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2008年12月20日(土) 18時37分

のど治療の名医 杉村公美氏死去産経新聞

 年に一度の大舞台、紅白歌合戦に臨む歌手たちを、陰で支えた「のどの治療の名医」の存在があったことは、あまり知られていない。

 昭和18年、軍医としてビルマ(現ミャンマー)の戦地へ。終戦後は21年から東大分院に復帰し「音声外科」の第一人者、颯田琴次(さった・ことじ)医師に師事する中、「この人を診るように」と任されたのが、昭和の名女優、水谷八重子(初代)と、女形役者の花柳章太郎だった。以来、新派の役者や歌舞伎、歌謡界で活躍する芸能人の「のど」の調子を主治医として支えた。

 37年、東京商工会議所ビルに「東商ビル診療所」を開業した。永野重雄ら歴代の日商・東商会頭の健康管理も担当した。「胃が痛いと訴えても、のどを診れば分かると言うのが杉村先生でした」と、葬儀に参列した元東商常務理事の川村耕太郎さんはしみじみ語る。時に、生活態度が乱れがちな患者を父のようにぴしゃり、諭すこともあったという。

 「診療所の待合室の裏で和田アキ子さんがほかの歌手とたばこを吸いながら、私たちダメな患者よねぇ、なんて言って笑い合っていたこともありました」と杉村さんの次男の浩美(ひろよし)さん。ある年の大みそかは、紅白歌合戦への出場を逃した患者(歌手)を何人も自宅に招き、庭で「裏・紅白歌合戦」を開いたこともあった。「医者と患者というよりも、人間同士のつきあいだったと思います」(妻の美代子さん)。

 芸能界、財界を相手にといえば、一見派手な仕事と勘違いされがちだが、実際は有名無名を区別しない患者本位の姿勢を貫いた。休診の日でも「先生、来て」の電話の声から変調を感じ取ると、患者のもとへと走り、「いい医者はいい家庭人になれない」という持論を地でいく、猛烈な働きぶりだった。平成9年の年の瀬は食事が取れないほどの体調不良に見舞われたが、診察は続けた。

 14日、肺炎のため87歳で死去。葬儀では宝塚時代から診てもらっていたという松あきら参院議員が涙を流す姿も。最後は、ステージの幕あいに1日3回往診したこともある元患者・越路吹雪の曲「サン・トワ・マミー」が流れ、出棺となった。

(津川綾子)

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