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2008年12月23日(火) 18時14分

【有馬名馬列伝】(10)さらば、テンポイント(1977年)産経新聞

 競馬界の掉尾を飾るにふさわしいレースが、1977年の有馬記念で演じられた。12月18日の中山競馬場。8頭が出走したが、ファンの最大の関心は、テンポイントとトウショウボーイの6度目の対戦の行方だった。ともに力が最も充実する5歳(現在の4歳)を迎え、他馬は眼中になかった。

 実は、テンポイントは有馬前までにトウショウボーイに4度も先着を許していた。直近の対決となった宝塚記念(6月)では4分の3馬身差の惜敗。陣営は「力負けではない」とほぞをかんだ。以来、小川佐助調教師は「起きている間はいつもトウショウボーイをいかにして破るかということばかりを考えていた」ほどだ。有馬はその最後のチャンス。トウショウボーイがこのレースを最後に引退し、種牡馬に転じるからだ。

 テンポイントは、ダッシュ力にものを言わせて先手を取ったトウショウボーイをピタリとマーク。もつれ合うように先行争いをして4コーナーを回った。鞍上の鹿戸明騎手はここでトウショウボーイに余力が残っていないと判断。直線坂上で一気に勝負を懸けてトウショウボーイをかわすと、そのまま押し切って4分の3馬身差でゴール。マッチレースを制した鹿戸は「ホッとした」と安どの表情を浮かべた。2着に2分の1馬身差で菊花賞馬グリーングラスが追いすがった。

 当時競馬評論家の大橋巨泉氏はサンケイスポーツに「トウショウボーイはまさにシンザン、スピードシンボリと肩を並べる戦後最高の名馬」と絶賛した歴史的名勝負だったが、売り上げは前年比21%減の約136億円に甘んじた。2頭の対決で馬券的な興味が薄く、ファンが敬遠したとみられる。

 大橋氏はまた「来年も無事に走り続けてくれることを祈るかぎりである」と書いたが、何か予感めいたものを感じたのか。翌年1月22日、テンポイントは66・5キロと考えられない斤量を背負った日経新春杯で左後脚を複雑骨折。予後不良の診断が下されたが、陣営は治療を懇願。しかし43日間の治療のかいなく死亡した。海外遠征の壮行レースが仇となった格好だ。競馬に造けいの深かった作家の寺山修司は「さらば、テンポイント」と題した詩で死を悼んだ。

■テンポイント

 父コントライト、母ワカクモ(母の父カバーラップ2世)

成績は18戦11勝。

主戦騎手=鹿戸明

主な勝ち鞍=天皇賞・春(1977年)、有馬記念。最優秀3歳牡馬。1977年の年度代表馬、最優秀5歳以上牡馬。1990年、顕彰馬に選出。


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