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2008年12月20日(土) 20時36分

ハマの男・村田、子育てと新生児医療を語る NPO法人設立へ産経新聞

 横浜の村田修一内野手(27)が20日、横浜市内で行われた「新生児医療応援シンポジウム」(頑張れ! NICS事務局主催)に参加し、およそ100人の参加者を前に、早産のため体重712グラムで生まれた長男、閏哉(じゅんや)くん(2)の出産をめぐる経験を語った。同じ境遇にある家族を勇気づけ、側面支援することを目的に、来年にもNPO法人を設立する意向だ。

     ◇

 閏哉くんが生まれたのは2006年2月7日。村田が沖縄・宜野湾市で、シーズンに向けてキャンプを行っている最中だった。出産予定日は5月26日。3カ月あまりも早く生を得た。

 出産に先立つ1月末、絵美夫人(28)のおなかが破水した。このとき、村田は新生児医療をとりまく厳しい現実に直面する。静岡県まで行かなければ、受け入れてくれる病院がなかったのだ。「静岡までは何時間もかかるし、それまで嫁の体力がもつのか。本当に心配だった」。2時間後、一度は断られた神奈川県立こども医療センターでの受け入れが可能になり、夫人は無事に出産を終えた。

 しかし、出産前には医師から衝撃的な知らせを受けていた。生きられる可能性は1割。その1割のうち、9割は何らかの障害をおうというものだった。「生きられるのか、死んでしまうのか。本当に気が気じゃなかった」。かといってプロ野球選手として、キャンプを休むわけにはいかない。後ろ髪を引かれる思いで沖縄に向かい、キャンプの休養日に横浜へ戻り、1日で沖縄にとんぼ返りする形が続いた。

 自身も似たような経験をしただけに、医師やベッド数の不足により、妊婦が次々に病院への受け入れを断られ、社会問題化している現状には心を痛めている。その思いが今回のシポジウムの共同主催につながった。

 「自分のこどもが病院に受け入れられないのなら、こんなに悲しいことはない。閏哉も静岡まで行っていたら、どうなっていたか。医療を受けて亡くなる方もいるが、病院を探している間に(母子が)亡くなるなんてあってほしくない」

 来年には、閏哉くんが生まれた同医療センターの豊島勝昭新生児科医長(39)らと、NPO法人の立ち上げを予定している。子育ての経験を共有するなど、早産で生まれたこどもをもつ家族を側面支援するのが目的だ。

 「閏哉は何かの縁で小さく生まれてきてくれたのだと思う。ふつうに生まれていれば、ああいう難しい立場に立たされることもなく、ただ、野球だけをやっていればいい人生だった。いろいろなことを考えさせてくれた息子に感謝している。救ってくれた病院の方にも感謝の気持ちでいっぱいです。野球選手の村田修一ではなく、父親としての器が大きくなったと思う。息子が生まれてからは、物心ついたときに、カッコいいおやじでいたいと頑張ってきた」

 閏哉くんが生まれた06年から、村田は大きな飛躍をとげる。ホームランは05年の24本から34本に増え、07年は36本で初のタイトル。今季は自己最多で球団新記録となる46本塁打を放ち、2年連続のホームランキングに輝いた。原動力はもちろん、閏哉くんにある。出産後は約2カ月にわたり入院生活を余儀なくされたが、順調に成長して来年2月で3歳になる。

 「うちでは、ノーヒットの日はお酒は出しません。(飲む)資格がありませんから」。絵美夫人が笑って内幕を明かす。村田家では、ヒットやホームランを打った日しか晩酌は許されない。

 「閏哉もお茶で『カンパーイ』ってやってくれるんですよ。最高のモチベーションになっています。将来は野球選手になってもらいたいけど、助けてもらったお礼に、医療の道に進んでもらうのもいいかな」

 村田は18日、4時間ほどをかけて同医療センターの全病棟をまわり、こどもたちや家族を励ましたという。

 「新生児医療のお医者さんが少なかったり、ベッド数が足りなかったり、いろいろな問題があります。こういう現実を少しでも多くの人に知ってほしいし、いい方向に進んでほしい。今後も役に立てるよう活動を続けていきたい」

 スーツにネクタイ姿でシンポジウムに参加した村田は、真剣な表情で訴えた。

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