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2008年12月20日(土) 23時03分

<紙芝居師>森下正雄さん逝く 声失っても子供に夢与え続け毎日新聞

 師走の5日、戦後60年近く、東京の下町で街頭紙芝居を続けてきた森下正雄さんが亡くなった。85歳。喉頭(こうとう)がんで声帯を摘出して声を失っても、自らの肉声が録音されたカセットテープを使い、旅立つ直前まで「黄金バット」を子供たちの前で演じた。

 11月16日、上野・不忍池のほとりにある台東区立下町風俗資料館。約40人の子供たちの前に森下さんが立った。弟子の佐々木遊太さん(26)は、師匠が紙芝居の絵を「舞台」から抜くのに失敗し、床に落とすのを初めて見た。この日が最後の実演となる。5日後、森下さんに人工呼吸器が取り付けられた。兄弟子、田中久巳さん(60)が手を握ると、ぎゅっと握り返した。容体が急変した日、外は土砂降りの雨だった。

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 森下さんが喉頭がんと診断されたのは90年。翌日に手術を控えた9月10日、家族が6人部屋の病室に集まりテープレコーダーを囲んだ。「最後の肉声を残そう」。長女知加子さん(46)の提案だった。

 消灯後、黄金バットの録音が始まった。「見渡す限りの太平洋上を今、一隻の汽船ハッピーネス号が、西へ西へとのどかな航海を続けております」。語りが終わると、相部屋の5人から拍手が起きた。同じように、のどの病気で声が出ない人たちだった。

 入院前日、森下さんは自転車に紙芝居道具を載せ、自宅近くの公園など3カ所を回っていた。「もう来られない」。演じ終えると、子供たちに別れを告げた。

 手術から約1年後、訓練で言葉は出せるようになったが、紙芝居をできる声ではなかった。手術前夜に録音したテープを使う手もあったが、森下さんは「声に勢いと色気がない」と断念した。そこへ、「神様からの贈り物」が届く。送り主不明の封筒からカセットテープが出てきた。消印の香川県丸亀市には、巡業で訪れたことがある。再生すると、小太鼓を打ち鳴らし、朗々と紙芝居を演じる全盛期の自分の声がよみがえった。「声を失った紙芝居師」と、テレビで紹介されたのを見た人が送ってくれたらしい。

 このテープの声に口を合わせる方法で紙芝居を再開した。しかし、手術3年後には甲状腺にがんが再発する。妻初枝さん(78)には「がんは友達。長く付き合う」と丸顔に笑みを浮かべた。近年は肺がん治療を受けていた。

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 森下さんは関東大震災直後の1923年10月、東京都荒川区に生まれた。昭和金融恐慌で、指し物職人だった父は商売に行き詰まり、紙芝居師に転じた。娯楽の少ない当時、日銭を稼げる紙芝居は失業者の受け皿ともなり、終戦直後には都内に約3500人、全国に約5万人いたとされる。

 父の後を継いだのは50年。菓子工場の仕事で旧満州(中国東北部)で終戦を迎え、4年間の厳しいシベリア抑留から引き揚げて来た後だった。「寒くて食べ物もなく、仲間がどんどん死んだ。生きて帰れるとは思わなかった」。初枝さんにも多くは語らなかった。

 高度成長期。テレビの普及とともに紙芝居人気は急激に落ち込み、生活は困窮した。初枝さんが「サラリーマンになったら?」と水を向けても「紙芝居に定年はない。伝統を守る」。一徹ぶりに、初枝さんは、ビル清掃やキャバレーのおしぼりの洗濯など、早朝から深夜まで働き、糊口(ここう)をしのいだ。

 一方、子供たちにとってはヒーローだった。知加子さんの小学生時代、母親ばかりの授業参観には森下さんが出席した。「あっ、紙芝居屋さん」。教室は歓声でわいた。父は知加子さんの誇りだった。長男昌毅さん(52)にとっても「正義は必ず勝つ」と説く「黄金バットそのもの」だった。

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 弟子の佐々木さんは3年前、母校の慶応大湘南藤沢キャンパス(神奈川県藤沢市)の文化祭で紙芝居に出合った。青空の下、芝生の上で子供たちが「アンパンマン」に見入っていた。「こんなに輝く瞳は見たことがない」。ウェブサイト制作などを手掛け、紙芝居とは対極に生きていた佐々木さんは06年1月、森下さんの紙芝居を見て感動、控室を訪ねて弟子になった。

 「紙芝居ってのは子供たちに勧善懲悪を直接語りかけ、善悪のけじめを持ってもらうのが役割なんだ」。師匠の教えは明快だった。

 「小さなともしびを守り、復活を目指したい」。100年に一度と言われる経済危機、閉塞(へいそく)感を増す社会……。価値観が漂流する中、森下さんの遺志を次世代が引き継ぐ。【沢田石洋史】

 【ことば】黄金バット 紙芝居の原画として1930年に誕生。初代黄金バットは、がい骨マスクに黒マントの怪盗「黒バット」を倒す正義の味方。画家、永松武雄(のち健夫、1912〜61年)が描いた。「黄金バット、ウハハハハ」と高笑いで登場し、大人気を博した。戦後は紙芝居作家で評論家、加太こうじ(18〜98年)が描き継いだ。映画になったり、アニメがテレビ放映されるなど、子供たちのヒーローであり続けた。

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