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2008年12月23日(火) 00時00分

(1)サブちゃん1790公演読売新聞

「まつり」支えた裏方の意地
ねぶたに乗って「まつり」を熱唱する北島三郎。華やかさと迫力は観客を圧倒する(2008年9月、コマ・スタジアム提供)

 勇壮な和太鼓の音色とともに、青森のねぶたを模した高さ5メートル余の武者人形の山車が舞台に現れた。人形の腕の上に仁王立ちして熱唱するのは、北島三郎(72)。「サブちゃーん」の声援に応えて拳を突き上げ「これが北島祭りだよー」と声を張り上げた。

 9月30日。新宿コマ劇場最後の自主興行を飾ったのは、座長公演数が最多の39回目を迎えた北島だった。代表曲の一つ「まつり」を歌い上げ、舞台終了の緞帳(どんちょう)が下りきるまで観客に向かって舞台にひざまずいていた。

 すり鉢状の客席に囲まれる円形舞台には、客の歓声や笑い声といった反応が直接響く。ごまかしはきかない。客を本当に満足させる芸かどうかが厳しく問われる、鍛錬の場でもあった。

演劇「花の兄弟仁義」で殺陣を演じる北島三郎(1971年撮影)

      ◎

 初の座長公演は、1968年9月、32歳の時。62年に歌手デビューし、65年には「兄弟仁義」「帰ろかな」「函館の女」の3曲連続でミリオンセラーを達成。スター街道を歩いていた。初座長公演は連日の大入り。大成功に終わった。

 だが、北島個人にとってこの公演は苦い思い出だという。芝居「次郎長水滸伝」で森の石松を演じた。最後に死に装束で登場する演出がどうにも納得できない。演出家と話し合ったが変更されず、気持ちが乗りきらないまま千秋楽の幕が下りた。

 「若くて、これからという時期だったからね。芝居とはいえ、死ぬ姿をお客さんに見せたくなかった」という。観客の反応も、決して芳しいものではない——と感じた。「自分が燃えなければ、お客さんが楽しいわけがない、と知らされた。貴重な経験だったよ」

 この悔しさがバネとなり、2度目の座長公演からは精力的に舞台の内容にかかわるようになった。やがて、脚本や演出も自ら手がけた。舞台に生木を植えたり、本物の水を使って雨を降らしたり。臨場感にこだわった。

 北島公演の最大の見せ場はフィナーレ「まつり」だ。4頭の巨大な竜と大ちょうちん。1曲のために100人を超す踊り子が舞う。毎年様変わりする壮大な舞台に観客はどよめく。

 30年以上、北島の公演を手がけてきたプロデューサーの下村順久(71)は、「北島さんは毎年のように米ラスベガスのショーを見学していた」と話す。そこで目の当たりにした大がかりな舞台仕掛けや照明を自分の舞台でも実現しようとした。「北島さんの要求に応える裏方は、それは大変。実現できたのは、新宿コマの意地でした」

      ◎

 12月16日夜、2時間に及んだ歌番組の収録リハーサルが終わったNHKホール楽屋。一息ついた北島は、新宿コマ劇場の閉場について「長く世話になっている大事な友が遠くに旅立つような感じだね。寂しいよ」と語った。

 新宿コマの舞台には1790回立った。壁、天井、ライト。劇場の隅々まで自分の歌が染みこんでいる。ここで繰り広げてきた北島の座長公演は渋谷・青山劇場に場所を移し、来年9月に開かれる予定だ。

 あらゆる舞台で、演歌の大御所であり続ける北島。それでも、こう言い切る。

 「観客と一体となって、あれだけ盛り上がれる劇場は新宿コマだけだった」。少し間をおき、「歌舞伎町のあの場所にまた劇場ができないかな。あそこで歌いたいよね」。サブちゃんスマイルで表情を崩した。

(敬称略)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231230083639763_02/news/20081224-OYT8T00281.htm