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2008年12月23日(火) 12時53分

【公教育を問う】日比谷高校「真のエリート育てる」産経新聞

 「公立学校の教育には、身をていして社会貢献のできるエリートを育てる役目が課せられている」。東京都立日比谷高校の長澤直臣校長はこう言い切る。

 今年、創立130年を迎え、西高、戸山高と並ぶ都立の名門。明治11年に旧制府立一中として創立し、エリート養成機関として名をはせた伝統校にも長い低迷期があった。

 凋落(ちょうらく)のきっかけは、都が昭和42年に導入した「学校群制度」。学力が平均化するように生徒を振り分ける制度は「日比谷つぶし」とさえいわれた。以来、東大合格者上位校から姿を消す。

 日比谷高の力を示すデータがある。昭和25年以降の東大合格者数だ。30年代は毎年100人を超え、ピークの39年は193人を数えた。しかし、40年代後半から低迷し、平成5年には1人にまで落ち込んだ。

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 「自分の子供が私立一流校に入ったことを自慢げに話す教師さえいた。わが子を日比谷に通わせている保護者が聞いたら、何と思うだろうか…」。平成13年に着任した長澤校長は振り返る。

 当時、日比谷は伝統校の看板のもと、自由という名の放任教育が蔓延(まんえん)していた。

 「日比谷はあくまでも公立高校のトップにいなければならない。日比谷といえば、東大と思われるのが宿命。まずは東大入学の実績をつくるところから始まった」

 「都立高復権」を目指し、石原慎太郎都知事が特色ある都立高の育成を唱えて導入された「進学指導重点校」の指定を受けると、大胆な改革に着手。手始めに「1学年300人のうち、2けたを東大に合格させる」との目標を打ち出した。

 改革は徹底した。教師が自分たちで作る独自の入試問題で、入学する生徒の学力を測った。その上で、3年分の綿密なシラバス(学習計画)を作成し、生徒たちに3年後の進路を保証した。都が導入した教員公募制も相まって、優秀な教員も集まった。

 ゆとり教育で授業数が減少することへの対策では、1コマ45分の7時限授業を編成。かつての「日比谷の100分授業」に匹敵する内容の充実を図った。さらに夏季休暇には予備校並みの100コマ補習を行うなど、生徒が勉強できる環境を作り上げた。

 東大合格者は平成13年以降、再び持ち直し、17年に10人を超え、19年には28人にまで引き上げている。この躍進は“日比谷ルネサンス”と呼ばれている。

 こうした取り組みに、教育評論家の小宮山博仁氏は「私立が独自色を強める中、かつての日比谷の域には及ばないだろうが、公立校としての合格実績が個性になるのだろう」と指摘。「格差社会時代だからこそ授業を工夫して公立校にも頑張ってほしい」と話す。

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 日比谷公会堂(東京都千代田区)で11月、創立130周年の記念式典が行われた。来賓には、町村信孝前官房長官(64)ら多士済々のOBが並び、伝統校の歴史の重さを改めて感じさせた。

 旧制の府立一中時代の昭和21年に入学した学習院大名誉教授、篠沢秀夫氏(75)は「一時期、あまり名前を聞かず寂しい思いをしていた。かつての日比谷は懐が深かったため、さまざまなタイプの生徒がそろい、互いに影響し合っていた。そういう意味でも、幅広い層が入学できる公立校にエリート校は必要」と話す。

 「次のステップは“本物志向”にこだわること。日比谷の生徒には本質を見極める力をつけて大学へ進んでほしい。それが、日比谷の本当の個性につながっていくはず」と長澤校長。

 その第一歩がスーパーサイエンスハイスクール(SSH)への取り組みだ。今夏はOBの東大名誉教授、小平桂一氏(71)が創設した米・ハワイの「すばる望遠鏡」で研修した。こうした本物に触れる授業が、来春に定年を迎える長澤校長にとって、生徒への置き土産となりそうだ。

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