもの」を提供できるものづくり企業。楽しいからまた来てしまう。便利だから毎日使う。そんなサービスを作りたい。

 例えばそれは、「いい駅」のようなものだ。「いい駅は便利で人が集まるし、楽しいもの」

 京都駅が好きだ。京都駅のようなサービスを、京都のはてなから、発信したいと思っている。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081224-00000068-zdn_n-sci