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2008年12月22日(月) 00時00分

<外務省文書公開>零戦飛行士らのハワイ「地上戦」、克明に毎日新聞

 太平洋戦争の緒戦、米ハワイ・オアフ島(真珠湾)攻撃の際に近くの島に不時着した日本人飛行士が、島民と交戦の末に死亡した。この米国での「地上戦」の記録が、22日付の外務省の文書公開で明らかにされた。在ホノルル総領事館の佐藤武五郎領事が関係者に聞き取り調査し、55年9月に金山政英総領事あてに詳細な報告書をまとめた。

 西開地(にしかいち)重徳氏(当時22歳)が搭乗した「零戦」は真珠湾攻撃で被弾し、1941年12月7日正午ごろ(現地時間)オアフ島西約150キロのニイハウ島(約200平方キロメートル)に不時着。攻撃開始から4時間以上たっていたが、約200人の島民は開戦を知らなかった。

 島民は西開地氏を救助し養蜂業者の日系2世、ハラダ・ヨシオ(原田義雄)氏(当時39歳)が通訳に呼ばれた。西開地氏は不時着で気を失った間に、軍艦の位置を示した海図とピストルを奪われたと語り、奪還を訴えた。やがて島民は開戦を知り、西開地氏をハラダ氏の自宅で監視下に置いた。

 西開地氏は、海図などを取り返したいとハラダ氏に訴え続けた。ハラダ氏も決意にほだされ、2人は12日午後4時半ごろ脱走。猟銃を手に、海図を持ち去った島民に返還を迫った。だが交渉は決裂。海図の処分を急ぐ西開地氏が島民の住居に放火したため、激しい銃撃戦となった。報告書は「両人と全島民の間に激しい戦いが起き、多勢に無勢、ついに山中に逃げ込み」と記している。13日、2人は近くの山中で遺体で発見された。

 ハラダ氏の妻ウメノ(梅乃)さん(当時33歳)が、2人をかくまった国家反逆罪で拘束された。33カ月後に釈放されたウメノさんはニイハウ島で洋裁店を営みながら3人の子供を育てた。佐藤領事にウメノさんは「何度も自殺を考えたが、子供が学校を卒業するまでは死んだ気で働く。日本に住む夫の両親、西開地氏の遺族に会いたい」と語った。報告書は「何らかの形をもってウメノさんを関係者と会わせる方法を講じてやるべきだ」と結ばれている。

 この地上戦は「サンデー毎日」が80年に「二人だけの戦争」と題して記事化している。【篠原成行】

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